水の章・2−5
5.
画面に指を突きつけ、赤毛の若者が叫ぶ。
「この形は……長距離用の小型艇だ!」
「まことか、オスカー」
ジュリアスの問いかけに、オスカーは大きく頷いた。
「間違いありません、最新版の外部資料で見たばかりです。星系間も移動できる一人乗りの高速艇で……そうか!アステロイド破砕用のビーム砲が標準装備されているから、ドーム壁を破壊して脱出する事もできるわけだ」
「一人乗り……か」
クラヴィスの、嘲笑にも似た呟きに顔をしかめながら、ジュリアスはマイクに向かった。
「将軍、奧の棟に、小型艇が隠してあるのが分かった。"神官"とやらはこの棟に潜み、逃走の機会を窺っているに違いない!」
了解の返答が聞こえ、間もなく、将軍が兵士たちを率いて別棟に向かうのが見えた。
『神官を名乗る者、そこに隠れているのは分かっている。おとなしく出てこい!』
将軍の声の背後に、またも地鳴りが轟いてくる。段々間隔が狭く、音が大きくなっているようだ。
『やむを得ん、建物を一部破壊する!』
将軍が合図すると、別棟に向けて中型砲が発射された。
轟音と共に、建物の一部が崩れ落ち、紛れもない小型艇がその姿を現した。駆動部分が損傷したのか、後尾からは黒煙が立ち上っている。
コクピットの中には、神官の服装をした男が、憎悪と恐怖のはっきりと現れた表情で座っているのが見える。
『神官様!』
避難艇に向かいかけた人々が声を上げ、兵士たちがそちらに気を取られた瞬間、
『ええいっ、もう全部終わりだ……貴様らもな!』
自暴自棄になった"神官"は叫びながら、ビーム砲を残留民に向けた。
その時、耳を聾さんばかりの音と共に、小型艇がぐらりと傾いた。
小型艇ばかりではない、それを格納するため造られた偽の棟も、礼拝堂も、全てが傾き、位置を変えていく。大地がその形を変え、どこか知れない所から発した巨大な亀裂が、恐ろしい勢いで迫ってくる。
『地割れだ!』
棟に近づいていた将軍や兵士は全力で待避し、残留民たちは我先に避難艇に乗ろうと、他の者を押しのけながら走り出す。
ただ"神官"だけが、小型艇と外壁に挟まれ、動きがとれなくなっていた。
『うわあ、誰か、誰か助けて……!』
亀裂は容赦なく広がり、詐欺師は大きな悲鳴を上げながら、自分が造った建物もろとも、そこに呑み込まれていった。
「……えっ?」
呆然と画面を見つめていたリュミエールは、ふと誰かの声を聞いたような気がして、視線を上げた。
「どうしました」と、ルヴァが声を掛ける。
青銀の髪の少年は、答えようと振り向き、そして突然、声の正体に気づいた。華奢な体が大きく震え、海の色の瞳が潤み始めている。
「ルヴァ様……私には、聞こえました。大地が……"救いたい"と叫ぶのが……」
「リュミエール……」
一同は、驚きながらも悟っていた。彼の繊細な神経が、遠い空間の轟音の中から、惑星の声を聞き取ったのだと。
「では、あれは、自らの体を裂いたのか……己の育んできた民を守るために」
闇の守護聖の低い呟きに、少年は涙を堪えながら頷いた。
決して大きな声ではなかったが、この会話は、パニックに襲われていた残留民たちの耳にも届いたらしい。
『この惑星(ほし)が……俺たちを救うために?』
口々に呟き、人々の動きが止まった瞬間、スピーカーから、緑の守護聖の声が流れ出した。
『……さあ、大地の心を無駄にするな!落ち着いて、派遣軍の指示に従って避難するんだ。分かっただろう、この惑星の愛はいつも、君たちと共にある』
先刻、悲しみを隠さず打ち明けてくれたあの守護聖が、今は自分たちに励ましの言葉を贈ってくれている。その思いは心強さとなって一人一人に伝わっていき、残留民たちは徐々に冷静さを取り戻し始めた。
「……もう、大丈夫ですね」
避難艇が全ての残留民と兵士たちを乗せて発進すると、ディアは通信を切らせた。
「皆様、お疲れになったでしょう……後は、派遣軍と研究院で対処できると思いますから、守護聖の皆様は、お帰りになって結構ですわ。陛下へは私からご報告しておきます」
「ああ、そうさせて貰おう」
と答えたジュリアスも、他の守護聖たちも、さすがに疲労の色が隠せなかった。
一同は黙って研究院を出た。
見上げれば、空は既に夜の漆黒に塗りかえられ、無数の星々を煌めかせている。たった今見てきた第947星系も、ここから見えるか見えないかの、ほんの一つの光に過ぎないのだろう……それも、もうじき消えるのだが。
その時、ディアが不意に口を開いた。
「クラヴィス、あなたもお疲れでしょうけれど、今から……」
「分かっている」
闇の守護聖は無表情に答え、他の者に会釈するディアと共に、宮殿の方角へ歩き去って行った。
「クラヴィス様……?」
リュミエールがその後ろ姿を見つていると、オスカーの独り言が聞こえてきた。
「こんな時間から宮殿で、クラヴィス様は一体何をしようっていうんだ」
「それはですね、オスカー」
応じたのは、ルヴァだった。
「闇のサクリアを送りに行ったんですよ。今、終わりを迎えつつある惑星のために、それから……あの、哀れな犯罪者のためにね」
「何だって!?」
炎の守護聖が、色を成して叫んだ。
「どうして、あんな男のためにサクリアを送ってやる必要がある!」
「オスカー……」
「あいつは、罪もない人たちを騙して殺そうとしたんだぜ……それだけじゃない、俺たちを傷つけ、守護聖も聖地も、女王陛下までも侮辱したんだ。安らぎを得る権利なんて、あるはずがない!」
「良いのだ、オスカー」
ジュリアスの声に、赤毛の若者は、はっとした様に振り返った。
光の守護聖は沈痛な面もちで、しかし、毅然として続ける。
「それが、あの者の職務なのだ。知り得ぬ事ならともかく、少なくとも眼前で最期を迎えた者がいるのならば、それがどの様な人間であれ、安らぎを与えてやるのが、闇の力を持つ者の役割だ」
「そんな……」
まだ釈然としない表情のオスカーに、カティスが畳み掛けるように言う。
「察してやってくれないか。誰が今、一番大きな葛藤を抱えているのか」
「……葛藤……」
リュミエールの唇から、細い呟きが洩れる。
「クラヴィス様が……」
もう、それ以上、聞いていられなかった。他の者たちに挨拶をするのも忘れ、青銀の髪の少年は走り出していた。
宮殿へ……その奥深くにある、サクリアの間へと。