水の章・3


1.


 薄手のカーテンに和らげられた午後の陽が、その内側に掛けられた厚いカーテンの、僅かに開いた隙間から、遠慮がちに差し入ってくる。

 それを横顔に受けながら、青銀の髪の若者は、竪琴を奏で続けていた。

(やはり……落ち着いて、柔らいでいるような……)

 暗色で揃えられたこの広い居間では、自分の楽の音が、他所とは違った響きを帯びるように感じられる。

 いつもカーテンが掛かっているからなのか、簡素ながら極めて質の高い内装や調度のためなのか、それとも……

 リュミエールは、斜め向かいの大きな長椅子に、そっと目を向けた。

 そこには、聞き入っているのか微睡んでいるのか、切れの長い眼を閉ざしたこの館の主が、黒衣に包まれた丈高い身体を、ゆったりと預けている。




 夜の庭園で言葉を交わして以来、若者がこの闇の守護聖に付き従う時間は次第に増えていき、今ではこうして平日週末を問わず、殆ど毎日を共に過ごすまでとなっている。

 この上なく尊く思う人の側にあって、その平穏と静寂を妨げないよう、そして、相手が少しでも快適に過ごせるよう気を配るのは、自分にとって、心落ち着く充実した時間に他ならない。

(……けれど)

優しく繊細な面に、仄かな憂いの色が差す。

 この方にとって自分は、少しでも、役に立っているのだろうか。




 (あ……)

奏でる曲が、いつか暗い調子になっているのに気付いたリュミエールは、いったん指を止めた後、快活な曲を選んで弾き始めた。

(私が塞ぎ込んでいる場合では……ありませんね)

若者は、気分を変えるように軽く頭を振った。

 物思いに囚われて、ただ一つ相手の心に届くかも知れない楽の音を疎かにするのでは、何のために付き従っているのか分からなくなる。

 そう、本当に願っているのは、この人の心の安らぎ……それだけ、なのだから。




 細く床に延びる陽光から、夕刻の気配が察せられ始めた頃、黒髪の守護聖は、ようやくその白い瞼を上げた。

「……もう、日暮れか」

独り言のように呟かれたのは、若者に帰宅を促す言葉だった。

「はい。そろそろお暇いたします。お邪魔いたしました……それから」

期待通りの返答を口にしたあと、リュミエールは思い切って、一筋の希望を込めた誘いを口にした。

「明日の日の曜日は、カティス様からお茶のお招きを頂いております。ルヴァ様もいらっしゃるのですが、クラヴィス様も是非、と言付かりました」

 もう四、五回目になるだろうか、闇の守護聖が比較的気を許していそうな、この顔ぶれでの集いに招かれる度、若者は、招待者の許可を得た上で、クラヴィスに声を掛けるようにしていた。

「……いかがでしょうか」

消え入りそうな笑みを懸命に保ちながら、水の守護聖は言葉を続けた。

 夕陽さえ届かない影の中から、今は漆黒に見える双眸が見返し、それから、逸らされる。

 黙って見つめるリュミエールの前で、微かに左右に振られた面の、悲しいほどに端正な眉目には、相変わらず、何の表情も現れようとはしなかった。



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