水の章・3−20
20.
数週間後に開かれた集いの場で、緑の守護聖の交替が正式に言い渡された。
予め気づいていた者もそうでない者も、この発表によって、彼と過ごせる時間がはっきり限られたのを感じ、別れを受け入れるために、それぞれ気持ちを整理し始めているようだった。
ある日、執務の合間を見て湖まで足を伸ばしたリュミエールは、そこに先客がいるのを見つけた。
柔らかくほっそりした曲線を描く撫子色のドレスと、同色の髪。女王補佐官ディアが、物思わしげに湖面を見つめているのだ。
声を掛けていいものか迷っていると、視線に気づいたのか、ディアがこちらを振り向いた。
「あら……あなたもお散歩ですか、リュミエール」
瑞々しい少女の面影を残しつつ、今はすっかり優雅な淑女へと成長した補佐官に、リュミエールは一礼した。
「はい、ディア様」
「ここは、いい場所ですものね」
ディアはそう言うと、再び水面に目を移しながら続けた。
「滝に湖、それに川……聖地の中でも、ここほど水の恵みを強く感じられる所は、他にないのではないかしら。来る度に心が癒されるように思えるのも、もしかしたら水のおかげ――あなたのサクリアの働きかもしれませんね」
「恐れ入ります」
自分の司る力への言葉に再び一礼しながらも、水の守護聖は相手の口調に、どこか単なる世間話とは思えない、切実さのようなものを感じていた。
「どうしました?」
知らないうちに表情が堅くなっていたのだろう、撫子色の髪の補佐官が、怪訝そうに聞いてくる。
宇宙で最も神聖な存在である女王の、唯一の側近にして代理人でもあるこの女性に対して、立ち入った話などすべきでないのは分かっている。しかし、だからといって、ごまかし仰せられる相手ではないだろう――そう考えて、リュミエールは覚悟を決めた。
「思い過ごしでしたら、申し訳ありません。先ほどのお言葉が、どこかお辛そうに……本当に癒しを求めて湖に来られたように、聞こえたものですから」
「そう……」
ディアは気分を害した様子もなく、ただ静かに頷いた。
「その通りかもしれませんね、守護聖の退任が近づくたびに、足がここに向くのですもの。共に宇宙を支えてきた仲間を見送るのは、いくら回数を重ねても寂しいものです」
女王補佐官はそこまで言うと、何かを思い出したように遠い眼差しになった。
「陛下ご就任前からの守護聖も、これでジュリアスとクラヴィス、ルヴァの三人だけになってしまいます。あの頃の事も、もう――」
穏やかな声が、微かに震えを帯びたかと思うと、ふっと途切れてしまう。
リュミエールは当惑して声を掛けようとしたが、ディアはその前に、再び口を開いた。
「ごめんなさい、過去を向いている場合ではありませんね。私たちにはこの先も、幸せな宇宙の記憶を作り続けていく務めがあるのですから。これからは、そう、マルセルと一緒に」
補佐官の声も表情も、すっかりいつもの穏やかさを取り戻していた。女王就任時に何かあったのか、気にならないといえば嘘になるが、これ以上詮索するべきではないだろう。
水の守護聖は気持ちを切り替えると、おもむろに言い出した。
「マルセルというのは、新しい緑の守護聖の名前でしたね。確か、まだ13,4歳の少年だとか」
「ええ、来週にはこちらに着くはずです。あなたも力になってあげて下さいね」
そう言うと、ディアは慈しみ深く微笑んだ。
まだ子どもらしさの抜けない華奢な体に、好奇心と感受性に満ちた大きな瞳を持った少年は、予定通り翌週やってきた。どの守護聖もそうであったように、当初は全てに戸惑っていたようだが、カティスの親身な指導の甲斐あって、次第に守護聖としての自覚と能力を身につけていった。
また持ち前の素直な性格のためか、年齢の近い鋼と風の守護聖たちと打ち解け始めるなど、順調に聖地に馴染み始めているようだった。
だがそれは、カティスが聖地を去る日が、いよいよ間近となった事を意味していた。