水の章・3−3
3.
「ええと……」
後輩を労るように見つめながら、ルヴァは懸命に、慰めの言葉を捜した。
「あのですね、リュミエール。少なくとも職務上は、クラヴィスは変わってきたと思いますよ。あなたが補佐するようになってから、集いを忘れたり報告を怠ったりする事は、殆ど無くなったようですし……その、闇の深さとは、あまり関係ないかもしれませんが」
「ありがとうございます、ルヴァ様」
相手に気を遣わせているのが心苦しく、リュミエールは、精一杯の微笑を浮かべようとするのだが、どうしても、切ない陰は隠しきれない。
そこに突然、香ばしい薫りが漂ってきた。
はっとして振り向いた地と水の守護聖は、カティスがいつの間にかカウンターに入り、コーヒーを淹れ始めているのに気付いた。
「あ、あのー、カティス?」
「いい薫りだろう、さっき挽いたばかりだからな」
暗金色の瞳の男は、得意気にそう答えると、なおも何か言おうとするルヴァを制し、熱湯を注ぎ続ける。
「……よし、入ったぞ。お前たちの好みに合わせて軽めのブレンドで、浅煎りの粗挽きにしてみたんだが……どうだ?」
人懐こい笑顔に促されるように、それぞれ差し出されたカップに口を付けた二人は、すぐに、感じ入った表情へと変わっていった。
「いや、これは素晴らしいですねー。香りもですが、この味がまた」
ルヴァが発した言葉に、リュミエールも同感だった。
「はい、とても美味しいです。ありがとうございます、カティス様」
「そうか!」
嬉しそうに答えると、カティスは穏やかな声で続けた。
「……落ち着いたようだな、リュミエール」
心遣いに気づいた若者の面が、たちまち紅潮する。
緑の守護聖は黙って頷くと、自分用のカップを手に椅子に掛け、コーヒーを含んだ。
それから長い息を付くと、独り言のように低く言う。
「そうだな、あるいは、お前なら……」
意味を解しかねている若者の隣で、地の守護聖が「カティス」と呟くのが聞こえた。
間もなく全員がカップを空にすると、この館の主は、静かに話しかけてきた。
「なあリュミエール、お前自身は、一体どうしたいんだ?苦しい望みを持ったまま、クラヴィスの側に居たいのか、それとも投げ出して楽になりたいのか……クラヴィスがこのままでいいとは、俺も思わないが、まずは、あいつじゃなく自分に対して、何を望むかを、考えた方がいいんじゃないか?」
「カティス様……」
青銀の髪の若者は、呟くように呼びかけると、自らの心を探るように、じっと黙り込んだ。
(私の望みは……クラヴィス様の安らぎと幸福……初めてお会いした時のような、穏やかな眼差しで過ごせるようになって頂きたいと……)
だが、時が経つほど困難さが分かり、周囲に心配まで掛けるようになった今なお、その望みを抱き続ける事は、果たして許されるのだろうか。
衝動や感傷だけの甘い願いではないと、そして、自らの意志と責任をもって、“望み続ける事”を選べると、自分には言い切れるのだろうか……
深く考えれば考えるほど、問いを重ねれば重ねるほど、答は変わろうとしなかった。
ほどなく、リュミエールは顔を上げると、柔らかくも決然とした声で言った。
「カティス様、ルヴァ様、申し訳ありませんが、少し席を外させて下さい。今からもう一度、闇の館に、クラヴィス様をお誘いしに行って来ようと思います」