水の章3−6
6.
“本人”が現れたのは、それから数週間後の事だった。
集いの間に呼び寄せられた守護聖たちの前には、男性の姿としてはそれまで見たこともないような色彩と造形美に、挑戦的な眼差しを載せた、青年の姿があった。
「六人、七人……これで全部?」
艶やかなルージュで彩られた唇が、感嘆とも嘲笑ともつかない、短い息を漏らす。
「ふふん、さすがは守護聖様。ルックスのアベレージの高さといい、一筋縄でいきそうにない雰囲気といい、大した役者揃いだねえ……って、私もか」
「私語は慎んでもらおう」
傍らに立っていたジュリアスは、鋭い声で青年に注意すると、他の者たちの方に向き直った。
「新しく夢の守護聖となる、オリヴィエだ。昨夜、聖地に到着したばかりだが、準備が整い次第、明日にでも就任の式典を行いたいと思う。詳細は追って通知する。以上!」
引き合わせというには、いささか短すぎる集いを終わらせると、首座の守護聖は、補佐官と現職および次期夢の守護聖を伴い、慌ただしく出ていった。
後に残された守護聖たちは、あっけに取られたように立ちつくしていたが、やがて、それぞれの執務に戻るべく、集いの間を退出し始めた。
もう今日の執務をあらかた終えていたリュミエールも、いつものように補佐に入ろうと、クラヴィスに付き従って − そうなると、部屋を出るのはたいてい最後になるのだが − 扉に向かった。
すると、廊下の前の方から、いつか聞いたような苦々しげな声が響いてきた。
「俺の判断は変わりませんよ、カティス様!」
「ほう?」
炎と緑の守護聖が、ちょうど数週間前と同じ場所で、立ち話をしている。
「見たでしょう、あのチャラチャラした格好とふざけた態度を。全く、誰のせいでジュリアス様が、あんなに忙しい思いをされていると……いや、こんな話をしてる場合じゃない。失礼、式典準備の手伝いに行ってきますから」
以前オリヴィエの話をした時よりも、更に苛立った様子で言うと、オスカーは、緑の守護聖を大股で追い越していった。
やれやれ、というように肩をすくめたカティスが、ふとこちらに顔を向ける。
「おや……ルヴァ?」
暗金色の瞳は、クラヴィスとリュミエールの肩越しに、室内を見つめていた。
つられて振り返ってみると、地の守護聖が、集いの時そのままの場所で、茫然と立ちつくしている。
その様子に、尋常でないものを感じたリュミエールは、急いで室内にとって返すと、心配そうに声をかけた。
「ルヴァ様、どうなさいました」
「え……ああ、リュミエール、ええと、何が、どうかしたんですか?」
虚ろな灰色の眼で見返しながら、地の守護聖は、普段以上にぼんやりした声で答える。
「何が、じゃないだろう」
扉付近で立ち止まっていた闇の守護聖を、押しのけるようにして戻ってきたカティスが、呆れたように相手の言葉を繰り返した。
「お前がどうしたのかって、聞いているんだ。そんな、視線の定まってないような顔をしてるから」
「視線……いえ、目は普通に見えていますが」
そこまで言ってルヴァは、ようやく状況が飲み込め始めたらしく、慌てて周囲を見回すと、自分を見つめていた三人の守護聖 − 一人は扉の所からだったが − に、謝り始めた。
「あ、ああ、すみません、私がぼうっとしていたので、ご心配を掛けてしまったんですね」
「大丈夫ですか、ご気分でもお悪いのでは」
「いえいえ、何でもありませんよ。ただ……この世に、あんな人がいるなんて、思わなかったものですから」
リュミエールへの返事の後に付け加えられた、夢でも見ているような呟きに、三人は思わず、ターバンの下の顔をまじまじと見つめてしまう。
その中で、最初に口を開いたのは、やはりカティスだった。
「なあ、さすがにそれは、ちょっと酷いんじゃないか?確かに服装は派手だし、化粧なんかしているし、少し変わった奴だとは思うが」
「派手……お化粧……ですか?」
ルヴァは、心底驚いた顔で繰り返すと、記憶を手繰るようにゆっくりと首を巡らせ、それから、申し訳なさそうに答えた。
「うーん、すみませんが、顔も服装もよく思い出せないんですよ。とにかく、あんなにきれいな人が、あんなに、その、何と言いますか、困っているような所を見たのは、初めてだったので、すっかり動揺してしまいまして……」
「顔も分からない“きれいな人”、か」
カティスは深く息を付き、労るように後輩の肩を叩いた。
「調子が悪いみたいだな、ルヴァ。俺からディアに言っておくから、今日はもう帰って休んだ方がいい……リュミエール、馬車まで送ってやってくれ」
「は、はい」
リュミエールは慌てて返事をすると、地の守護聖を支えるようにその横に回った。
「参りましょう、ルヴァ様」
「はあ……あまり、疲れている気はしないんですが、まあ、そう見えるのなら、そうかもしれませんね」
納得のいった様子でもなかったが、とにかくルヴァは、緑と闇の守護聖に挨拶し、青銀の髪の若者に導かれるまま、馬車置き場に向かった。
そうして、自らの馬車に乗り込み、リュミエールに礼を言った後、熱に浮かされたように呟いたのだった。
「あんなに、さらしたての木綿.の様にきれいなのに……あんなに、張りつめているなんて……」
「ルヴァ様?」
驚いた水の守護聖が呼びかけると、ルヴァは急に我に返ったように口を閉ざし、それからふうっと息を付いた。
「ああ、リュミエール。やっぱり変ですね、私……カティスに言われたとおり、大人しく休んでいる事にしますよ」
青銀の髪の若者に会釈すると、地の守護聖は馬車を出させ、私邸へと帰っていった。
遠ざかっていく馬車を心配そうに見送った後、リュミエールは改めて、闇の執務室に向かって歩き出した。