水の章・4−10
10.
青い瞳を昂然と上げて、迷いのない足取りで進んでいく少女。緑の瞳に浮かぶ緊張と好奇心を隠そうともせず、危なっかしい足取りでその後に続く少女。謁見の間に姿を現したのは、見事なまでに対照的な二人の女王候補だった。
(この方たちが、これから試験に挑む……一つの座を巡って、争っていく事になる……)
瑞々しさの中に溢れるような優しさの現れた二つの姿を見つめながら、リュミエールは溜息をついた。女王の命でなされる事に間違いはないと信じていても、憂えずにいられない。たとえ一時とはいえ、相手に勝つ事を目的として過ごさなければならない運命が、この少女たちに似つかわしいとは、どうしても思われない。
二人の向かっていく先、部屋の一段高くなったところに、玉座がある。幾重もの紗幕に覆われているため、中をうかがい知る事はできないが、慈愛に満ちた大きな力の流れが、今そこに女王がいるのをはっきりと伝えている。
(陛下……)
心中で呼びかけながら、水の守護聖はこの尊称が自分にとって、もはや以前と同じ意味を持ち得ないのを感じていた。かつては宇宙の摂理と仁愛の象徴として、まるで意思のみの存在であるかのように捉えていたものだったが、実際には、今目の前を通り過ぎようとしている少女たち同様、生きて息づいている一人の女性に他ならない。
リュミエールはこれまでより一層大きな、切なさを覚えるほど大きな畏敬の念をもって、玉座を見つめた。人として限りある力しか持たない身でありながら、果てしなく重い運命を負っている女性。自分などには想像もつかないその偉大さゆえに、闇の守護聖も心を惹かれたのだろうか。
隣に立つ丈高い姿をそっとうかがったリュミエールは、意外にもその視線が玉座ではなく、段差より少し手前、ちょうどディアとジュリアスの間あたりの床に向けられているのに気づいた。
そういえば今まで、この人が玉座を見あげるのを見た覚えがほとんどない。守護聖交代の儀式などのおり、全員が顔を上げるのを許されても、ひとり伏せたままでいるのに気づき、不審に思った事はあったのだが。
(そこまで、お心の傷が……深いのでしょうか)
水の守護聖が痛ましげに眉を寄せた時、補佐官が穏やかに微笑むと、少女たちに声をかけた。
「よく来ましたね、女王候補たち。さあ、陛下にご挨拶を──ロザリア・デ・カタルヘナ」
青い瞳に、美しく巻かれた青い髪を持つ少女が、恭しくも気品ある態度で一礼する。
「お目にかかれて光栄です、女王陛下。ご期待にお応えするために参りました」
ディアは穏やかに微笑むと、もう一人の少女の名を呼んだ。
「そして、アンジェリーク・リモージュ」
「はいっ」
緑の瞳の少女は、ふわりとした金髪のかかる肩をいからせ、まるで授業で点呼を取られた学生のように答えた。
「じゃなくて、あの……よろしくお願いします!」
声の甲高さからすると、緊張のあまり自分が何を言っているのかもわかっていないのだろう。落ち着きはらっていたロザリアが、驚きと苛立ち、そして心配の入り混じった表情でライバル──あまり使いたい言葉ではないが──を振り返るのが見えた。
その様子にリュミエールは、ふと心が温まるのを覚えた。これからの日々が、彼女たちにとってどのようなものになるかは分からないが、もし試験を通じてよい友人を得られたとしたら、それだけでも良い経験だったといえるかもしれない。
「では、ただいまから女王試験を開始します」
優しい声で、だが厳かに、補佐官が運命の始まりを告げた。
続いて守護聖たちの紹介と試験方法の簡単な説明をすませると、ディアは一同に解散を告げた。
同時に女王の気配が、玉座からすっと消えた。謁見の間には、こちらから見えない通路があると言われているので、恐らくそこから退出したのだろう。
「私はこれから、女王候補たちと飛空都市に移動します。試験期間中は聖地と飛空都市、それに主星の時の流れを同じにしてありますから、守護聖の皆さんも、今日中には飛空都市に戻るようにしてください」
補佐官はそう言い残すと、女王候補たちを連れて部屋を出ていった。
宇宙同士を結ぶこの回廊は、女王と補佐官が直接維持と管理を担っており、守護聖以外は許可なく通る事を禁じられている。これからは女王候補たちも、定期審査の時にしかこちらの宇宙に戻って来られなくなるのだろう。いくら飛空都市が快適に造られているといっても、住み慣れた宇宙を離れて暮らすのは、あの二人にとって心細い事に違いない。
リュミエールは再び女王候補たちに思いを馳せかけたが、他の守護聖たちが謁見の間を退出していくのに気づくと、闇の守護聖の方に向き直った。
「クラヴィス様、執務室に行かれますか」
まだ動く様子を見せていなかったクラヴィスが、ややあって頷き、次いで歩き始める。水の守護聖も、いつものようにその後についていった。
廊下に出ると、三人の年少守護聖たちがにぎやかに話しているのが見えた。他の者たちの姿がないところをみると、聖地での用事を今日中に済まそうと、急いで私邸や執務室に戻っていったのだろう。その事情は年少者たちも同じはずだが、夢中で話し込んでいる様子からすると、どうやらもっと重要な関心事があるらしい。
「……だよね、ロザリアはとってもきちんとしている感じだし、アンジェリークは明るくて楽しそうだし。僕、早く二人と仲良しになりたいな」
「そうだよな! でもさ、どうしたら仲良くなれるんだろう」
「っていうか、どーせ試験が終わっちまえば、負けた方は家に帰されるし、勝った方にだってめったに会えなくなるんだろ?
おめーら、仲良くなっていったいどうするつもりなんだよ」
テンポの速い会話の傍らで、珍しくクラヴィスが立ち止まる。どうしたのかと思いながら、水の守護聖は黙ってそれに従った。
少年たちは彼らに気づかず、なおも話し続けている。
「終わった後の事なんて、まだ分からないでしょ。それにゼフェルは、あの子たちと遊んだりおしゃべりしてみたいって、全然思わなかったの?」
「そりゃあ……まあ少しは、そんな事があったっていいかとは、思ったけどよ」
答える少年の浅黒い肌が赤らんでいくのに気づいて、水の守護聖は再び心に温かいものを感じた。
同じ年頃の少女たちを迎えて、彼らも彼らなりに思うところがあるのだろうが、少なくとも仲良くなりたいという気持ちは、
人としてごく自然なものだ。
それに、厳しい試験に臨む女王候補たちにとっても、また少年たち自身にとっても、交流は大きな癒しと慰めをもたらすかもしれない。
そこまで考えた時、風の守護聖が驚いたように言うのが聞こえた。
「あれ? ゼフェル、顔が赤くなってるぞ。どうしたんだ」
「うるせーな、てめーに関係……!」
大声を出しかけたゼフェルが、こちらに気づいて言葉を止める。ランディとマルセルもその視線を追って振り返ると、同様に動きを止めた。
「クラヴィス様、リュミエール様」
二人が近くにいたのがよほど予想外だったのだろう、緑の守護聖が呆然とした表情で呟く。
リュミエールは、急いで謝った。
「すみません、あなた方があまり楽しそうにしていたので、聞くともなしにお話を聞いてしまいました」
「いえ、そんな……」
ランディが、申し訳なさそうに答える。
「どうか、気になさらないで下さい。俺たち別に、内緒話をしていたわけじゃないですし。なあゼフェル、マルセル」
呼ばれた少年たちが慌てて頷くのを見て、水の守護聖は安堵した。
だが次の瞬間、闇の守護聖が急に歩き出したので、リュミエールは軽い会釈だけ残してその後に続いた。