水の章・4−12

12.

 リュミエールはサクリアの放出を終えると、奥の間の壇を降りた。労いの言葉を掛けてくる夜勤の職員に微笑で頷き、王立研究院の出口に向かう。

 女王試験が始まって二週間が過ぎ、ようやく飛空都市での生活や職務にも慣れてきた。施設も周囲の景色も、なまじ聖地に似せて造ってあるために、最初の頃はふと混同しそうになったり、逆に違いが気になったものだったが、もうそのような事もなくなってきたような気がする。

 昼間と違って人気のない廊下を歩いていると、主任室の扉が開いているのが見えてきた。

「けれど、クラヴィス様が……」

突然耳に入った言葉に、リュミエールは思わず立ち止まった。聞きなれないが、どこかで耳にしたような気もする女性の声。

「あの方が、ご自分の考えでなさっている事だろう。私たちはただ、聞かれた事だけを答えればよいのだ」

こちらの声は──普段よりは、心なしか情味が入っているような気はするが──主任のパスハのものだ。

 このような時間に何の話だろうと、通り過ぎ際に扉の方に眼を向けると、闇の守護聖より更に丈高い竜族のパスハが、恋人である占い師サラと話しているところだった。

「あら……リュミエール様」

赤毛の女性占い師がこちらに気づき、礼儀正しく一礼する。

「サクリア放出のお帰りですか。お疲れ様でした」

パスハも一礼すると、いつもの冷静な口調に戻って声をかけてきた。

「ええ、今日の分を送っておきました。では、また明日」

そう言うと水の守護聖は、平静を装って研究院を出たが、内心では彼らの話していた内容が気に掛かっていた。噂や四方山話の類にしては深刻そうだったし、パスハの口にした言葉も、意味が分かるようで分からない。

“あの方が、ご自分の考えでなさっている事”とは何なのだろう。闇の守護聖があの二人の関わるような何かを、職務ではなく自らの裁量で、しようとしているのだろうか。

 少なくとも自分は聞かされていない。こういうときは本人に尋ねるのが一番早いのだろうが、あえて教えられていないものを、果たして尋ねていいものだろうか。




 待たせてあった馬車に乗り、私邸に向かいながら、青銀の髪の青年は悩ましげに息をついた。気を紛らわすように窓外を眺めると、まだ僅かしか生まれていない恒星が、どこか心細げな輝きを放っている。

 いずれこの宇宙で生まれた女王や守護聖によって──あるいは自分たちの女王が、この宇宙をも統治することになるのかもしれないが──もっと多くの輝きが夜空を飾るようになるはずだ。

 その頃にはいったい、どちらの少女が女王となっているのだろう。




 アンジェリークの育成する大陸エリューシオンとロザリアの大陸フェリシアとの間には、発展レベルにおいて、僅かだがすでに差がつき始めていた。

 エリューシオンの育成には試行錯誤が多く、とても効率がいいとはいえない状態だった。ひきかえフェリシアは、よく考えられた無駄のない育成によって、現在の発展はもちろん、この先役立つであろう資源や地形までもが既に巧みに配置されている。このままいけば、どちらが女王になるかは明らかだ。

 現女王が候補たちを観察して適正や潜在能力を測るという従来の方法ならともかく、今回は実地試験なのだから、 女王候補になる事をまったく予期しておらず、必要な知識はすべて試験開始と同時に学び始めたアンジェリークと、 幼い頃から女王候補になるべく教育を受けてきたロザリアをそのまま競わせるのは、不公平に思えて仕方がない。

 それでも現女王がその方法を選んだのだから、きっと何か理由があるのだろうけれど。

(……そういえば)

明日の午後、女王補佐官主催の親睦会が、茶会の形式で催される事になっていた。

 少女たちが楽しいひと時を過ごし、少しでも元気になってくれるといいと思いながら、リュミエールはまだ幼い星々を眺め続けていた。


水の章4−13へ


ナイトライト・サロンへ


水の章4−11へ