水の章・4−13

13.

 聖殿の小サロンには、優しい色合いの花々が飾られていた。親睦会場を華やかに、そして心和む雰囲気にしようという補佐官の心遣いなのだろう。

「美しい花ですね」

リュミエールは、共に会場にやってきた闇の守護聖に話しかけた。

 クラヴィスが、言われて初めて気づいたように花々に視線を向ける。 僅かに見開かれたその眼が、すうっと厳しい表情に変わっていくのを見て、水の守護聖の心には前夜の悩ましい思いが蘇ってきた。

(“あの方が、ご自分の考えでなさっている事”……)

何をなさっているというのだろう。そして、どうして話してもらえないのだろう。

 パスハが関わっているのなら、恐らく宇宙、あるいは女王試験についての事なのだろうが、そもそも職務関係の事柄ならば、同僚に隠す必要などないではないか。

 あの調べものの時も、そうだった。女王交代が近いとディアから聞いたおかげで、闇の守護聖がその兆しを感じ、裏付けを得ようとしていたのだろうと察する事はできたが、結局本人の口からは、最後まで理由を聞かせてもらえなかった。確信の持てない段階で事を大きくしたくないのは分かるが、少なくとも自分にだけは教えてほしいと願うのは、思い上がりなのだろうか。これほど長きにわたって補佐を続けてきた身であってもまだ、そこまで信頼されていないという事なのだろうか……

「どうしたのリュミエール、そんな切なそうな顔して」

聞き覚えのある声に視線を上げると、花にも劣らぬ華やかな面差しが、からかいと気遣いの入り混じった表情でこちらを向いていた。

 席についたまま物思いに耽っていたのに気づき、水の守護聖は当惑しながら答えた。

「オリヴィエ……いえ、何でもないのです」

何とか微笑を取り戻したリュミエールは、彼やオスカーと情報交換の約束をしていたのを思い出した。事が職務に関わっているのなら、あるいは他の二人も何かを知っているかもしれない。できるだけ早く機会を見つけて、話してみた方がいいだろう。

 そう考えて落ち着きを取り戻すと、水の守護聖は改めて会場を見渡した。補佐官は女王候補たちを迎えに行ったらしく不在だが、守護聖たちは全員そろっているようだ。いつもながら厳格な面差しの光の守護聖に、隣から話しかけている炎の守護聖。風と鋼、それに緑の守護聖たちはにぎやかに雑談に興じ、地の守護聖はにこにこしながらその様子を見守り、夢の守護聖はテーブルセットや花々を愛でるように眺めている。

 次いでリュミエールが、隣席の闇の守護聖に視線を戻した時、補佐官と女王候補たちが扉から姿を現した。




 少女たちはさすがに緊張した面持ちだったが、補佐官から席を離れる許しを得た年少の守護聖たち、 また如才ないオリヴィエや穏やかなルヴァから話しかけられているうちに表情を取り戻していくのが、リュミエールの席からでも見て取れた。

 やがて補佐官手作りの焼き菓子が登場すると、二人はこれが普段の調子なのだろうと思われる明るい歓声を上げた。

「ディア様、このタルト、とってもおいしいです!」

「本当に素晴らしい味ですわ。それに、香りも歯ざわりも」

「二人ともありがとう。お気に召して嬉しいわ」

嬉しそうに答えたディアが、ふと光の守護聖に視線をとめる。静かに会を楽しんでいるように見えたその端正な相貌が、いつの間にか考え込むように女王候補たちを見つめていたのだった。

「どうかしましたの、ジュリアス?」

「うむ」

少女たちの面に、再び緊張が走る。特に不機嫌というわけでもないジュリアスの表情が、聖地に来てまだ日の浅い女王候補たちには、さぞ気難しそうに映るのかもしれない。

 だが光の守護聖が続いて述べた言葉には、彼らしい緻密な気遣いが表れていた。

「もし女王候補たちから守護聖全員に尋ねたい事があるのなら、今が良い機会ではないだろうかと思ったのだ。 ディア、会の趣旨からは少し外れるかもしれぬが、我らが揃って女王候補と話す機会などそうあるものではない。 それに、試験に慣れてきたこの時期ならばこそ、新たに知りたい事も出てくるのではないだろうか」

「なるほど。確かに、こんな風に守護聖全員と同時に会う事なんて、試験中はあまりなさそうですからね」

すかさずオスカーが言葉を足す。

「そうですね、そういう意味ならば、いい機会かもしれません」

ディアも考え深げに頷くと、女王候補たちに向き直った。

「ロザリア、アンジェリーク、彼らに聞きたい事はありますか」

「ありますわ」

即座に答えたのは、青い髪の少女だった。

 穏やかな微笑を浮かべた補佐官が頷くのを見て、一つ会釈を返すと、ロザリアは立ち上がった。

「女王にとって最も大切なものは何なのか、皆様のお考えをお聞かせいただけないでしょうか」

正面から切り込んだ質問に、守護聖たちは一様に驚きの表情を見せた。

 リュミエールも思わず少女をまじまじと見つめてしまった。生まれてまだ二十年にも満たないはずなのに、その眼差しも言葉も堂々として、躊躇どころか余裕さえうかがわせている。幾人も女王を輩出してきた名家の出身なのは資料で分かっていたが、それにしてもこの年齢でこれほどの自信を身につけるとは、さぞ厳しく、そして深く愛されて育ってきたのだろう。

 一つ頷くと、ジュリアスが口を開いた。

「よい質問だ。では私から答えるが、高い見識こそが大切だと考えている。唯一至高たる立場を充分理解していれば、自然と伴ってこようものではあるが」

言葉を切った光の守護聖に、ロザリアは感謝するように礼をした。だが、続いて炎の守護聖が答えようとした時、ジュリアスは珍しくも、自分に言い聞かせるような調子で言い足した。

「加えて──その折々の宇宙の状態に応じた資質もまた、求められるであろうがな」

この人がわざわざ付け加えるにしては当然過ぎる内容に、守護聖たちが拍子抜けした表情になった時、リュミエールは、隣席から息を呑む気配を感じ取った。

(クラヴィス様……?)

振り返れば切れの長い双眸が、これまでになく鋭く、それでいて恐れを帯びた表情でジュリアスに向けられている。見た事もないその様子に、リュミエールは言い知れぬ不安を覚えた。

 その間に、今度こそオスカーが答え始めていた。

「ジュリアス様のお答えで充分だと思うが、あえてつけ加えるなら俺は、宇宙とその民を思う情熱を挙げたい。どんな事にでも、常に熱い思いをもってあたれるような、そんな女王陛下になってもらいたいと思うぜ」

続いてその隣に座っていたランディが、なかなか言葉がまとまらない様子で答えた。

「俺、改めて考えた事がなかったから、うまく言えないかもしれないけど……とにかく、元気と勇気は必要だと思う。女王陛下って、俺たちにもわからないほど大変な立場なんだから、頑張ってやってほしいんだ」

 その次に、案外と平気な顔で言い出したのは、最年少のマルセルだった。

「僕の考えでいいんだよね。だったらやっぱり、優しさじゃないのかなあ。この宇宙すべてを愛して慈しんでいらっしゃるんだから、陛下って誰より優しい方だと思うんだ。ゼフェルはどう?」

続きを振られた鋼の守護聖はふてくされた表情で黙っていたが、マルセルとルヴァに左右から促されてようやく、一言だけ答えた。

「やる気のある奴がなればいいじゃねーか。そんだけだ」

「あー、ゼフェル、あなたらしい端的な答えですね。さて私ですが……」

地の守護聖は、いつもながら言葉の多い言い方で、広い知識とそれを得るための努力を惜しまない事を挙げた。

「次は私だね。といってもこれだけ言われちゃってるから、他の人と微妙に被ってるかもしれないけどさ──人の笑顔をキレイだって思える気持ちが大切なんじゃないかな。他人の幸福を大事なもの、守りたいものだって感じられるような心、きっと誰より陛下はお持ちだと思うよ」

オリヴィエが言い終わると、リュミエールの番になった。女王の資質など論じるのも畏れ多い思いながらも、少女たちのためだからと、彼は思い切って口を開いた。

「慈愛……といえばいいのでしょうか。陛下が私たちになど想像も及ばないような深く大きな愛情で、この宇宙を支えていらっしゃるのを感じますから」

ロザリアに答えながら、水の守護聖の意識は闇の守護聖に向けられていた。

 女王の偉大なる慈愛。それが一人に向けられるものでなかったがために、傷ついてしまった人がいたのだ。 誰が悪いというわけでもない、あえていえば運命に翻弄された結果なのかもしれないが、だからといってその痛みが減るものでは、決して、ない。

 リュミエールはそっと少女から視線を外すと、促すように闇の守護聖を見やった。だがクラヴィスは眼を閉じたまま、一言も発しようとしない。

「クラヴィス様」

躊躇いながら呼びかけても、答えは返ってこなかった。

 業を煮やした光の守護聖が、厳しい声で呼びかける。

「クラヴィス、答えよ。これも職務だぞ」

黒衣の守護聖の薄い唇から、細く息が漏れていき、続いてようやく低い声が流れ出した。

「聞いて……どうするつもりだ。我らの評価を得るために、付け焼刃で身につけようとでもいうのか」

辛らつな問い返しに、ロザリアの強い眼差しが一瞬揺らぐ。だがそれはすぐに元の輝きを取り戻すと、相手の閉ざされた双眸に、真っ直ぐ向けられた。

「私はこれまで、自分で考えた女王像に近づくために励んできましたし、それを変えるつもりもありませんわ。ただ、まだ付け加えるべきものがあるかもしれないと思って、皆様の意見を伺ったのです」

 その答えにリュミエールは、驚きと感銘を覚えた。試験の助けにしようとしていたのではなく、ロザリアは既に女王になるという前提の下、さらに自らを高めようという目的で聞いていたのだ。しかもその受け答えは、誰も傷つけないよう慎重に言葉が選ばれている。女王候補というのはこれほどの意識と強さ、それに優しさを備えているものなのか。

「……ならば、それが答えだ」

感情の読み取れない声で答えると、闇の守護聖は眼を開いた。

「女王にとって大切なものは、すでにお前の裡にある」 

青い髪の少女はかすかに頬を赤らめたようだったが、それ以上動揺する様子もなく一同に礼をとった。

「ディア様、守護聖の皆様、ありがとうございました」

 再び席についたロザリアに、補佐官は優しく微笑みかけた。

「ここでお話しした事が、あなたの参考になれば嬉しいわ。それではアンジェリーク、何か彼らに尋ねたい事はありますか」

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