水の章・4−14

14.

「はいっ!」

金の髪の少女は、大きな物音をたてて立ち上がった。

「ええと……私……私は……」

真っ赤に染まった顔もしどろもどろな言葉も、ロザリアとは対象的に、いかにも頼りない印象を与える。同じ女王候補でありながらこれほど個人差があるものかと驚きながら、リュミエールはどこか安堵を覚えていた。

 後の言葉が続かない様子のアンジェリークに、補佐官が優しく声をかける。

「質問がないのなら、そう言ってくださいね。無理をする必要はありませんよ」

しかし少女は、急いで頭を振った。

「あの私、知りたいと思っていた事があるんです。でも、どなたにどう聞いたらいいか分からなくて」

「思っているとおりに聞いてごらんなさい。遠慮はいりませんよ」

 その言葉に背を押されたのか、金の髪の女王候補は思い切ったように守護聖たちに向き直ると、意外な言葉を口にした。

「どうして女王様や守護聖様は、生まれた時から決まっているんじゃなくて、普通に暮らしてきた人の中から選ばれるんでしょうか」

素朴にして大胆な問いかけに、その場にいる全員が、アンジェリークを凝視した。

「何を聞くかと思ったら、あんたって子は……」

最前の冷静さとはかけ離れた、怒りを含んだ声で、ロザリアが言いかける。

 それを制するように、地の守護聖が口を挟んだ。

「あー、あなたの質問は、言うなれば、この宇宙の根本に関わる問題ですねー。実際にそういう研究も、断続的になされてはいるんですが、まだ誰も答えを見つけ出していない、というのが現在の答えです。でも、どうしてこんな事を知りたいと思ったんですかー?」

間延びした口調のせいか、張り詰めた空気はいくぶん緩んだようだったが、まだ一同の凝視は解けていない。すっかり気後れした表情になったアンジェリークは、勇気を振り絞るように答えた。

「私、女王候補に選ばれたのがまだ信じられなくて……こんな気持ちでいてはだめだって分かってはいるんですけれど、どうしてこういう選び方なんだろうとか、守護聖の皆様にも私みたいに思った事があるのかしらとか、そんな事ばかり考えてしまうんです」

 新たに付け加えられた疑問に、リュミエールは動揺を覚えた。自分がなぜ水の守護聖になったのか、どうしたらそれに相応しい優しさを持てるのか──聖地の使いを迎えてから、ずっと心の奥でわだかまっていた思いを、改めて突きつけられたような気がしたのだ。

 一方、他の守護聖たちにとってもこの問いは驚きだったらしく、室内に低いざわめきが起こっていた。

「試験という現実から逃避しようとしているように聞こえるな。特に最後の個人的な質問など、いったい女王候補にとって、どのような益をなすというのだ」

光の守護聖が、今度こそ本当に気難しい声で問い返す。

「ジュリアス」

なだめるような声で、ディアが口を挟んだ。

「立派に職務を果たしているあなた方の中にも、かつて同じような迷いを感じていた人がいるとわかれば、アンジェリークも安心できるでしょう。また、いないとなれば、もっとしっかりしなければと覚悟を決められるでしょう。どちらにしても、アンジェリークは逃げようとしているのではなく、自分の気持ちを落ち着けようとしているのだと思いますよ」

「集中して試験に臨むため、精神の安定を図るというのか」

ジュリアスは、深く頷いてから続けた。

「本来ならば自力でなすべき事であろうが、この会合を試験に役立てるよう提案したのは私だ、拒むわけにもいくまい──では答えるが、私は自らが光の守護聖となった事、また現在そうである事に、一度も疑念を抱いた事はない。むろん、それに相応しい者であろうという努力を怠るつもりもないが」

自らの言葉を体現するかのように真っ直ぐ向けられた視線に、アンジェリークは思わず身を縮めたようだった。

「さて、次は俺だな」

当然のように口を開いたのは、炎の守護聖である。

「ジュリアス様と同じ、と言えたらどんなにいいかと思うが、残念ながら俺は聖地からの使いが来た時、心底驚いてしまったんだ。だってそうだろう、幼い頃から軍人になるべく育てられていたのが、いきなり守護聖になると告げられたんだからな。だから俺の場合は、ここで陛下や先輩守護聖たちに出会ってから、守護聖の自覚が生まれていったといえるだろう」

よく響く声で次々に繰り出される言葉に気おされたのか、アンジェリークはただ眼を丸くしていた。

 しかしオスカーの答えは、まだ終わっていなかった。

「だがな、他でもない強さを司る“炎の”守護聖だという点だけは、最初から納得がいったし、気に入ってもいたんだぜ。お嬢ちゃんも、俺にぴったりだと思うだろう?」

 続いて守護聖たちは、ロザリアの質問の時と同じ順序で答えていった。“今でも充分な自覚などあるかどうかわからない”と言い放ってたしなめられたゼフェルや、告知から就任までの経緯については珍しくぼかした表現を使ったオリヴィエも含め、リュミエールの聞いている限りでは皆が、おおよそオスカーと同じ道を辿ってきているようだった。

 つまり、この運命を知った時は意外に思ったが、守護聖という身分はともかくとして、自らの司るものについては得心しており、自覚については聖地に来てから育ってきたようだ、という経緯である。

 だが夢の守護聖が話し終え、自分の番が来た時、リュミエールはすぐに答える事ができなかった。

「私は……」

長きに渡って心悩ませてきた事柄は、それほど容易に口に上るものではない。ましてや、どう考えても良いとはいえない思いである、言葉にする勇気を出すためには、今の幾百倍もの時間がほしいところだった。しかし、同僚たちが皆それぞれの思いの変遷を告げた以上、自分だけが拒むわけにもいかないだろう。何より女王候補の一人が、いうなれば、宇宙の未来となるかもしれない存在が、その答えを必要としているのだ。

 室内全ての視線が、自分に集まっているのを感じる。よどみなく続いてきた守護聖たちの答えが急に途切れたので、みな戸惑っているのだろう。水の守護聖は両眼を閉じてみたが、気持ちは一向に落ち着かず、ただ喉と唇が痛いほど乾いているのに気づいただけだった。

 視界を満たす暗黒に、その時、何かが流れ込んできた。緩やかに波打ちながら満たし、緩め、そして受け入れていく。胸を塞いでいた圧迫感が、闇に溶けるように消えていくのを、水の守護聖は呆然と感じていた。

(安らぎ……)

そっと眼を開けると闇の守護聖が、その暗い紫の双眸で、じっとこちらを見つめているのがわかった。

(クラヴィス様……ありがとうございます)

後で改めて感謝を伝えようと思いながら、水の守護聖はに隣席に目礼し、それから視線を前に戻した。

「私も……オリヴィエたちと同じように、守護聖になると告げられた時は意外でしたが、やはり聖地に来てから、少しずつ自覚が生まれきたように思います。けれど違うのは、司るものが水である事が、未だに理解できないという事です。優しさの素晴らしさを知り、憧れるほどに、自分がそこから遠く隔たっているのを感じるのです」

 親睦会場が、一瞬にして不穏な雰囲気に包まれた。

「どうしてそんなふうに思うんですか、リュミエール様はとっても優しいのに。ねえ、ゼフェルもそう思うでしょ」

驚いたように言うマルセルに、同じ表情を浮かべたゼフェルが無言で頷き、ランディも同意の声を上げる。

「そうですよ、水の守護聖にこんなに相応しい人なんていません。もっと自信を持ってください!」

そこに、低いが有無を言わさぬ声で、オスカーが割り込んだ。

「坊やたちに慰められるとは、ヤキが回ったものだな、リュミエール。女王候補のお嬢ちゃんならいざしらず、長年守護聖を勤めてきたお前が自分を信じられないなんて、ある意味では宇宙に、ひいては陛下に盾突いているようなものだぜ」

「あー、オスカー、それはちょっと、拡大解釈が過ぎませんか。誰にでも、自信のない事の一つや二つ、あるものですし」

「しかし、それが自らの使命に関わるとなれば、話は別であろう」

取りなそうとするルヴァに、ジュリアスが重々しく答える。

 すると今度は、オリヴィエが一歩引いた口調で言い出した。

「いいんじゃない。自信たっぷりのヒト、サクリアの種類にだけは自信のあるヒト、逆にそっちにだけ自信のないヒトって、バラエティがあった方が面白くて。ねえ、アンジェリーク」

 急に話を振られた金の髪の少女は、大きな眼いっぱいに不安の色を浮かべていた。

「私、あの……いけない事を聞いてしまったんでしょうか」

「案ずるな。このやり取りに、大した意味などない」

突然、思いがけない方角から、低い声がした。

「クラヴィス、今、何と言った!」

首座の守護聖が、苛立った声で呼びかける。リュミエールも驚いて、黒衣の姿を見つめた。

 闇の守護聖は、遠い眼でジュリアスを見返しながら、平板な声で答える。

「司る力の種類を、皮肉か悪い冗談と思いながら過ごすのと比べれば、自信がないなど大した事ではない、と言っているのだ」

口の端を僅かに上げた表情は、離れた席からならば冷笑に見えただろう。だが、その頬から顎にかけて、そして長衣ごしの肩に走る緊張に気づいたリュミエールには、それが苦痛に耐えている姿なのがわかった。

(クラヴィス様……)

驚いて見あげる水の守護聖の目の前で、クラヴィスはゆっくり席から立ち上がった。

「私に関しては、今言ったとおりだ。質問がこれで終わりならば、失礼させてもらう」

ディアの返事も待たず、ジュリアスの怒号も聞かず、闇の守護聖は部屋から出て行った。

「ディア様、すみません。私も……」

急いで言いかけたリュミエールに、補佐官は憂いを帯びた表情で答えた。

「ええ、リュミエール」

後を追うのは予期されていたのだろう、水の守護聖は誰の制止も受ける事なく小サロンを出ると、すぐ外の廊下を見渡した。


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