水の章・4−22

22.

 それから間もなく、リュミエールはサクリア放出指示書が、次第に短い間隔で発行されるようになってきたのに気づいた。他の守護聖に聞いてみると、やはり以前より頻繁に指示書を受け取り、放出のために聖地を訪れるようになったようだ。

 宇宙が必要としているのなら仕方ないのだろうが、できるだけ聖地に行かないようにと言っていた補佐官自身が署名した放出指示書によって、守護聖たちがよく聖地に赴くようになったというのは、皮肉なめぐり合わせに感じられる。

 一回分として指定されるサクリア放出量がごく少なく、放出総量としてはむしろ減っている事からして、宇宙が特に多くのサクリアを必要としているわけでもなさそうだったが、まるで量を細かく調整しているかのようなこの指示の仕方が何を意味しているのか、彼には見当もつかなかった。




 そんなある日、水の守護聖はフェリシアとエリューシオンの様子を観察しようと、飛空都市の王立研究院に赴いた。

 観察室の大きなモニターに映し出された両大陸では、咲き広がる花のごとく村落がその数を増やし、遠からず中央の島に迫ろうとする勢いを見せている。実際に居住域を広げるには様々な条件が関わってくるので、見かけほどすぐというわけでもないだろうが、試験が終わりに近づいてきている事は、誰の目にも明らかだった。

(あの二人のいずれかが、間もなく女王となる……)

少女たちの面差しを思い浮かべ、リュミエールは感慨に耽っていた。




 いつも弾んだ笑顔で話しかけてくるアンジェリーク。紅潮した頬と潤んだ大きな瞳は、その並々ならぬ好奇心の表れだろうか。宇宙を統べるのに必要な事項はもちろん、聖地やその住人たちについても、少女は驚くほど多くの知識を得ているようだ。

 そういえば今朝も、育成依頼に来たついでに珍しい話を聞かせてくれた。

『この頃、エリューシオンの民と心がとてもよく通じている気がして、サラさんに占ってもらったら、相性も新密度も最高だって言われたんです。もう嬉しくって』

『それは良かったですね』

つられるように微笑みながら、リュミエールは答えた。

『占いの館には、よく行くのですか』

『はい。私もロザリアも、サラさんといろんなお話をするのが楽しみなんです。この間なんて、火竜族の占い師が受ける訓練について教えてもらったんですよ』

『訓練……ですか』

きょとんとして聞き返す水の守護聖に、アンジェリークは頷いて答えた。

『占いの上手な人は暗示にかかりやすくなる事があるので、火竜族の間では、あまり小さい頃から占いに深入りするのは危険とされているし、学ぶ時は必ず一緒に、心を保つ訓練もしなければならないという決まりがあるんだそうです。さすがは占いの歴史のある種族っていうか、いろいろ考えられていて、すごいですよね!』
いささか興奮した様子で話し終えると、女王候補は次の依頼に向かうのか、挨拶をして執務室を出ていった。

 その後ろ姿を半ば上の空で見送りながら、リュミエールは闇の守護聖に思いを馳せていた。

(小さい頃……)

わずか五歳で守護聖となった時、あの方はもう占いを始めていたのだろうか。

 知らない場所で知らない者たちに囲まれて暮らす心細さを思えば、あるいは占いが慰めや支えとなっていたのかもしれない。だがそれは、危険な事だったのだろうか。暗示にかかり、心が保てなくなる可能性があったのだろうか。いずれにしても、今となっては確かめる術もないのだが……




 回想からいつか物思いに陥っていたリュミエールは、観察室の扉が開くのを見て我に返った。

「あ、リュミエール様もいらっしゃっていたんですね」

部屋に入ってきたのは、年若い緑の守護聖だった。

「わあっ、どっちの大陸もよく発展しているなあ。一昨日見にきた時、まだこの辺には何もなかったはずなのに」

マルセルが指し示したのは、フェリシアの海沿いにある、森に囲まれた場所だった。一昨日無かったという事は、昨夜ロザリアの依頼で放出した水のサクリアが、いくらか作用しているのかもしれない。

 そう、昨日の午後、育成を頼みに来た青い髪の少女に、リュミエールはずっと気になっていた事を尋ねてみたのだった。




『ロザリア、あなたはバイオリンが趣味だそうですが……演奏を聴いてもらうのは、好きですか』

『好きですわ』

少女は躊躇いもなく答えた。

『聴いた方が、もし私の音楽を受け入れて下さったら、そして好んで下さったら、とても幸せに思いますもの』

『なるほど……』

改めて考えた事はなかったが、他人に演奏を聴かせるという行為は、自分の音を受け入れてほしいという願いにつながっているのかもしれない。

『それでは、失礼いたしますわ』

ロザリアの背後で扉が閉まると、リュミエールは静かに眼を閉じた。

 闇の執務室で演奏する時の感覚を、そっと思い出してみる。相手を包み癒そうと、音を紡ぎだしていく感触。幾ばくかの喜びをもってそれを受け入れてもらえる嬉しさ。次第に音と一体になり、音そのものとして闇の中を流れていく、至福ともいえるほどの充実感──

(好んで……受け入れていただく……?)

色素の薄い面に、さっと紅が走る。

 自分を音そのもののように感じていたのなら、あの嬉しさは、自分自身が受け入れられた、好まれたと思ったからだったのか。

 あの方に。闇の守護聖に。

(……クラヴィス様……に)


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