水の章・4−24
24.
驚く同僚を尻目に、オスカーは言葉を続けた。
「何回言っても耳を貸さず、無茶な打ち込みばかりしてくるんだぜ。真剣に強くなりたがっているとは、とても思えないだろう。そんな奴に教える剣などない」
リュミエールは、僅かに眉をひそめた。言っている内容は正しいのだろうが、だからといって、あれほど慕ってきている風の守護聖を切り捨てるように見放してしまうとは、少し厳しすぎるのではないだろうか。
非難の気持ちを感じ取ったのか、炎の守護聖はやや声を荒げて続けた。
「いいか、男にとって強さというのは、永遠の目標であり責任なんだ。それを疎かにするような奴を、俺は認めるつもりはない──まあ、強くなるのを端から放棄している奴に言っても、意味がないかもしれないが」
最後の部分を嘲笑まじりに言うと、オスカーは研究院を出て行った。
水の守護聖は、竦んだように立ち尽くしていた。もはや否定も無視もできないほどの強さで、心が異常を訴えている。マルセル、ゼフェル、ランディ、そしてオスカー。自分が知っている彼らと、何かが違っている。外面に変わりはなくとも、彼らの裡で何かが、不穏な方向に動き出している。
(いったい……どうしたら)
眼の前の通路を眺めながら、リュミエールは途方にくれていた。なぜこうなってしまったのか、何をしたら元に戻るのか、皆目見当もつかない。人に相談しようにも、用いるべき言葉が思いつかない。
考え込んでいた水の守護聖はふと、自分が相談相手として、無意識にクラヴィスを思い描いているのに気づいた。
(私は……!)
心を諌めるように、激しく頭を振る。
長らく背信を重ねてきていながら頼るとは、いったいどこまで厚かましいのだ。自分勝手な欲ばかりで接してきた相手に、これ以上何を求めようというのか。
動悸が高鳴り、眼の前が暗くなってくる。同僚を救う方法を探すどころか、心がひどく波立って、まともに物を考えられなくなっていく。
「リュミエール様も、聖地に行かれるのですか」
声をかけられて見回すと、いつの間にか次元回廊室にいた。混乱したまま足を前に進め、この部屋に来てしまっていたようだ。
どう答えたらいいか思いつかず黙っていると、回廊室詰めの職員が申し訳なさそうに一礼する。
「すみません。今朝からたくさんの守護聖様方が行かれたので、ついあのように申し上げてしまいました」
相手の気分を害したと思ったのか、ひたすら謝ろうとする職員をなだめるように、水の守護聖は話しかけた。
「気にしないで下さい、少しぼんやりしていただけですから。それより、今日はそんなに多くの守護聖が、聖地に向かったのですか」
「は、はい。ゼフェル様、マルセル様、先ほど戻られたオスカー様……午前中だけで、もう3人になられます」
「そうですか」
リュミエールは、少し考えてから頷いた。
「では、私が4人目ですね」
もしかしたら同僚たちの変化は、聖地で覚えるあの違和感と関係があるのかもしれない。鋼と緑の守護聖たちの、向こうでの様子を知る事ができれば、何か手がかりがつかめるのではないだろうか。放出指示もないのに聖地に行くのはディアの意思に逆らうようで気がひけるが、いつか理由を説明できる時がくれば、きっとわかってもらえるだろう。
微かな希望を抱いて次元回廊室に入った水の守護聖は、例によって躯と意識が分かたれるような感覚を味わいながら、生まれ育った宇宙へと移動していった。
麗らかに晴れわたった聖地は、やはりどこか騒がしいように感じられる。人の声からも風の音からも、聞きなれてきた穏やかな響きが失われ、代わりに落ち着かない律動が広がっているようだった。
リュミエールは馬車をあつらえさせると、これから半日どう動くかを考えるため、まずは森の湖に向かった。再び闇の守護聖との記憶が蘇り、動揺してしまう恐れもあったが、それは聖地中どこでも同じだと思い直し、一番落ち着いて物事を考えられそうな場所を目指す事にしたのだ。
森の端で馬車を下り、小道を一人歩いていくと、湖畔に先客がただずんでいるのが見えてきた。銀の髪に赤い瞳、足下には小型の、たしかエアバイクと呼ばれる乗用機械。
(ゼフェル……)
まだ幼さの残る浅黒い面は、幾分沈んだ表情が浮んでいる以外、普段と変わらないように見える。本当にこの少年が庭中の木々を取り去り、鋼板に変えてしまったのだろうか。ランディの手足を人造のものと替えるよう、勧めたりしたのだろうか。
声をかけようとした瞬間、鋼の守護聖はこちらを振り向いた。
「おっ、リュミエールか。どうしたんだ、こんな所で」
「ああ、ゼフェル……こんにちは」
とっさに言い訳が思いつかず、水の守護聖は半ば本当の事を漏らしてしまった。
「少し調べたい事があって、ここに来たのですが……」
口ごもる青年に、ゼフェルは怪訝そうな表情を見せた。
「調べものったって、研究院は向こう側だし、図書館はあっちだろう。あっ、もしかしておめーも、図書館に入れないクチなのか?」
「クチ……?」
相手の言葉が理解できないまま、リュミエールは繰り返した。
「違うのか」
鋼の守護聖はがっかりしたように答えたが、説明くらいはするべきだと思ったのだろう、すぐに続けて話し出した。
「ここんとこルヴァが元気ねーからさ、どうしたんだって聞いてやったら、“調べたい事があるのに、図書館に近寄る事ができない、だから毎日悶々としているんです”なんて、訳のわかんねー事言いやがるんだ。そのくせ、何で近寄れないかは教えようとしねーし、図書館の奴らに聞いても、誰もそんな事知らねーって言うばかりでよ」
「ああ……それであなたは、私が同じ状況かもしれないと思ったのですね」
地の守護聖が図書館に寄り付かないというのは、オリヴィエから聞いて知っていたが、今の話からするとどうやら、本人の意思ではないようだ。もしかしたらルヴァにも、何か異変が起きているのだろうか。だとしたら、ゼフェルはそれを感じ取り、心配しているのかもしれない。
「ところで、ゼフェル」
それほど他人を思う気持ちがあるのなら、きっと少年は変わっていないのだろう。確かめようと、水の守護聖は思い切って問いかけた。
「あなたが私邸の庭を、鋼板で覆いつくしてしまったと聞いたのですが」
「ったく、どいつもこいつも人の噂ばかりしやがって」
鬱陶しそうに答える少年に、リュミエールは急いで言った。
「守護聖の動きが人の関心を集めるのは、仕方のない事ですよ。けれどこの噂は、事実ではないのでしょう?
少しだけ手を加えたのが、大げさに伝わったのではないのですか?」
「何でそう思うんだよ」
ゼフェルの大きな瞳が、急に怒りの色を帯びたのに、水の守護聖は気づいた。
「鋼板を敷きつめたのが、そんなに悪い事なのか? たかが自分ちの庭くらい、好きにしたっていいだろうが」
「ゼフェル……」
「木だの土だのってのは、見てて苛々てしてくるんだよ。いくらでも改良できる技術を持った人間が、手を加えようともしないで放置しとくなんて、ただの怠慢じゃねーか。自然の美だとかきれい事言いやがって、そんな怠慢の証拠を眼の前に広げとくなんて、俺は我慢ならねーんだよ!」
戦慄にも似た衝撃を、リュミエールは覚えた。同じだ。マルセルやオスカーと同じように正しく、そして間違っている。一見すると当人らしい価値観の下で、筋の通った考えを言っているようだが、微妙に歪んでいるその筋は、彼らをたちまち極論へと導いてしまうのだ。
「……じゃあな」
不機嫌な表情のまま、辛うじて挨拶だけすると、鋼の守護聖はエアバイクに跨った。
「ええ……気をつけて」
呟くような水の守護聖の言葉は、発進する機械の音にかき消されてしまう。
木立を掠める角度で飛び立ち、たちまち遠ざかっていくエアバイクを見送りながら、リュミエールは不吉な胸騒ぎを覚えていた。同僚たちは歪んだ筋に沿って、まるであの乗用機械のように、恐ろしい速さで走り出してしまっている。
早く止めなければ、何かが起きてしまうのではないだろうか。何か、良くない事が。