水の章・4−26

26.

 頭上に張り出している大きな枝が、音と共に大きくたわみ、揺れる。

 一旦そこで受け止められたかに見えたランディの身体は、しかし次の瞬間、二人の前にどうっと落ちてきた。

「ランディ!」

マルセルの呼びかけに返事も反応もなく、風の守護聖は落ちたままの姿勢でその場に横たわっている。

 傍らに膝をついて見ると、少年は転落のショックで気を失っているようだった。顔は蒼白だが出血している様子はなく、顔に手を近づけると、弱々しいが規則的な呼吸が感じられる。

 そこまでは確かめたものの、この後どうしたらいいのか、水の守護聖には考えられなかった。眼の前の姿に動揺して、頭が全く働こうとしないのだ。

「リュミエール様、ランディは……」

震え声でマルセルが聞いてきた時、リュミエールは上空から大きな機械音が近づいてくるのに気づいた。振り返ると、鋼の守護聖がエアバイクで急降下してくるところだった。

「何だよ、本当に落ちちまったのか!?」

バイクが完全に停まるのも待たず飛び降りたゼフェルは、こちらに駆け寄り、二人と同じように地に膝をついた。

「バカ野郎! おいランディ、答えやがれ、おいったら!」

「ランディ、お願いだから答えて、ランディ!」

ゼフェルの叫びにマルセルも同調し、少年たちは恐慌に近い状態で仲間の名を呼び始めた。

 その痛々しい姿が、水の守護聖に平静を取り戻させた。何とかしなければならない、今、彼らを助けられるのは自分しかいない。恐れより不安より、それが一番重要な事なのだ。

「頭を打っているかもしれません。振動を与えないように」

抱き起こそうとする二人を止めながら、リュミエールは、素早く考えを巡らせた。

 病は存在しないと言われている聖地にも、体調不良や怪我に備えていくつかの医療院が設けられている。また、守護聖の私邸や大きな施設には、自動検査や応急処置のできる設備が備えられている。今の状況で、最も早く安全な手当てを受けさせるには──

 できるだけ落ち着いた口調で、水の守護聖は指示を出した。

「ゼフェルはそのバイクで緑の館に行って通信機を借り、医療院に連絡してください。マルセル、あなたは森の外にある私の馬車で館に戻って、医療係が搬送したらすぐ処置に取り掛かれるように、応急処置室を開けておいてください」

「よしっ」

素早く立ち上がった鋼の守護聖の横で、小さく答える声がした。

「……駄目です」

「おい、文句つけてる場合か!」

怒ったように言うゼフェルに、緑の守護聖は絶望の表情で呟く。

「できないんです、応急処置も、通信も……僕が、機械を捨ててしまったから」

「何ですって」

驚きと失望に、リュミエールは思わず声をあげた。いくらマルセルが機械類を嫌うようになったからといって、まさか医療や通信の設備まで捨ててしまうとは。

「この……何て事しやがったんだ! こいつの手当てが間に合わなかったら、どうするんだよ!」

ゼフェルは緑の守護聖の襟首をつかみ、怒りに任せてその身体を揺さぶった。マルセルは抵抗一つせず、されるがままになっている。背後ではランディが、依然として蒼ざめた顔のままじっと横たわっている。

 取り乱しそうになるのを懸命に堪え、状況をもう一度考え直しながら、水の守護聖は呼びかけた。

「ゼフェル、緑の館の次にここに近いのは風の館です。すぐに向かって医療院に連絡し、館の人に応急処置室を開けるよう言ってください」

「……わかった」

短く答えると、ゼフェルは緑の守護聖から手を離し、エアバイクに駆け戻った。

 爆音と共に浮き上がった乗用機械は、たちまち森の彼方へと飛び去っていく。その姿が視界から消えるまで見守っていたリュミエールは、再び風の守護聖に視線を戻した。

(ランディ……)

手に触れると、氷のように冷たい。水の守護聖は衣の上掛けを外すと、少年の身体に掛けてやった。

「……リュミエール様」

蚊の鳴くような声で、緑の守護聖が呼びかけてくる。

「僕……僕のせいで……」

倒れている少年と同じくらい蒼白な顔には、これまで浮かべた事もないであろう苦悶の表情がうかんでいた。仲間を心配する気持ちに加え、自分の為した事の影響の大きさに、きっと胸のつぶれる思いをしているのだろう。

 リュミエールはそっとマルセルの肩を抱き、その手をランディの手に重ねてやった。

「今はこうして見守りながら、医療係を待ちましょう。それが、私たちにできる最善の事です」

半ば自分に言い聞かせるように話すと、水の守護聖もまた彼らに手を重ね、祈る思いでランディの顔を見つめた。




 間もなくその耳にエアバイクの、続いて医療院用搬送機の音が響いてきた。




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