水の章・4−3


3.

 リュミエールは躊躇いながらも、いつもどおり闇の守護聖の隣に位置を取った。集いの場では皆、自然と決まった順に沿って並ぶ習慣ができていたので、他に立つべき場所を見つけられなかったのだ。

 そっと様子をうかがうと、クラヴィスの面がこれまでになくやつれ、どこか焦燥した表情さえ見せているのが分かる。

(やはり、何か……あったのですね)

胸の痛む思いで見つめていると、間もなく補佐官の声が聞こえてきた。

「皆そろいましたね。では、今日の集いを始めます」




 特に議題も報告事項もないまま会は進行し、やがて最後の確認を残すのみとなった。

「どなたか、この場で連絡しておきたい事のある方はいませんか」

ディアの呼びかけに、守護聖たちは誰も答えない。

「いなければ、今日の集いはここまでに……」

「待ってくれ」

突然、ジュリアスが言い出した。

「クラヴィス、ルヴァ、そなたたちからは何かないか」

「はい?」

問い返したのは、地の守護聖である。

「えー、私からは今のところ、見あたらないと言いますか、この場でお話するような具体的な事柄は、そうですね、ちょっと思いつかないわけなんですが……」

ルヴァはなおもしばらく話し続けたが、要約すれば“ない”という事らしかった。一方クラヴィスも、黙って頭を振るだけである。

「そうか」

重々しく答えると、光の守護聖はディアに向き直った。

「口を挟んですまなかった。私からも何もない」

 不審に思ったのだろうか、撫子色の髪の補佐官は僅かに表情を曇らせたが、特に問い正す事もなくそのまま集いを終わらせた。

「では、今日はこれで散会とします。お疲れ様でした」




 周囲の誰も眼中にない様子で、闇の守護聖は集いの間を出ると、黙々と廊下を歩いていく。リュミエールは後についていこうとしたが、途中で思い直して足を止めた。ここで追いすがったところで、今の状態では口を聞いてもらう事も、また執務室に入れてもらう事も叶わないだろう。

(それよりも、もっと何か……あの方をお助けできる事はないものでしょうか)

廊下に立ったまま考え込んでいると、誰かが軽く背をたたいてきた。

「今日はクラヴィスについていかないの? オスカーなんか、さっきより恐い顔してジュリアスを追っかけてったけど」

「オリヴィエ、私は……」

微笑みかけてくる同僚にどう答えたらよいか分からず、水の守護聖が口ごもる。

 その耳に口を寄せると、夢の守護聖は小声で言った。

「におうよね」

「えっ……?」

リュミエールが目を丸くしていると、オリヴィエはおかしそうに笑って言い直した。

「別に香水がキツいとかじゃなくてさ、うちのベテラントリオが、そろいも揃って挙動不審だって事。たぶんオスカーが苛立ってるのも、その辺りが原因じゃないかと思うんだけど」

「トリオというと……ジュリアス様とルヴァ様も、という事ですか」

「そう──ああ、どうやらあっちも振られたみたいだ」

夢の守護聖の目配せを受けて、リュミエールはその視線を追った。そこにはいつ戻ってきたのか、正面玄関に続く廊下を、先刻よりさらに不機嫌そうに進んでいく炎の守護聖の姿があった。

「この際だから、こっちもトリオでいくとしようか」

言うなりオリヴィエは、意外なほど強い力で同僚の腕を掴むと、急ぎ足で歩き出した。

「あの……どこに行くんですか、オリヴィエ」

「庭園、いや、森の方かな。頭を冷やしたいんだとしたら」

通りかかった職員たちが驚いて道を開ける中、夢と水の守護聖は、引きずり引きずられるようにしながら宮殿を出て行った。




 オリヴィエの予言どおり、炎の守護聖は南西の森に向かって歩き続けた。二人は少し距離をおいて後を追っていたが、森に入った所でオスカーが足を止めると、そのまま近づいていった。

「どういうつもりだ、こそこそ人をつけたりして──」

赤毛の青年は、振り返るなり二人をにらみつけた。

「俺は今、お前たちと話す気分じゃないんだ」

「だろうね、ジュリアスに追い払われたばっかりだし」

軽口のように答えるオリヴィエに、オスカーは怒気のこもった声を出した。

「どうしてお前が知ってるんだ!」

その剣幕に、リュミエールは蒼白になった。場所が場所だけに、また喧嘩でも始まるのかと心配になったのだ。

 だが夢の守護聖は少しも動じず、むしろ普段より平静な声で答えた。

「その話をするために、ここまで追ってきたんだよ」

オスカーはしばらく険しい眼で同僚を見つめていたが、やがて大きく息をついた。

「何か訳がありそうだな。説明してくれ」

「ああ。ちょっと長くなるかもしれないけど」

 ようやく聞く気になった様子の炎の守護聖と、争いにならなかったのを安堵している水の守護聖を交互に眺めながら、オリヴィエは話し始めた。

「まず昨日の日の曜日、私は散歩中に地の館の近くを通りかかって、たまたまルヴァの馬車とすれ違ったんだよ。それが妙に荷物が多い上に、いつになく硬い表情をしてたもんだから、何だか気になってね、夜になってから館に訪ねていったんだ。そうしたら使用人が、ルヴァは図書館に泊り込みで調べものをすると言って出かけた、いつ戻るかは分からない、なんて答えるじゃないか」

「今日は図書館から直接来たって訳か。まあルヴァなら、珍しいってほどでもないだろう」

興味の薄そうな様子で応じるオスカーに、夢の守護聖は分かっていないというように顔をしかめて見せた。

「あの姿を見たら、そんな風には言えないよ。馬車の外から一瞬見ただけで分かるくらい、ルヴァが緊迫感を漂わせてるところなんて、想像できる?」

炎と水の守護聖はしばし黙り込み、それから各々で頭を振った。

「よろしい。これがただ事じゃないって、やっと分かったみたいだね」

オリヴィエは冗談めかして頷いたが、すぐ真顔に戻って続けた。

「ジュリアスやクラヴィスについては今日、あんたたちの態度から、様子がおかしいらしいって気づいたんだ。リュミエールは昼演奏を断られた上、集いの後についていくのを諦めちゃってたし、オスカーも午前中、いらいらしながら宮殿の中を行ったりきたりしてたところを見ると──廊下を通るたびに目につくんで、かなり鬱陶しかったよ──たぶん、ジュリアスから締め出しをくってたんだろうね。さっき追いすがった時と同じように」

「……なるほどな。そして止めは集いでの、あのジュリアス様の問いかけってわけか」

苦々しげな声で、炎の守護聖が話を引き取る。

「お前たち、あれをどう思う?」

 リュミエールは思わず夢の守護聖と眼を見交わしたが、相手がどうぞというように眉を動かしたので、先刻の様子を思い出しながら口を開いた。

「あの方たちだけに通じる何かがある、という事でしょうか。しかしお互いに対しては、少なくとも今は、口にしたくないように見えましたが……」

言葉を捜しながら、水の守護聖はまた考え込んでいた。

 確かにあの時の三人からは、どこか底の方で繋がっていながら、表面ではそれを認められないとでもいうような、微妙な空気が感じられた。それが個人的な感情の問題ならば、こうして陰で噂するのは気が咎めるが、わざわざオリヴィエがこのような場を設けたからには、もっと深い意味があるのだろう。

 リュミエールは一旦言葉を切ると、夢の守護聖に向き直った。

「オリヴィエ、教えてください。あなたこそ何か、考えがあるのではありませんか」

「おや、分かった?」

ダーク・ブルーの眼に、いつになく鋭い光が宿っている。

「と言ってもまだ、想像の域を出てはいないんだけどね──とにかく普通に考えて、長い間守護聖やってるっていうほか何の共通点もないあの三人が、ほとんど同時に何かを予感したとしたら、まず仕事絡みだと思って間違いないだろう? しかも、それを互いに口外したがっていないときたら、これは誰もまだ確証がないか、それともコトが相当ヤバいんで慎重になってるのか、あるいはその両方じゃないかって思うんだ」

 あえて軽い口調で言おうとしているのだろうが、言葉の端々に事態を重く見ているのが感じられる。何より、その内容の深刻さに、リュミエールは背筋が寒くなるのを覚えた。

「それでは、あなたの考えでは……」

恐る恐る言い出した声は、オスカーの大きな声にかき消された。

「おいおい、仕事絡みで相当ヤバいって、まさか宇宙に大災害が起こるとかいうんじゃないだろうな。誰か守護聖が交替するとか、もっと普通の事だっていいじゃないか」

否定に近い問いを受けたオリヴィエは、しかし残念そうに頭を振った。

「私だって、そうであってほしいと思ってるさ。ただ、単なる守護聖の交替なんかじゃ、あの人たちがあれほど神経ピリピリさせて牽制しあってるのが、どうにも説明つかないんだよ」

 二人のやりとりを聞きながら、リュミエールはうつむいてしまった。長い在職期間ゆえに守護聖としての勘が鋭くなった三人が、ほとんど同時に何かの兆しを感じ取ったとしたら。それが大きな災いに繋がりかねない事で、しかし、まだはっきり言えるほど確かではないとしたら──昨日から今日にかけて経験してきた不可解な事が、すべて説明できるではないか。

 ずっと心を凍らせ続けている闇の守護聖が、新たな痛みにまで耐えているかもしれないと思うと、また自分がそれを知らされもせず、何ひとつ役に立つ事もできないと思うと、リュミエールはたまらなく情けなかった。

(私がもっとクラヴィス様の信頼を得ていたら、このような時にでもお心を打ち明けていただけたかもしれないのに……そうして不安なお気持ちを、少しでも分かちあえたかもしれないのに)

「それならなぜ、ジュリアス様は俺に相談してくださらないんだ!」

まるで自分が口にしたかのような嘆きに顔を上げた水の守護聖は、同僚たちがそれぞれ寂しげな表情でうなだれているのに気づいた。

(オスカー? それに………オリヴィエ?)

彼らの心に何があるのか知る術もなく、水の守護聖はただ二人を見比べて立ち尽くすだけだった。

 だが程なく、オリヴィエが小さく息をつくと──同僚たちより先にこの考察をしていただけに、感情も一足先に整理していたのかもしれない──気を取り直したように話し出した。

「さあさあ、あんたたちの気持ちも分かるけど、逆に考えればそこまで事態が特別だって事なのかもしれないし、何より、私の考えが全部間違ってるって可能性もあるんだからね。とにかくこっちとしては、ベテラントリオが何か教えてくれるまでは、今考え付く最善の策を講じておくしかないんだよ。例えば非常事態に備えて、職務は常に早めにすませておくとか、ね」

 美しさの中に力強さを秘めた同僚の微笑に励まされて、リュミエールも落ち着きを取り戻した。

「そうですね。あとは……年少の子たちに余計な心配をさせないよう、私たちだけでも普段どおり振舞うように心がけましょう。それでも今日のような年長の方々の言動を見て、もしあの子たちが不安を覚えたら、心と言葉を尽くしてなだめてあげなければなりませんね」

オスカーも自分を取り戻した様子で、少し考えてから口を開く。

「そうだな。他に俺が考えつくのは──得た情報はお互いに交換する事、いつでも連絡がつくよう、常に居場所をはっきりさせておく事、くらいか」

「私用でこっそり聖地を出てったりする誰かさんでもなきゃ、最後のは必要ないはずなんだけどね」

「何だと?」

からかうオリヴィエを、炎の守護聖が軽くにらみつける。

 普段の調子に戻った同僚たちを、水の守護聖はほっとした思いで見つめていた。オリヴィエの考えが当たっているかどうか、本当のところはまだ分からないが──当たっていなければいいと自分も思うが──とにかく今は、できる事をするだけだ。

 いつか闇の守護聖にとって、どのような不安も懸念も話してもらえるような存在になりたいと願いながら、リュミエールは自分にそう言い聞かせていた。





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