水の章・4−45


45.

 廊下から姿を現したのは、ゼフェルだった。よほどの速度でエアバイクを飛ばしてきたのだろう、少年はふらつきながらオリヴィエに歩み寄ると、小さいが重そうな袋を差し出した。

「持ってきたぜ。これでいいんだな」

「ありがと、正解だよ」

答えながら袋を受け取った夢の守護聖は、その口を結わえた紐を解き始めた。

「ゼフェル、あれは何?」

マルセルの問いに、鋼の守護聖はまだ整わない息の合間から答えた。

「知らねーよ。ただあいつが、ルヴァを助けられそうな物がある、執務机から布の袋を取ってきてくれって言うから、とにかく急いで行ってきて……」

少年の声は、そこで止まった。オリヴィエが、中身を取り出したのだ。

「なぜ、そのような物を!」

掠れた叫びは、女王補佐官のものだった。

 夢の守護聖を囲む全員が、眼を見開いていた。同型のそれを見た事のある者はいなかったが、何であるかは誰にも直感的に察せられた。

「銃……ですか、これは」

リュミエールは、震えを覚えながら呟いた。王立派遣軍が外界に赴く時、自衛のために持つ場合があるとは聞いているが、聖地においては無用なはずのこの武器が、どうして目の前にあるのだろう。

 誰の言葉にも答えないまま、オリヴィエは慣れた手つきで銃の一部を開き、状態を確認し始めた。

「思いっきり旧式じゃねーか。撃てんのか、こいつ?」

恐れと疑いの混ざった表情で、ゼフェルが言い出す。

「それくらいなら、小型爆弾で扉を吹っ飛ばした方が……」

「駄目だ」

夢の守護聖は切り捨てるように答え、カチリと音をたてて得物を組み立てると、ようやく視線を上げた。

「錠だけを壊さないと。ルヴァが、扉のすぐ向こうに倒れているかもしれないだろう」

言いながら、オリヴィエは手袋を脱ぎ捨てた。血のにじんだ保護帯が、十指に浅からぬ損傷がある事を──しかも、幾つかはつい先刻開いてしまったばかりなのだ──いやでも思い出させる。

 息を呑んで見つめる一同に眼もくれず、夢の守護聖は扉の数歩前に立った。武器を構えると、端麗な面に一瞬だけ苦痛の色が走ったが、それもすぐ厳しく冷徹な表情へと変わった。

 慎重に狙いを定め、引き金を引く。鋭い音が室内に響いたのとほぼ同時に、錠が形をゆがめ、床に落ちた。

「よしっ!」

一言叫んで飛び出したゼフェルが、扉を開けて中に駆け込んでいく。

 次いでオリヴィエとマルセルが、そして他の者たちも、次の部屋へと走り出していた。




 何十列もの書棚が並ぶ広い部屋は、奥の一角に照明が点いている以外、大部分が薄暗かった。棚にぶつからないよう気をつけながら進んでいたリュミエールは、前方で鋼の守護聖が叫ぶのを聞いた。

「ルヴァ……おい、どうしたんだよ!」

 精一杯急いでそちらに向かうと、紛れもない地の守護聖が、壁に向かって置かれた大机に就いたまま、ぐったりと身を伏せているのが見えた。

 駆け寄った夢の守護聖が上体を抱き起こしたが、意識を失っているらしく、反応がない。

「ルヴァ、ルヴァ!」

腕の中の面に向かって、オリヴィエが叫びかける。

「眼を開けて下さい、ルヴァ様!」

「しっかりしろ、こら、起きろったら!」

鋼と緑の守護聖たちも脇から手をのばし、暗緑の衣に包まれた肩を揺さぶり始めた。

 水の守護聖の脳裏に、崖から転落した少年の姿が、閃くように蘇った。

(あの時のランディと……同じ……)

不気味な符合に息の詰まるような悪寒を覚え、リュミエールは胸を押さえた。これは偶然なのか、それとも、同じ何かが引き起こした事なのだろうか──

「やめなさい!」

ディアが、厳しい口調で少年たちを制した。

「ゼフェル、マルセル、本館に行って医療院に連絡を入れなさい。早く!」

少年たちは、はっとしたように顔を見合わせたが、次の瞬間には走り出していた。

 同じ声で我に返ったリュミエールは、恐る恐る大机に近づくと、夢の守護聖の肩越しにルヴァの様子をうかがった。知的な面はやつれて蒼ざめ、呼吸は途切れてこそいないものの、かなり弱々しくなっている。開いたままの書物が机上に散乱しているのは、調べ物の途中で意識を失ったからだろうか。いずれにしろ医官が来るまで、自分には何もできそうにない。

 ふと視線が、大机の一番奥、ちょうど壁に突き当たっている場所に吸い寄せられた。椅子に掛ければ正面に見えるであろうそこには整然と、まるで貴重品を飾るように丁寧に、“あの”古びた紙束が立てられていた。

(ルヴァ様……)

その名を繰り返し呼ぶオリヴィエの声が、広い書庫に響き続ける。

 怯えきった表情の老職員、気丈な面持ちのディアと共に、リュミエールはただその場で黙しているしかできなかった。




 間もなく駆けつけた医官たちは、ルヴァには少なくとも脱水による衰弱が起きているようだと告げた。器具をつけて水分補給を始めながら、振動を与えないよう担架に移し、搬送車へと運んでいく。

 オリヴィエが同乗して──当人のたっての希望に加え、医官が一目見て指の手当てが必要だと言ったため──車が図書館を離れると、補佐官と残りの守護聖たちもまた、医療院に向かった。


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