水の章・4−46


46.

 水と鋼、そして緑の守護聖たちは医療院の応接室に通され、ルヴァの検査が終わるのを待った。聖殿や宮殿に連絡を取っていたディアと、指の手当てを受けたオリヴィエも、間もなくそれに加わった。

 しばらくして応接室の扉が開いたが、姿を現したのは医官ではなく、係員に案内されたジュリアスだった。

「ルヴァは」

短く問う首座の守護聖に、補佐官は驚きと心配の混ざった表情で答えた。

「まだ検査中です。ジュリアス、ここまで足を運んだりして大丈夫なのですか。あれほど忙しいというのに」

「案ずるな。結果を聞いたら戻る」

口調こそ普段どおり、あるいはそれ以上に決然としていたが、リュミエールにはその声がどこか力を失っているように感じられた。長きに渡る激務の日々が、さすがにこの人にも応えているのだろうか。

 係員を下がらせ、空いていた椅子に腰を下ろすと、光の守護聖はその白い額に手をあてた。

「まさか、ルヴァの身にこのような事が起きようとは……」

独り言のように呟いた言葉に、ゼフェルが反応した。

「どういう意味だよ、それ」

礼儀正しいとはいえない問いかけだったが、ジュリアスは咎めたてもせず、ただ黙って少年を見返した。

 鋼の守護聖は、苛立ったように続けた。

「俺たちならともかく、ルヴァなら大丈夫だと思ってたんだな」

「その様な事は言っていない」

慎重な口ぶりで、光の守護聖が応じる。

 それが癇に障ったのか、少年はまるで溜まっていたものを噴きだすように叫んだ。

「お前ら、俺たちにずっと何か隠してるだろう! ルヴァにディア、それにクラヴィスあたりでグルになってさ。こっちが気づいてないとでも思ってんのかよ!」

水の守護聖は、思わずゼフェルを凝視した。パスハとサラの名こそ出なかったが、この少年もまた感じ取っていたのだ。自分たちの知らないところで、知らされない何かが進みつつある事を。

 ジュリアスは一瞬、言葉に詰まったような表情になったが、その唇が動きだす前に、女王補佐官が割って入った。

「私たちが示し合わせて隠し事をしているというのなら、それは違います。ただ、私を含めてあなたの挙げた人たちは皆……恐らく同じ事を考え、同じように口外を躊躇っているのだろうと思います」

「それって、前の女王試験に立ち会った方々、ですよね」

緑の守護聖が、ぽつんと言った。

「何をご存知なんですか。どうして教えていただけないんですか、ディア様」

菫色のまっすぐな眼からディアが視線を逸らした時、応接室の扉が再び開いた。




 ようやくやってきた医官たちの報告によると、ルヴァには脱水と疲労以外、特に病的な異常は見られないという事だった。とはいえこの三日間、食事はおろか睡眠も、僅かな休憩さえも取らずにいたらしく、発見がもう少し遅れれば命にかかわる事態もありえたという。

「しかし、もう危険な状態は脱されました。このまま水分と栄養、それに薬品の投与を続けながら安静を保たれれば、明日中には意識を回復され、恐らく一週間以内には、執務に復帰できるようになられるでしょう」

 補佐官と守護聖たちは、一様に胸を撫で下ろした。

「では、私が付き添いますから、皆さんは執務に戻ってください」

ディアに言われて守護聖たちは立ち上がったが、オリヴィエは一人、躊躇いながら口を開いた。

「安静が必要なのはわかってるんだけどさ……せめて、顔だけでも見られないかな」

補佐官が視線を向けると、医官は少し考えてから、窓越しで宜しければと答えた。




 特別措置室の隣室から、一同は言葉もなくルヴァの姿を見つめた。命の危険が去ったとはいえ、横たわる身体にはまだいくつもの機器が取り付けられ、明るい照明がその血色の悪い頬や眼の下の隈、削げた輪郭を痛々しく照らし出している。

「バカヤロー」

言葉とは裏腹に悄然とした声で、鋼の守護聖が呟いた。

「ここまでやらなくたっていいだろうが。いくら本が好きだからってよ……」

嗜める声は、誰からも発せられなかった。言い方はともかく、それは窓の前にいる全員の思いでもあったのだろう。

 水の守護聖もまた、胸の痛む思いでルヴァの知的な面差しを眺めていた。

“ルヴァは図書館にいる。自分にとって危険と知りつつ”

闇の守護聖の言葉が耳に蘇る。こうなる事を予想したがゆえに、地の守護聖は図書館を避け続けていたのだろうか。しかし、それならばなぜ今になって、危険を冒そうとしたのだろう。三日近くもの間、寸時の休憩さえも取らず、余人を締め出した広い書庫で、この人はいったい何を調べようとしていたのか。

 悲しみと疑問に時を忘れて見つめていると、ディアの遠慮がちな声が聞こえてきた。

「あなたたちの気持ちもわかりますが、そろそろ飛空都市に戻ってください。これだけの人数が欠けては、様々な方面に支障が出かねませんから」

「……わかった」

答えて歩き出したジュリアスに、ゼフェルとマルセル、そしてリュミエールが続いた。

「何かありましたら、きっとすぐ全員に連絡を入れます。それから、ルヴァへのお見舞いに限っては、自由に聖地に出入りして構いませんからね」

なだめるように補佐官が声をかけると、最後まで留まっていたオリヴィエもようやく気持ちを定めたらしく、ゆっくりとその場を離れた。




 守護聖たちは、無言のまま飛空都市に移動した。次元回廊の出口で馬車をあつらえようとすると、ジュリアスは王立研究院に用があるからと立ち去り、年少の二人は少し頭を冷してから執務に戻りたいと言い出したので、直接聖殿に向かうのは水と夢の守護聖たち二人だけという事になった。

 相変わらず澄んだ青空の下、馬車は活き活きした緑の間を軽やかに進んでいく。リュミエールが今の一件をどのように闇の守護聖に報告しようかと考えていると、珍しく歯切れの悪い口調で、オリヴィエが話しかけてきた。

「ねえ……リュミエール。クラヴィスは、ルヴァが危険と知りながら図書館にいるって言ってたよね」

「ええ、そうおっしゃっていたと思います」

「そして、そのとおりになった。本が沢山ある所に行ったせいで、あの人は歯止めが利かなくなって、命が危なくなるまで読みふけってしまったんだ。それがわかっていたから、ずっと図書館に近寄らず、たぶん私邸や執務室でも本を避けていたんだろうね。どんなにか、苦しかっただろうに」

端正な面を窓に向け、ガラスに額をつけるようにして、オリヴィエは続けた。

「あんたも見たかな。さっき、ルヴァの倒れてた机に、例の古書が置いてあったんだ。知ってたらあんなもの、贈りゃしなかったよ。ただ、最近調子悪そうだったから、元気づけようと思っただけなのに」

声が上ずっていくのを聞いて、水の守護聖は同僚が考えている事を漠然と悟った。

「オリヴィエ、先走らないでください。まだ、確かな事は何もわかっていないのですから」

慌ててかけた言葉は、しかし、相手の耳に入っていないようだった。

「だけどもし、あれが原因だったとしたら──私が目の前に本なんて持っていったから、ルヴァが我慢できなくなって図書館に行ったんだとしたら、それで死にかけたんだとしたら……!」

半身を窓に向け、夢の守護聖は搾り出すような声で言った。表情こそ見えないが、強張り震えている背や肩の線が、その胸に渦巻く感情の激しさを伝えてくる。

(オリヴィエ……)

リュミエールは言葉もなく、ただ同僚を見つめるしかできなかった。


水の章4−47へ続く


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