水の章・4−48
48.
医官の見立てを上回る、鋼の守護聖の言を借りれば“あんなに動かねーわりには案外タフな”速さで、地の守護聖は回復していった。その日の深夜に意識を取り戻し、早くも三日後の朝には守護聖たちの下に、面会ができるようになったという連絡が届いたのだ。
連絡を受けたリュミエールは、少し考えてから、闇の守護聖の補佐が終わった後で行く事にした。きっともう、同僚たちの幾人かは既に医療院に向かっているだろう。早く顔を見たいのは山々だが、あまり一度に大勢が押しかけては、相手の負担になってしまう。
補佐の終わった時分ならば、さすがに面会者も一段落しているはずだし、クラヴィスに声をかけることもできる。自ら働きかける習慣のない闇の守護聖の事だ、面会したいと思いながら、動き出すきっかけを見出せずに困っているかもしれない。断られる覚悟でこちらから水を向けてみるのも、無駄ではないだろう。
果たしてその日もクラヴィスの補佐が終わると、すっかり夜になっていた。
「今日もお疲れ様でした。あの……これからルヴァ様にお目にかかりに行こうと思うのですが、よろしければ、ご一緒にいかがでしょうか」
遠慮がちに向けられた問いに対し、闇の守護聖はしばらくの沈黙の後、微かに頭を振った。予想できないでもなかった返事だが、それでも呟くように“宜しく言っておいてくれ”と付け加えたのは、当人なりの心配の表れなのだろう。
「かしこまりました」
確かに伝えなければと思いながら、リュミエールは一礼して部屋を去った。
次元回廊で聖地──飛空都市と流れを合わせてあるので、こちらも夜になっている──に移動し、宮殿から馬車を仕立てて医療院に向かうと、車停めに職員が立っているのが見えた。
地面に下りたリュミエールに一礼し、職員が滑らかに話しかける。
「これはリュミエール様、ルヴァ様にご面会でございますか」
「ええ。もう他の方々はいらっしゃったのですか」
「はい、朝一番にディア様とジュリアス様が、次いでランディ様とゼフェル様、マルセル様が連れ立ってお見えになり、昼にはオスカー様がいらっしゃいました。それから、先ほどオリヴィエ様が……」
そこで、職員は口ごもった。
「その、姿を見せられたのですが、まだ取り次がないようにとおっしゃったきり、どこかに行ってしまわれまして」
「ここにいるよ」
背後から、突然声が聞こえた。
「オリヴィエ様!」
玄関を囲むように植えられた木立の陰から、夜目にも鮮やかな夢の守護聖が現れた。
「お化けでも見たみたいに驚くんじゃないよ。ちょっと散歩してただけなんだから」
当惑した表情の職員に、からかうような言葉を投げてから、同僚に向き直る。
「今来たの、リュミエール」
「ええ。あなたもこれから面会するのなら、一緒に取り次いでもらいましょうか」
何気なく問い返した水の守護聖は、同僚の表情がたちまち翳ったのに気付いた。
「すみません、そちらの都合も聞かないうちに」
急いで謝ると、夢の守護聖は小さく、しかし強い調子で頭を振った。
「いや、いいんだ──ちょっとあんた、今からルヴァに会えるかどうか聞いてきて」
「はっ」
職員は短く答えると、二人を応接室に通すのも忘れた様子で、飛び去るように医療院に入っていった。
その後ろ姿を眺めながら、オリヴィエが呟くように言う
「来てくれて助かったよ。一人じゃ、なかなか決心がつかなかったから」
「決心?」
薄暗い車寄せではよく見えないが、どうも普段の夢の守護聖とは様子が違うような気がする。
オリヴィエは、決然とした表情で頷いた。
「誰のせいでこんな事になったのか、はっきりさせようと思うんだ。あんたには、証人になってほしい」
鮮やかな紅の下で、形のいい唇が真一文字に引き締められているのが見える。
同僚の意志を知って、リュミエールは怯えに近い感情を覚えた。自分が贈った本が事件の引き金になったのではという疑惑を、この人はルヴァ本人に尋ねて明らかにしようとしているのだ。その結果、自身が深く傷つく事も、十分ありえるというのに。
「けれど……けれど、オリヴィエ」
水の守護聖は、震えの抑えられない声で言う。
「それは今、あなたがしなければならない事なのですか」
深く溜息をつくと、オリヴィエはいくらか緊張を解いて答えた。
「もちろん、ルヴァの体調が最優先だよ。単なる私のワガママなんだから、無理そうに見えたら、今日はすっぱり諦める。でも、もし大丈夫そうだったら──他人から言われる前に、自分で裁いておきたいんだ」
「他人から……?」
問い返しかけたところに、職員が息せき切って戻ってくるのを見て、リュミエールは思い出した。
そういえは先刻、補佐官と光の守護聖が最初に面会したと聞いていたのだった。もしその際に事実関係を調査していたのなら、結果によっては、オリヴィエは明朝にも責任を問いただされるかもしれない。そうなる前に自分で確認し、覚悟しておきたいのだろう。
「このような所でお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。ルヴァ様がお会いになられるそうです」
守護聖たちは黙って顔を見合わせ、それから歩き出した。