水の章・4−55


55.

「開いてい……」

闇の守護聖が言い終わらないうちに、新たな客が部屋に入ってきた。暗い室内でもそれと知れる美しい色彩は、紛れもなく夢の守護聖である。

「ああ、リュミエール、やっぱり来てたね。水の執務室にいなかったから、ここだろうと思ったんだ」

動揺しているところに予想外の言葉をかけられて、リュミエールは口ごもった。

「私……に、用なのですか、オリヴィエ」

「ちょうど、あんたたち二人の耳に入れときたい事があってね。って訳で、クラヴィスもちゃんと聞いてよ」

言いながら水の守護聖の腕を取り、引きずるように奥に進んでいく。

 そうして執務机の前まで来ると、部屋の主が不機嫌そうに顔をしかめるのにも構わず、オリヴィエは話し出した。

「二人とも覚えてるかな、昨日の集いの時に私、質問したでしょう。あんたたちとジュリアスにだけ、どうして問題行動が起きないのかって」

「……ええ。確か、ルヴァ様が答えられたのでしたね」

クラヴィスが無反応だったので、リュミエールが代表するように答えた。地の守護聖が修養の違いではないかと述べたのも、女王補佐官が結論を保留にしたのも、よく覚えている。もっとも、自分が他の守護聖たちより修養を積んでいるとは、とても思えないのだが。

 だがオリヴィエは、意味ありげな眼差しで、小さく首を振った。

「いやいや、あれは、あの人が何かごまかしてる時の言い方だよ。だから昨日、執務の後でお見舞いに行って、そこの所を突っ込んでやったら、案外と素直に吐いたんだ。修養がどうのって話はでまかせで、本当に考えてるのは別の原因だってね」

「はあ……」

詰問する光景が眼に浮び、リュミエールは地の守護聖が少し気の毒になった。

「見舞いに行って、吐かせた……か」

呻くような呟きを漏らしたところをみると、クラヴィスも同感らしかったが、夢の守護聖は表情も変えずに続けた。

「そこは流していいから。で、あの人の説によると、原因は“サクリアとの同一意識の差”にあるらしいんだ。要するに、サクリアの種類が自分にお似合いだと思ってる人ほど、良くも悪くも影響を受けやすいって事」

「種類が、似合っている……」

では自分には、他の守護聖と比べて、その意識が少ないのだろうか。確かに、あまり自分を優しい人間だと思った事はないが──

 そこまで考えて、リュミエールは前に似た話をした事があるのを思い出した。女王候補との親睦会だったろうか、アンジェリークの問いに答える形で、守護聖全員が、司るサクリアが自分に相応しいと思うか否かを述べたのだ。あの時、そう思わないと答えて咎められかけた自分は、同じく否と答えた闇の守護聖によって救われたのだった。

(けれど、それでは……)

水の守護聖は、無意識に小首をかしげていた。

 一人だけ、説明のつかない人物がいる。真先に肯定で答えた、あの光の守護聖に、まだ問題行動とされるものが現れていないのだ。もっともクラヴィスによれば、集いの後で見せたディアへの言動や、頑なに助けを拒む態度が、すでにサクリアの悪影響だというのだが。

「そう。なのに、一番そう思ってるはずのジュリアスが、まだ問題行動を取っていない」

まるで考えを読んだかのように、夢の守護聖が言う。

「たぶんそれは、増えすぎた光のサクリアが、ひたすら自分に厳しくする方向に働いているからじゃないかって、ルヴァは言ってたよ。おまけに、誇りが変な方向に高まって、自分がどこかおかしいって気づいたり、そう認めたりするのを邪魔してる可能性があるって、かなり心配していたね」

リュミエールは、背に震えが走るのを覚えた。闇の守護聖が事実から考えたのと同じ答えを、地の守護聖が推論で導き出した。とすれば、ジュリアスが危険な状態ではという恐れは、ほぼ確定的になったのではないだろうか。

「……それで昨日、ルヴァは本心を口にしなかったのか」

クラヴィスが独り言のように呟くと、夢の守護聖は大きく頷いた。

「本人が居合わせたからね。今のジュリアスがこんな事を聞いたら、かえって反発して、余計にハードワークに走りかねないでしょ」

表情を曇らせてこめかみを押さえる同僚の手に、まだ手袋がはめられているのを、水の守護聖は心痛む思いで見つめた。ルヴァもオリヴィエも、いずれも一度は正気を失いかけ、危険に陥った事のある身だ。だからこそ、いっそう光の守護聖が心配でならないのだろう。

 美しさを司る青年は小さく息をつくと、補足するように続けた。

「一応、今言ったのはルヴァの個人的な考えだけど、あの時ディアが何気に話を合わせてたところを見ると、まず間違いないだろうね。現に昨日だって、そんな感じの騒ぎがあったっていうし」

「騒ぎ……?」

低く問い返すクラヴィスに、夢の守護聖は大げさに両手を広げながら答えた。

「同じ階なのに知らないの、オスカーだよ。あいつ、やっと謹慎を解かれたもんだから、勇んでジュリアスのところに飛んでったら、あっさり補佐を断られて、その後は口もきいてもらえなかったって言うじゃない。いくら粘っても、侍従たちが“お引取り下さい”を繰り返すばかりだから、結局、憤懣やるかたないって形相で帰って行ったって──まあ要するに、ジュリアスが相変わらず補佐も受けようとしないで、ひたすら自分を追い詰めてるって事」

「……詳しいのですね」

誰からどうやって聞きだしたのか、いつもながらの耳聡さに感心しながら、リュミエールが言った。

「お褒めに預かったお礼に、もう一つ教えてあげようね」

オリヴィエの声が、口調と裏腹に暗くなっているのに、水の守護聖は気づいた。

「光の執務室の侍従が言うには、仲間がもう何人も過労で倒れてるそうだよ。しかもジュリアス本人は、その誰よりも沢山働いてると来てる。あれではもう、無理を通り越して無謀だ──ってさ」


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