風紋の朝(あした)・2


2.


 砂嵐の多いこの惑星では、昔ながらの行商形式のホバー隊が物流の一翼を担っている。二、三ヶ月に一度しか訪れないその商隊が街に着いたのを知ると、ルヴァは注文しておいた本を引き取りに、いそいそと広場へ向かった。




 オアシス都市とはいえ、砂漠の惑星だけあって、広場は埃っぽい。

 そこに大きなドーム型のテントを十余り設置すると、商隊は、取り扱う品別の群れに分散する。少年の目指す書籍のテントは、いつも広場の奥の方にあるので、食品や衣類など、人の多いテントの側を通らなければならない。

 幾つ目かの人混みをやり過ごそうとした時、ルヴァの耳に、聞き逃せない名前が流れ込んできた。

「また、この近くに現れたんだってさ……あの復讐鬼、ディラスが!」

 ディラスと聞いて、少年の面に緊張が走る。かつて、他惑星から移住してきた一人の青年が、この街で病死した。ディラスとは、その青年の父親の名である。

 青年はここの風土を好んで研究していたが、熱心さのあまり無理をして身体を壊してしまった。そして、一人息子の死の報らせに駆けつけたディラスは、悲しみの余り、息子が死んだのはこの地に魅了されたせいだ、この街が息子を殺したのだと言い出した。

 果たして彼は、故郷の星で埋葬を済ませた後、この街に戻ってきた。そして、第八上水ドームに不法侵入した所を捉えられたが、その手には、扱いによっては数千人分の命を奪いかねない劇薬が握られていたという。

 “覚えておけ、俺はいつかきっと、この街に復讐してやる!”

こう叫びながらディラスは、隠し持っていた刃物で警備員の腕を刺し、逃亡した。

 それが、十年ほど前の事だった。以来数年おきに、この近くでディラスを見たという者が現れるが、今までの所は何の事件も起きてはいない。しかし、元医者だったとも言われる彼が、いつ何を仕掛けてくるか知れないので、彼が街付近にいる時は、住民は緊張を強いられ続けるのだ。

 これで弟も、当分一人で外に遊びに行けないな……

 そんな事を考えながら歩く内、ルヴァは目当てのテントにたどり着いた。




 顔なじみの若い商隊員が、いつもの感じのいい笑顔で声をかけてくる。

 「よう、坊やか。注文は確か航空力学の本と、古代国家ニルフェンについての研究書、だったな……と、すまない。今回は仕入が多かったんで、坊やの本は雑貨の第二隊に廻されちまったんだ。悪いが、また明後日来てくれないか」

 少年が返事のタイミングを逸している間に、一方的に話は終わってしまった。

 この商隊は規模が大きいので、全体を二つの隊に分けて移動している。目的の本は雑貨に数えられたらしく、後から到着する便で届けられる事になったのだ。




 仕方無くルヴァは書籍のテントを後にした。他に買いたい物もなかったが、久しぶりの商いの賑わいに、何となく辺りを見回しながら歩いてみる。そして、広場の出口に差し掛かった時、視界の隅に見覚えのある姿が映った。

 少年はとっさに足を止めようとしたが、できなかった。日頃の運動不足が祟ってか、両足は見事に絡まり、体が地に叩きつけられる。

「……痛っ」

「ルヴァ?」

たった今見かけた姿が、駆け寄って来た。

「……やっぱり、あんただったのね。あんな転び方をする人なんて、他にいやしないもの」

と、声をかけてきたのは、ルヴァの近所に住む一つ年上の従姉妹だった。美人で素直だが、思いこみが激しいのが珠にキズと評判の少女である。

 返事をしようと顔を上げると、ルヴァは少女が泣き腫らした目をしているのに気付いた。とっさに視線を逸らすと、今度は相手の下げている鞄が目に入る。

「あれ……ずいぶんと、大きな鞄だけど、どこかに旅行でも……はっ!」

少年は、息を呑んだ。

「これって……まさか、この前言ってた……」

 従姉妹は黙って頷いた。と、見る間にその両目から新たな涙がこぼれ落ちていく。

 慌てて少女の手を引き、人混みから離れながら、ルヴァは途方にくれていた。




 数日前、この従姉妹は彼を訪ねてくるなり、以前から想いを寄せていた、あの書籍テントの青年と駆け落ちすると言い出したのだ。

“あの人、会うといつも、あたしの事を可愛いって、好きだって言うわ。だからもう、決めたの。今度、隊が引き上げる時に、一緒について行く!”

 幾ら止めても聞く耳持たず、かえってルヴァを縁結びの恩人だと言い張る始末である。確かにルヴァは書籍テントでは顔なじみで、その青年についても少女に問われるままに、見知った事を残らず話してやってはいた。

“好きな人の事は、何だって知りたくなるのよ。それで、あんたに教えて貰うでしょ。そうすると、もっともっと好きになるの。だからね、ルヴァ、あたしの幸せは、あんたのお陰って気もするくらいなのよ”

 無理矢理口止めされ、打つ手を失ったルヴァは、とりあえず商隊の出発する日に彼女を見張っていればいいだろうと考えていた。それがまさか、商いの始まった初日に押し掛けて行くとは、予想もしていなかった。

 しかし今、従姉妹は幸せどころか、目が溶けてしまいそうな程の涙を流している。




「何が……あったの」

 恐る恐る訪ねる少年に、少女は嗚咽を堪えながら答える。

「あの人、始めっから……全然本気じゃなかったのよ。それに、あたしが本気だとも思ってないみたい。第一、故郷の町には、奥さんも赤ちゃんもいるんだって」

「え……」

「あたしなんて、まるっきり子ども扱いよ。一人で勝手に盛り上がってただけだなんて、本当、バカみたい……好きになんか、なるんじゃなかった。あの人の事なんか、聞かなきゃ良かった……あんたが教えたからよ。何も、何も知らなきゃ……!」

 泣きじゃくる従姉妹を見つめながら、ルヴァは呆然としていた。

 自分があの商隊員について教えた事が、彼女の恋心を募らせ、結果として悲しませてしまったというのか。知ったために誤り、知ったために悲しむ……そんな場合があるなんて。

 少し落ちつくまで待って、ルヴァは誰にも気付かれない様に、少女をそっと家まで送った。

「……ごめん」

 後ろ手に閉められたドアに向かって、少年は呟いた。




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