風紋の朝(あした)・4


4.


 書斎に移り、差し向かいに座ると、父はまず聞いてきた。

「お前はニルフェンについて、どんな事を知っている」

 「どんな事……って」ルヴァは、口ごもりながら答え始めた。

「ええと、その、私たちの現在につながる発見や研究を遺した、偉大な古代文明の興った王国です。国名は元々ヤールフェンといい、およそ千年の間に平和な素晴らしい文明を築き上げたのに、五千年程前に、突然滅んでしまって、その青い石造りの遺跡が、ここからホバーで一日西に行った辺りの、今は消滅したオアシスの周辺で発見されていて、それから……」

 学問に関する事を話し出すと、ルヴァはいつもの調子、つまり、留まる所を知らない話し方に戻っていた。そんな息子に苦笑しながら、父は手を上げて話を遮る。そして、今度はこんな風に聞いてきた。

「ではあの国の言葉で、ニルフェンとはどういう意味なのか、お前は知っているか」

「いいえ」と、ルヴァは素直に首を振る

 その態度を慈しむように微笑んだ父は、しかし、すぐに遠くを見る目になった。

「“愚かな知の国”……ニルフェンとは、そういう意味の、いわば蔑称だ。だが元々のヤールフェンという名は、“尊き知の国”を意味していた。実際、彼らは知を尊び、争いに頼らなくとも発展し続けられる高い文明を誇っていたのだ……


  普通、ある都市が発展し、人口が増えていくと、それを支えるだけの資源や資金を得るために、領土を拡大しようとするものだ。それも多くの場合は、開拓ではなく侵略という手段を用いる。成功しさえすればその方が確実に、得たい物を得られるからな。

  しかしヤールフェノル、つまり、ヤールフェン人は、違っていた。当時としては類を見ない高度な文明を誇りながら、それを決して武力に結び付けようとはしなかった。

  理由として考えられるのは、自らの資質を誇る余り、極端な純血重視社会となっていた彼らが、侵略の結果生じるであろう他国との混血を避けたがったという事が一つ。だが何よりも、余所から力ずくで奪うなど、知性を重んじる国民の誇りが許さなかったに違いない。

  事実彼らは、自分達の知をもって、あらゆる不足を補っていた。

  必要な量の作物が取れなければ、品種や土壌を改善して収穫を増やした。交易に適した産物がなければ、他国の産物を研究して、それに負けない素晴らしい物を作り上げた。また、さっきも言った純血重視のために、ヤールフェンには虚弱者が多かったが、それを補うため発達した医学や科学は、星系でも最高のレベルに達していた。

  ……ああ、そうだよ、ルヴァ。お前の言うとおり、知識だけでなく、それを使うための知恵も兼ね備えた、本当に素晴らしい国だった。恐らくは、地のサクリアを最も正しく受け取り、活かしていた民だったのだろうが……


 


 あらゆる作物や家畜を改良し尽くしたヤールフェノルは、ついに、最後の領域に足を踏み入れてしまった。

 つまり、自分達自身を、“改良”し始めたのだ。

 彼らは改良技術だけは、決して他国に漏らそうとしなかったため、いかなる方法を取ったのか、今となっては知る術もない。ただ記録によれば、“改良”以前よりもずっと頑健で強く、知的にも優れた人間が生まれるようになったのだそうだ。

 そして世代が変わり、ヤールフェンに未改良の者が一人も居なくなった頃、災厄が訪れた。

 未知の死病が発生したのだ。


 もちろん彼らはすぐに、星系一の医学と科学を駆使してその病気を研究した。そして間もなく分かったのは、それが、家畜として改良された後に突然変異を起こし、野性化したある種の鳥を媒体としているという事、そして……“改良”されている生物の身体のみに取り付く病だという事だった。

 国王はすぐさま、その鳥を絶滅させよと命令を出した。だが、総生息数も生態も分からないものを絶滅させるなど、不可能な話だ。肝心の治療法も見つからず、ヤールフェノルも、彼らによって改良された生物達も、次々に発病して死んでいった。

 “改良”者の無い他国民は感染しないと分かると、親交のあった国の中には医師を派遣して、この尊い知の国を救おうとする所もあった。しかし、無駄だった。所詮、ヤールフェンに勝る医学力を持つ国など、どこにも無かったのだから。

 人口の殆どが失われ、ついに国王も王妃もこの病で逝去すると、一人子の王子が、まさにその歴史を終えようとしているヤールフェンの王座に就いた。

 その時彼はまだ一四歳……そう、お前と同じ歳だったそうだ、ルヴァ……


 実質的に国は滅んでいたが、とにかく即位は形式を踏んで執り行われた。

 そして新王は、最初にして最後の国事として、交流のあった全ての国に向けて親書をしたためた。そこには、二つの事柄が記されていた。一つは、国名をニルフェンと変える旨の告知、もう一つは、かつてニルフェンという国、ニルフェノルという民のあった事を、どうか記憶と記録に残してほしいという懇願だった。

 栄光の名を捨て、恥と悲しみの籠もった名を祖国に付けた時点で、少年王はもう正気を失いかけていたのかもしれない。その上、“ニルフェン”として歴史に留まりたいと願うなど、混乱した執念の現れとしか考えられないだろう。彼の願いは聞き届けられたが、当時親書を受理した国々は皆、その内容に戦慄したと言われている。

 ……だが、親書が他国に届く前に、残された僅かなニルフェノルも、王を含め全員が絶命していた。こうして輝かしいヤールフェン……ニルフェンは、終焉を迎えたのだ」



 ルヴァは恐れと驚きに震えながら、父の話を聞いていた。どこで道を誤ったのか分からないまま、病に侵され滅んでいったニルフェノル。狂気じみた執念にとり憑かれた親書を、死の間際までしたため続けた少年王。

 全ての文明に終わりがあるとはいえ、比類無き知識と知恵を誇っていた者の、これは、余りにも悲惨な末路だった。


 「ルヴァ?」

名を呼ばれて、少年は我に返った。

 その青ざめた顔を見つめながら、父は静かに言う。

「やはりな……誰よりも知を愛しているお前にとっては、衝撃的な話だったろう。そう思えばこそ私は、ニルフェン関連の蔵書を他へ移し、敢えて話題にするのも避けていたんだよ」

「父さん……」

 少年の声までもが、震えを帯びている。

「だが、もうお前は自分で物が考えられる年齢だ。先人の栄光も誤りも受け入れて、更なる知の高みを目指してほしい。

 困惑している息子を励ます様に、父は書棚の奥から文箱を取り出し、鍵を開けた。

「来年になれば、私たちの元を離れていくお前だ。少し早いが、私からの餞としてこれをやろう」

 そう言いながら手渡されたのは、特殊シートで密封された、一枚の古い書類だった。

「これは?」

「ニルフェン親書の草稿……王直筆による、実物だ」

 思わずルヴァは、その書類を取り落としそうになった。

 父は誇らしげに説明し始める。

「親書は十通ほど書かれたというが、博物館に納められた一通以外はもはや現存していない。幾ら保存性に優れた用箋を開発し、送り先の国で大切に保管されていたと言っても、五千年は長過ぎる年月だからな。この草稿はニルフェン遺跡の中でも、偶然が重なって非常に気密性の上がった書庫から発見された。私はその発掘に関わった功績を認められて、特別にこれを与えられたんだ」

 少年は、自分の手にある書類を見つめた。どんな材質かは分からないが、五千年の時を経てまだそれは判読できる状態を保っている。そこに記された見慣れぬ文字は、少しの乱れもなく整っていて、とても狂気に近い少年の書いた物とは思われない程だった。

 「こんな貴重なものを……」

「餞だと言っただろう。これから果てしもない知の世界に乗り出していくお前に、期待と励ましを込めた私からの贈り物だ」

 暖かい慈しみの眼差しに合い、ルヴァはそれを受け取るしかなかった。



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