風紋の朝(あした)・6


6.


 砂漠惑星のオアシス都市は、砂塵を防ぐための高い壁で覆われている。そこから外に出る門は、いつもは出入りが自由だが、例のディラスが目撃されたためだろう、今日は物々しく銃を構えた見張りが立っている。

 日没が近いので、外へは出して貰えないかもしれないとルヴァは気を揉んだが、丁度交替の時間が来たらしく、見張りがその場を離れたので、こっそり門を開けて出る事ができた。

 見渡す限りの砂の大地が、うねる様な山々の隆起を経て、遥かな地平線まで続いている。用もなく、また、乗り物にも乗らずに訪れる者は殆ど居ないこの砂の世界を、ルヴァは一人で考え事をしたい時や、単にぼんやりしたい時に、よく訪れていた。

 無論、壁の周囲を巡るくらいで、徒歩で遠出する危険を侵した事はない。だが、それだけでも、閉ざされた都市内では得られない、新鮮な発想が生まれてくる。砂漠という、人間を圧倒する存在を目の当たりにする事が、日常に埋もれがちな思考に、いい刺激となるのだろう。

 しかし、今日はいつもの様に、楽しみで考え事をしているのではない。

 父に教わったニルフェンの歴史が、ルヴァの心に、深い傷の様に刻まれていた。一体彼らは、どこで間違ったのだろう。最後の王となった少年は、どうしてあんな矛盾した親書を残したのだろう。本当に理性を失っていたのだろうか……

 その時、彼の踵を鋭い痛みが走った。

 思わず膝を付いたルヴァの視界に、黒く小さな生き物が逃げていくのが映る。

「しまった!」

 それは、サソリだった。その針から身を守るため、都市壁から外に出る者は必ずブーツに履き替えていくのだが、彼はそれをすっかり失念し、街中用のサンダルのまま出てきてしまったのだ。

 痛みだけでなく、動悸が異様に速くなっているのが感じられる。ルヴァは急いで街に戻ろうとした。すぐに手当を受けないと、サソリの種類によっては命に関わる事もあるからだ。

 だが、振り返った所に門はなかった。

 いつも以上に考え事に耽っていたのか、知らぬ間に都市壁から離れ、砂漠に足を踏み出していたらしい。それにしても、見えない程に離れるなんて、そんなに歩いただろうか……

 足の痛みが益々強くなり、ルヴァは考えに集中できなくなっていた。折から強い風が吹き始め、舞い上がる砂塵に、夕日さえも薄暗くなってしまう。砂嵐という程の規模ではなさそうだが、砂漠の風は侮れない。少年はターバンの端で顔を覆い、薄目を開けて進むべき方角を探った。

 前方、少し離れた所に、青い建物が見える。ルヴァは砂地を一歩一歩踏みしめて、そこに近づいて行った。どういう訳か、足の痛みは少しずつ退き始めていたので、程なく彼は大きな石造りの建物にたどり着いた。

 

 見た事もない、それでいてどこか馴染みのある気もする様式。壁も床も天井も、飾り彫りが施されて、まるでどこかの宮殿の様に重々しく壮麗である。

 「一体、私はどこに着いてしまったんだろう……」

 心細げに呟きながらも、ルヴァはその中に入っていった。とにかく医者を見つけ、足の治療をしてもらうのが先決である。

 しかし、立派な広い廊下をどんなに歩いても、誰にも行き会わない。思い切って幾つかの部屋を覗いてみたが、そこにも人の姿は無かった。

 いや、姿だけではない。声も音も、気配すらしない。

「……どうしてしまったんだ、ここの人たちは」

 ルヴァは困惑した頭の中で、しかし何故か、自分がその答えを知っている様な気がしていた。ただ、それがはっきりと思い出せないでいるのだ。


 数え切れない程の無人の廊下を、広間を、部屋を抜け、ついに彼は、宮殿の最深部と思われる書斎に着いた。父の書斎を大きくした様なその部屋の、一番奥の暗がりに、一対の机と椅子が置かれている。

 そこに、立派な服装をした少年が座っていた。燭台の明かりを頼りに、何か書き物をしている様だ。

「誰か、そこにいるのか」

 少年は、顔も上げずに聞いてくる。

「あ、あの、私は……」

「誰でもよい、こちらへ参れ」

 有無を言わさぬ口調に、ルヴァは恐る恐る進み出た。机の少年はうつむいたまま、書き終えたものを見直し、一人うなずいて印を押した。

「この親書を、我が友好国へ届けよ」

そう言ってこちらを見上げた顔に、ルヴァは思わず息を呑んだ。

 少年は、自分と瓜二つだったのである。

「……何をしている、早く行け!私にはもう、時間がない」

 苛立った様に怒鳴りつけると、少年はまた机に向き直る。明かりに浮かび上がる横顔を見つめながら、ルヴァは震える声で聞いた。

「親書……まさか、あなたは……?」

「なぜ震えている。私がお前と同じ顔をしているからか」

 少年はゆっくりと立ち上がると、ぞっとする様な微笑を浮かべた。

「それは当然だ、ルヴァ。私たちは、同じ者なのだから」

「……同じ……者」

「私はニルフェン王、お前と同じ、知への飽くなき欲望に生きた者だ。ルヴァよ、我らニルフェノルの同胞よ。愚かな知に生き、恥の中に身を滅ぼす運命にある者よ!」

 いつの間にか少年王の背後の闇が薄らぎ、そこに何万もの病んだニルフェノルの姿が、映し出される様に現れた。

 “改良”された者たちらしく、逞しく知的な風貌をしているが、一人残らず苦しみ悶え、次々と絶命していくのが、はっきりと見て取れる。

「さあ、この怨念を他の国々へ、そして後世へ伝えるのだ。私にはもう……時間が……」

 そこまで言い掛けると、王は突然胸を抑え、激しく咳き込み始めた。体を二つに折って苦しむ王の頭上から、羽音が聞こえてくる。はっとして見上げたルヴァの目に、高みから舞い降りてくる白い鳥の姿が映った。

「あれは……変異種!」

 鳥が近づくにつれて少年王の苦しみは激しくなっていく。ルヴァと同じ顔が、次第に死相を濃くしていく。それを見るに耐えず、それでいて目を離す事もできず、ルヴァはただ、おののきながら立ち尽くしていた。

 「寄る……な」

苦しい息の中でニルフェン王は鳥を追い払おうとしたが、鳥はためらう様子もなく近づいてくると、ついにその肩に降り立った。

 恐怖にひきつった少年王の視線が、瞬間、ルヴァを捉える。

「同胞よ!」

そう叫びながら、王はルヴァに手を差し出した。

 ルヴァは悲鳴を上げ、その場を逃げ出していた。

「違う!私は、あなた方の仲間なんかじゃない!」

 耳を聾さんばかりの轟音が周囲を覆う。青い石造りの壮麗な宮殿は、内部から崩れ始めていた。

「私は、ニルフェノルじゃない、知識も知恵も、欲しいなんて思わない!」

 倒れてくる壁、落ちてくる天井を避けながら、迷宮の様に入り組んだ建物を、彼は必死で抜け出した。そして砂上に出ると、手に持っていた本を地に叩きつけた。

「いらない、もう、いらない……!」

 それが、風に流された砂に覆わていくのを見届けると、少年は強風の中をなおも走り続けた。

 宮殿のあった場所からだいぶ離れて、やっと足を止め、息をつく。砂漠は、既に夜を迎えていた。肌寒さに身を強張らせながら、辺りを見回したルヴァの目に、ほんの数十歩の距離にある青い建物が映った。

 
 一声悲鳴を上げると、彼は意識を失った。



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