大切な日3・2

2.


 自分に関わる事だというのに、気づくのはいつも、この者の方なのだな……

 いつものように館を訪れていた青銀の髪の若者が、帰る間際になって切り出した話を聞きながら、闇の守護聖はそんな事を考えていた。

「来月の、クラヴィス様のお誕生日ですが……あの、宜しければ、夕食にお越しになりませんか? ささやかながら、お祝いをさせて頂きたいのです」

訴えるような碧い眼が、恐れとも期待ともつかない強い感情に揺れている。

 若者が今日、何かを言い出そうとしては躊躇うように、幾度も溜息をついていたのを、クラヴィスはぼんやりと思い出していた。

(誕生……日)

暗色の安楽椅子に体を委ねながら、闇の守護聖は記憶の糸を手繰ってみた。

 この前祝いの曲を奏でられたのが、遠い昔のようにも、また、つい最近の出来事だったようにも感じられる。

(私が世に生み出された日付であり、そして……なぜかリュミエールが喜ぶ日付でもある……)

 切れの長い双眸と共に、クラヴィスの意識は、水の守護聖から窓外の夜空へ、そして自分の中へと向けられて行った。

 水の館には何回か赴いた事があるし、そこで夕食も二、三度振る舞われたように思う。誕生の日付と夕食の間にどのような関係があるのかは分からないが、リュミエールがここまで緊張するほど、それは特別な事なのだろうか。

 そこまで考えてから、闇の守護聖は心中で自嘲した。所詮、他の者の心情など量れるはずがない。ともかく、自分にとってこの招待が、取り立てて問題にするほどのものでない事だけは確かだ。

「別に……構わぬが」

「ありがとうございます!」

眼を閉じたままの無表情な返答に対し、水の守護聖は、心底嬉しそうな声で礼を言う。

 しかし、それで終わりではなかった。

「あの、それで……もし宜しければ、ルヴァ様やカティス様たちも、ご一緒に……」

(何……?)

黒衣の男は驚いて瞼を上げ、リュミエールを見つめた。

 毎日のように側にいる、この青銀の髪の若者と共に過ごすのに、全く不都合はない。一人で過ごす時とほぼ同じ振る舞いで構わないのだし、美しい音で満たされた空間はむしろ、一人より心地良くさえ感じられるのだから。

 だが、他の者が同席するとなると、事情は異なってくる。

 以前、成り行きでカティスの館に行った時は、幸いあまり居づらい思いをしないですんだが、だからといって、一人――あるいはリュミエールと二人――の時よりも過ごしやすかった訳ではない。

(お前は、ああいった場を設けたいと言うのか……)

気が滅入ってくるのを感じながら、クラヴィスは茫然と水の守護聖を見返した。

 すると突然、若者は前言を撤回してきた。

「いえ、やはり他の方はお呼びしない事に致します。申し訳ありませんでした」

「……そうか」

慌てて謝る姿に、事情が飲み込めないながらも安堵を覚えて、闇の守護聖は大きく息を付いた。






 それから曜日が一巡り近く経った平日の夜、私邸でくつろいでいたリュミエールは、ふと思い出したように家令を呼び出した。

「あの……」

穏やかながら真剣な声の響きが、事の重要さを示している。

「この間お願いした食材は、調味料なども含めて、確かに注文してありますね? 当日や前日に届けさせる生鮮品は、もし何かあっても大丈夫なように、二重三重に手配したのですね?」

「はい、リュミエール様」

 落ち着いた微笑で答えられて、若者はようやく自分がこの問いを、毎日のように口にしているのを思い出した。

 青銀の髪に縁取られた、色素の薄い面が、ばつの悪そうな紅に染まっていく。

「どうか、悪く思わないで下さい。決して、あなたを疑っている訳ではないのです」

 だが家令は、温かな表情のまま頭を振ると、控えめに言葉をそえた。

「とんでもございません。お尋ねを受けるたびおに気持ちが伝わり、私どもも一層気が引き締まる思いが致します。クラヴィス様のお誕生祝いの折りには、心を尽くしておもてなしさせて頂きます」

「……ありがとう」

水の守護聖は安堵したように答え、家令を下がらせた。




 少し気を落ち着けようと窓辺の椅子に掛け、竪琴を手に取る。

 しかし、流れ出した旋律は、やはり誕生祝いのための曲だった。

(そういえば、カティス様たちは、もう贈り物を決められたのでしょうか……)




 月の曜日に、ちょうど先日の三人が居合わせたのを見つけたリュミエールは、都合で祝餐を差し向かいでする事になったと――本当は、闇の守護聖があまりに不愉快そうな顔をしたので、先輩たちを呼ぶのを諦めたのだが――申し訳なさそうに報告した。

 カティスたちも、大体の成り行きは予想していたらしく、全く気にしない様子で頷いてくれたが、贈り物については、まだ迷っているという。

『飲む奴にだったら、旨い酒っていうのが、まず間違いない所なんだろうけどな』

『はあ……私もね、古いタロットの図版集でも、捜してみようかとは思っているんですが』

そう言いながら、緑と地の守護聖はどこか浮かない表情である。

 そこに“今回パス”の夢の守護聖が声を掛けてきた。

『だったら、それで決まりにすればいいじゃない。なに気にしてんの?』

 するとカティスは、珍しく長い息を付いて言った。

『しかしな、長い間祝ってやれなかったのを考えると……まあ、あいつの方は気にしてないかもしれないが、こっちの気持ちとして、もっと何かこう、特別なものを贈ってやりたいんだ』

『そうなんですよねー。とは言え具体的には、何も考えついていないんですけどね』

『ふーん、好みもよく知らないのに、ありきたりのものは嫌だってワケ?』

オリヴィエは呆れたようなポーズをすると、リュミエールの方に向き直った。

『ねえ、この贅沢な人たちに恵んであげられる手がかり、何か持ってる? ほら、クラヴィスが愛用してる物とか、インテリアの傾向とか……そうだ、自分の誕生日には、何をもらったの』

『それは……』

答えかけた水の守護聖の傍らで、カティスとルヴァが同時に思い出し笑いを浮かべた。

『そいつはな、オリヴィエ。他の奴には、なかなか真似できない物だよ』

『だから何だったわけ? ちょっと、笑ってないで答えなさいよ』

『うーん、どう説明したらいいんでしょうね。物というと正確ではないのですが、時間というか機会というか、ともかく、物質という事に拘らない自由な発想で、相手の喜びそのものを主眼に据えてですね……』

『だーかーら、何だったって聞いてんの!』

 まどろっこしい説明に、かえって好奇心が刺激されたらしく、夢の守護聖は苛立ったように叫んだ……




 そのようなやり取りを経て、“普段より長く演奏を聞いてもらえる機会”という、贈り物の正体がカティスから紹介されると、四人はまた黙り込んでしまったのだった。




(お酒でも本でも……あの方たちから贈られれば、お喜びになるでしょうに)

先輩たちの気遣いを、自分事のように嬉しく思いながら、リュミエールは竪琴を奏で続けていた。

 お気に入りの椅子のお陰か、練習も随分進んでいるように感じられる。

(11月11日まで、あと……)

居間の暦に眼を向ける優しい面に、夢見るような微笑が浮かんでいた。


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