DIAMOND FLAME2-3

3.


 僅かな光を感じて、オスカーは片目を開けた。

 天井の高い彼の寝室では、厚いカーテンで覆われた窓が朝を閉め出している。その窓辺に立ち、カーテンをごく細く開けて外を見ているセイランが目に入った。

 無造作にシャツをはおった華奢な身体は、やがてカーテンを閉じると、奥のドアへと消えて行く。

 微かに響いてきたシャワーの音を聞きながら、オスカーは再び目を閉じた。誰かと共に迎えた朝には、前夜の事をゆっくりと思い出して記憶に書き込むのが習慣なのだ。

 ところが、今朝はそれが出来ないのに彼は気付いた。何も思い出せない。いや、全く記憶が無いと言うわけではなかった。セイランの上げた声を覚えている。髪を振り乱した瞬間も目に焼き付いている。それなのに、他に何も思い出せない。

 まさか……それほどに我を忘れていたのか。夢中になってしまっていたのか。

 目を閉じたまま自問していた彼の耳は、シャワー室から出てくるセイランの静かな足音を聞きつけた。

 音はベッドに近付き、止まる。枕元に腰掛ける軽い感触があり、横たわる男の髪にそっと手を延ばす気配がした。

 オスカーはいきなりはね起き、その手を掴もうとした。

 しかし、そこには誰もいなかった。ただ、廊下を遠ざかっていく足音だけが、微かに響いていた。




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 廊下からテラスを通って屋外に出たセイランは、そこで回りを見回した。

 館の周囲には、庭園と呼ぶにふさわしい立派な庭が広がっている。整えられた芝生も、丈高く繁る木々も、朝の光の中で瑞々しい生を満喫している。

 木立を抜けた所にはテーブルとベンチがあり、腰掛けると間もなく館から、給仕が飲物を尋ねに来た。

 ミネラルウォーターを頼むと、すぐに美しくカットされたグラスが運ばれてくる。朝露にも負けない煌めきを楽しみながらセイランは喉を潤し、そして、思いに耽った。



 言葉は、本当に不思議な力を持っている。たった一言が状況を、人の心を180度変えてしまう。言葉を生業とする者さえ……例外じゃない。

 それとも、言葉自体の力ではなかったのだろうか。

 ただ、それがあの時、あの人の唇から発せられると、いきなり心の中に暖かいものが流れ込んだ。どういうつもりで言ったのかも分からないのに、訳もなく幸せな気分がした。

 「閉ざされた空疎な心で、芸術なんて出来るものか!」

 理解……共感……したのか、されたのか、求めていたのか?

 分からなかった。分かるのはただ、その人の口付けの熱さを快いと、全身を包まれたいと思うほど快いと感じていた事だけ。

 そして、その思いは間もなく叶って……



 だが今、澄んだ朝の光に曝されて、夜は忽ち風化する。皮膚に筋肉に残る、濃密すぎる感触さえも、グラス一杯の水に洗い流される。

 それでいい、と思う。

 もう少しで、本気になっていたかも知れないから。




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 家令に客人の居場所を聞いたオスカーは、緑豊かな庭園の中をベンチへ向かった。

 朝日を浴びながら歩いていると、やがてグラスの置かれたテーブルが見えてくる。そしてその脇には、いつもと変わらないセイランの姿があった。

 まるで昨夜の事など嘘の様に清々しい表情で、藍色の髪を朝風に遊ばせている。

 オスカーは微笑みながら、とっておきの言葉を掛けようと口を開く。

 その時、門の方から元気な声が響いてきた。

「オスカー様、勝負!」

 しまった、と彼は思った。ランディに、今朝の剣術稽古は中止だと連絡しておくのを忘れていた。

 セイランが、くすりと笑って立ち上がる。

「あなたの爽やか少年が来たのなら、僕は退散した方が無難ですね……お招き、ありがとうございました」

 それだけ言うと、彼はランディの来る道を迂回するように、門へと歩き去った。

 「オスカー様、どちらですか!」

元気な声が近付いてくる。

 オスカーは黙って肩を竦めた。締まらない終わり方をしてしまった。せめてあと一度のキスを交わせていたら、もう少し格好が着いたろうに。

 胸に感じる未練も、そのためなのだろう……きっと。




 程なくセイランは、オスカーと再び差し向かいになる機会もないまま、他の者達と共に聖地を去って行った。


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