映 月・2
2.
普段よりも紫系を増した装花、香りや色彩の美しさが味を一層引き立てている料理、このような時の為に買い置かれた強い酒――充分な準備時間があったとは言えないが、それでも、主をはじめとする水の館一同は、精一杯来客をもてなした。
その甲斐あってか、闇の守護聖も寛いだ表情で、珍しく人並みの食欲を見せてくれている。
ただ時折、彼の暗色の瞳が、何かを思い出そうとするように宙に向けられている事に、リュミエールは気づいていた。
和やかな晩餐が終わると、青年はいつものように竪琴を奏でるべく、客を居間に誘った。
しかしクラヴィスは軽く頭を振ると、こう言い出した。
「外で……聞きたいのだが」
「庭で、ですか? かしこまりました」
水の守護聖は意外そうに、だが気分を害した様子もなく答えた。
雲一つない漆黒の夜空から、円い銀盤が明るい光を投げかけてくる。木立や花壇、それらの間に設けられた水路や人造池を夜目に眺めながら、二人は歩いていった。
やがて館の影も見えなくなった頃、闇の守護聖は、池を臨む東屋の前で足を止めた。
「……ここで、お聴きになりますか?」
月明かりの下、淡い銀の光を放つ髪を揺らし、リュミエールが尋ねる。
黒衣の男はゆっくり頷くと、呟くように言った。
「昼間、最後に奏でた曲を」
クラヴィスが備え付けの椅子の一つに腰を下ろしたので、水の守護聖も向かいのベンチに掛けた。
水路からの流れを受けて細かく波立つ黒い水面に、形の定まらぬ銀白の光が、大きく映り込んでいる。
その光景を眺めるともなく眺めながら、リュミエールは竪琴を構えた。
穏やかでありながら、強い生命を感じさせる調べが、静かな月夜の池を巡って流れていく。
自らの奏でる音に集中していた青年は、次第に、記憶の奥から何かが現れてくるのを感じていた。
(……闇)
音の波間に、影のように垣間見えている、果てしなく広大な、黒。
(違う、あれは……海)
リュミエールは、声を出さずに呟いた。
まだ十歳にも満たぬ子どもの頃、夜中にふと目が覚め、眠られぬまま窓を開けてみた――恐れずに夜の海を見られた、最後の記憶だ。
そうして外の光景を眺めていた幼い自分が、次第に何かの思いに囚われていったのを、青年は朧気に思い出していた。
(『あれほど――なのに、どうして!』)
予見のように遠く、しかし深く激しい寂しさと憤りが、心を締め付ける。
だが、何をそれほど嘆いていたのか、肝心の内容がどうしても思い出せない。
ただその痛みだけが、風化した形のまま、今も心のどこかに刻みつけられている。