月光浴・2
2.
銀色の光の下で、彼の人は幻想的なまでに美しかった。
肩を流れる黒髪は濡れたように輝き、磁器と見まごう白皙の面には、リュミエールの胸から離れる事のない端正な面差しが、僅かに動揺の表情を見せている。黒衣の上に無造作に掛けられた黒い上布には、控えめに銀糸が織り込んであるらしく、漆黒の中に細かく煌めく星々が、丈高い全身の輪郭を煙らせている。
「クラヴィス様……」
「夜更けにこのような場所で、何をしている」
リュミエールは、海色の目を見開いた。
元来この闇の守護聖は、他人の行動を気に掛ける性質ではない。ましてそれを、言葉にして問い正すなど、異例中の異例である。
それはまた、当のクラヴィスにとっても等しく驚きだったらしい。自分がこのような問いを発したのが信じられないように呆然として、こちらを見つめている。
どれほどの間、そうして見つめ合っていたのか知れず、不意にクラヴィスは振り切るように踵を返した。
「……お待ち下さい!」
リュミエールは、縋る思いで叫んでいた。
「どうか、行かないで下さい。お邪魔でしたら、私が帰りますから……」
黒衣の男は、踏みだしかけた足を止めた。
その背に向かって、青年は赤い実の付いた小枝を差し出す。
「せめて、これを……紅玉の実です。窓辺の飾りにでもして下さればと思い、先ほど手折っておきました」
長い一呼吸を置いて、クラヴィスはゆっくりと振り向いた。
「私のために……か」
「はい」
まっすぐに相手の目を見返し、強いて微笑を浮かべながら、リュミエールは答える。
緩慢な動作で小枝を受け取ったクラヴィスは、暫く赤い実に視線を向けていたが、やがて静かに口を開いた。
「リュミエール、知っているか……最高級の紅玉の色は、"鳩の血"と称されるそうだ」
表現の禍々しさに、青年の微笑が少しく失われる。いかに鮮やかな色の血を有しているとしても、平穏な庭園の風景に似つかわしいあの鳥が、その様に名を使われるとは。
「……この実は、お前に似合わぬ」
闇の守護聖は、呟くように続ける。
「寧ろ、同じ木に咲く花の方が相応しい。白く清らかで、汚れを知らぬ……」
「クラヴィス様……?」
相手の真意を測りかねて問い返す青年に、クラヴィスは突然告げた。
「帰れ」
肩を流れる水色の髪が、びくんと波を打つ。言葉の厳しさもさる事ながら、その声に現れた苦悶の表情に、リュミエールは驚いていた。
この人がこれほどに感情を露わにするのを、今まで見た事はなかった。何が起きたのかは分からないが、こんな状態で一人で置いておく訳にはいかない。
(クラヴィス様の心身の安全を見届けるまでは、帰れません。例え拒まれようと……嫌われようと)
相手が動こうとしないのを見て取ると、闇の守護聖は再び背を向けた。
立ち去ろうとするその後ろに付き従おうと、リュミエールが一歩を踏みだした時、呟くような低い声が流れてきた。
「何故……お前は、このような事をする?いつも、何の見返りも無いというのに、私の側に留まり、私を慰めるために竪琴を奏で、私のために気を配り……それなのに……」
背に沿う艶やかな黒髪が、すっと下がる。闇の守護聖は、残酷なまでに輝く月を見上げながら続けた。
「それなのに、私が欲するのは……お前を害する事ばかりだ。優しさの代わりに束縛を、気遣いの代わりに蹂躙を……!」
自己嫌悪を通り越した絶望が、その声には顕れていた。
(クラヴィス様……)
束縛や蹂躙といった言葉がどんな事を指しているのか、リュミエールにはよく分からなかった。
ただ、先刻よりも更に辛そうな声の響きが、心を激しく締め付けている。
大切な方のためにと思ってしてきた事が、全て逆に働いていたのだろうか。理由が分からないからといって、これほどに負担に感じ、苦しんでさえいらっしゃるとは。
(ただ一言……本当の事を告げられたなら……理由は……理由は……)
「……クラヴィス様を、お慕いしているからです」
心で呟いたはずの言葉が、何故か、声になって出ていた。