月光浴・3

3.


 振り向いたクラヴィスの驚愕した表情を見て、リュミエールは逃げ出したい衝動に駆られた。

 しかし、まるで月明かりに影を縫い止められたかのように、足が動かない。

「……何と言った」

 逃げられない。真実を、否定する事もできない。

「お慕い……している……と」

 白銀の光を受けた紫の瞳に、瞬間、恐ろしいほどの光が走った。

 だが、それはすぐに消えて、瞳は元の暗色を取り戻す。

「気の迷いか……月に酔ったな」

 古来、満月の光をあまりに長い時間浴び続けると、心が平衡を失うという。闇の守護聖はそれを思い出したのだろう。

「いいえ!」

 青年が激しく頭を振ると、その水色の髪が、惜しげもなく銀の輝きを振りまいた。一度堰を切った水が留まる事を知らないように、想いが言葉となってあふれ出す。

「迷いなどではありません。私はずっと前からクラヴィス様を、クラヴィス様だけを見つめて参りました……」

「リュミエール!」

 闇の守護聖は、窘めるように鋭く呼び掛けた。心持ち見開かれた暗色の双眸が、何かを抑えるように、そして恐れるように揺らめいている。

「もし、それが……真実なのだとしたら、なおのこと……私は、お前に相応しい相手ではない」

 リュミエールは、理解できないというように、目を見開いた。そこにはいつしか銀の光が、細かく刻まれながら浮かんでいる。

「何故です……どうして、クラヴィス様が……」

「お前は、分かっていないのだ……この心の奥に秘めている、暗い欲望が求めるものが……心だけではないという事を」

 クラヴィスは、つと目を逸らし、湖面に映る月を見つめながら続ける。

「お前はただ、純粋に好意を寄せてくれているのだろう。だが、それを受け入れてしまったら、私はきっと、歯止めが利かなくなる。お前への想いが故に、お前を傷つけずにはいられない……私はそういう人間なのだ」

 最後は掠れて、辛うじて聞き取れるほどの囁きに近くなっていた。

(心だけではない?……私への……想い?……傷つける?)

 目眩がするほどに嬉しい言葉と、その前後の苦渋に満ちた言葉に、リュミエールは混乱していた。

「クラヴィス様……私には、おっしゃる事が……」

黒髪の守護聖は、大きく息をついて、顔を伏せた。

「……分からぬか」

「申し訳ありません……」

 さぞかし呆れられただろうと思いながら、青年は頭を下げる。

 するとクラヴィスは、紅玉の実を一つ、枝からつまみ取った。

 オリーブを一回り小さくしたほどのそれを、長い二本の指に挟むと、リュミエールの口に近づけていく。

 (クラヴィス様……!?)

 自分に食べさせようとしているのかと思った青年は、驚きながらも素直に口を開く。

 しかし、それは中に入らず、唇に軽く押し当てられるに留まった。

 そして、指に挟まれたままゆっくりと、その上を滑り始める。

 リュミエールは、動揺を隠さずにクラヴィスを見つめた。

 闇の守護聖は、指先に細心の注意を払うためか、瞳を半ば閉じている。微かに顕れた表情は、悲しげにも、何かに酔っているようにも見える。

 果皮の滑らかさと、その中の張りつめた感触──それらは、必ずしも不快なものではなかった──が、やがて上下の唇に知らしめられると、赤い実は少しだけ、口内に押し入れられた。

 (あっ……)

粘膜に当てられた感触に、リュミエールは思わず息を飲む。


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