君に・2
やがて社長専用階に着くと、秘書が二人を見つけて立ち上がった。
「お客様ですか」
「ああ。コーヒー……と、何ぞ癖のないミネラルウォーター、見つくろうてや」
「かしこまりました」
秘書の礼を受け、毛足の長い絨毯の上を少し進むと、社長室の扉が見えてくる。
「書類やら何やら散らこうてるけど、まあ入ってや」
前にも同じ様な事があったと思いながら、青年は扉を開けた。
三方に大きく窓を設けた、広く眺めのいい社長室の中央に立って、セイランは興味深そうに周囲を見回している。
「街中でも、これくらい高い階だと、空が綺麗に見えるね」
「セイラン!」
いらだったように声をかけると、若者は、何の含みもない表情で向き直った。
「あ、せやからな……とにかく座ってや」
チャーリーは、若者と相対して応接セットに就きながら、珍しくも口ごもっていた。
(正直に『会いたかった』なんて言うてしもたら、理性も吹っ飛んで、歯止め効かんようになってしまうかもな……あかん!それは、さすがにまずいで)
しかし、そうなると今度は、何を言ったらいいか分からない。悩んでいるうちに、先刻から気になっていた疑問が、きつい口調で唇から飛び出してしまった。
「どないしてここが分かったんや?あのホテルのメッセージ、読んでへんのやろ?」
平然としたセイランの返事が、テーブル越しに流れてくる。
「ああ、何か置いておくって言ってたね。でも、必要なかったから」
「必要なかったて……ほなら、最初から分かってた言うんか!?」
その時、秘書が静かに部屋に入ってくると、テーブルにミネラルウォーターとコーヒーを置き始めた。
藍紫の若者は、相手にクスリと笑いかけながら答える。
「ただ者ではない事だけは、すぐ分かったよ。それに、身に着けてるものに、さりげなくウォン財閥のシンボルマークがあしらってあったから、ここの関係者だろうとは思っていた」
(そないに、見え見えだったんか)
動揺する心を少しでも静めようと、チャーリーは熱いコーヒーを一口含んだ。
「でも決定的だったのはね……君が『王者のリネン』を使っていたからさ」
ウォン財閥総帥の口から、ぶっとコーヒーが吹き出す。
『王者のリネン』とは、ある惑星の限られた産地でしか収穫できない、非常に高価な麻織物の通称である。この宇宙でも最高品質とされ、ごく限られた階層以外の目には触れる事もないほど希少だが、それだけに使用感は素晴らしく、疲労回復の効果も高い。
女王試験の協力という責任重大な任務を開始するにあたって、チャーリーは普段使っているそれを数枚取り寄せ、聖地近くのホテルに持ち込んで使っていたのだ。
「何で、あんたがそれを……あっ!?」
濡れた上着を秘書に渡しながら、チャーリーは叫んだ。
硬い表情で去っていく秘書を見送ると、セイランは面白がるような表情で答えた。
「うん、君のベッドを使わせてもらった時の感触が、妙に記憶に残っていたんだ。あれは『王者のリネン』以外にありえないね……まったく、そんなものを持ち歩きながら、あんなに楽しそうに露天商をやっているなんてさ」
そこで若者は、相手をまっすぐ見つめると、驚くほど優しい微笑と共に告げた。
「青年総帥にして、稀代の変わり者と名高いチャールズ・ウォン、君しか考えられないじゃないか」
答える言葉も失ったまま、チャーリーは、呆然と若者を見返していた。
(あんた、自分で見つけてくれたんか、俺を……俺の全部を)
驚きに引き続いて、心の奥が、しびれるように温かくなっていくのが感じられる。
ウォン一族。財閥総帥。身元不明の女王試験関係者。気楽な露天商。全てを矛盾無くつないで、ここまでたどり着いてくれた……
(……何や、吹っ切れたようやわ)
もしこの家系に生まれていなかったら、この地位になっていなかったらなどという仮定に、意味などないのかもしれない。
宇宙中を結ぶ商売に感動した子どもも、気楽できままな露天商も、この部屋で財閥を統括する総帥も、最初から紛れもない自分なのだから。
どんなに多くの面を持っていようと、結局いつも自分は、“人様に喜んでもらえる商売”という、この上なく単純で困難な事に挑戦しているだけなのだから。
(ああ、総帥だろうと露天商だろうと変わらへん。もう迷わへんで、それらみんな引っくるめたんが、俺いう人間なんやから!)
チャーリーは、大きく息をつくと、嬉しそうに言った。
「……ありがとな、“俺”を見つけてくれて」