遠い夜と白い朝・3−2


 「怒りも弱みも認めないような、不自然な自制を、死んだ人たちは望んでいると思う?ありのままの君と接してきた部下たちは、いったい誰を慕っていたんだい?」

 厳しい口調での問いかけに、ヴィクトールの鳶色の双眸は、驚きと困惑の表情に染まっていった。

「それは……」

「君が自分にさえ本音を出せず、守るとか大事にするとかいう使命感を言い訳にしなければ、人を愛す事もできなくなったのを、彼らが喜んでいるとでも……」

セイランの声が、そこでふっと途切れ、掠れた苦しげな呟きに変わった。

「……僕は、嫌だ!」

 感情の重さに耐えかねるように俯いてしまった若者の、藍紫の髪を見つめながら、ヴィクトールは衝撃を受けていた。

 このようなセイランの姿と、彼の言った内容の両方に。




 怒りも弱みも認めない、自分にさえ本音を出せない……

 自覚していなかった訳ではない。生き残った責任を考えて、意識してそうしてきたのだから。

 本心を押さえつけ、模範的な人間の型に押し込めて、少しでも“一人生き延びるに相応しい男”に近づこうとしていた。

 だが、これで本当に、良かったのだろうか。




 厳しい作業は、時として逃避に繋がる。

 務めとして心がけてきた自制が、いつの間にか目的を見失い、ただ自分の気が済むだけのために、過剰になっていったのだとしたら……




 「聞いてくれ、セイラン」

しばらく考え込んだ後、男は静かに、だが強い意志のこもった声で、話し出した。

「これから俺は少しずつ、自分の感情を大事にできるように、努力していこうと思う。形じゃなく本心から“生き延びるに相応しい人間”になりたいんだ。これまでよりずっと困難で、一生掛けても叶わない事なのかも知れんが……だがそれが、本当の責任というものだろうし、お前にも嫌な思いをしてほしくないからな」

 どうして自分は、こう紋切り型の言い方しかできないのかと思いながら、精神の教官は、俯いた若者の細い肩を見つめた。

 『守るとか大事にするとかいう使命感を言い訳にしなければ、人を愛す事もできなくなった』……

 守りたいのも大切にしたいのも、本心である事に変わりはない。愛していると、既に告げてもある。

 だがそれ以外、綺麗事で済まされない様々な想いを、“生き延びた男”に相応しくないからと、自分は、どこか後ろめたく感じていたのだろう。

 二人の間の距離として、セイランが感じ取ってしまうほどに。




 ヴィクトールは一つ息を付くと、徐に手袋を脱ぎ、口を開いた。

「それに……お前に嫌われたくない」

何年ぶりだろうか、感情をそのまま言葉にした途端、彼は痛いほどの熱を、体中に感じた。

 セイランの細い肩がぴくっと動き、あの夜と同じように無防備な表情の顔が、ゆっくりと上げられていくのが見える。

「お前を、失いたくない」

更に言葉を続けている間に、華奢な身体は長椅子を離れ、静かに歩み寄って来ていた。

 ヴィクトールも立ち上がり、すぐ前まで来た若者の顔に、そっと手を添える。

 頬を滑る温もりに促されるように、藍紫の双眸が閉ざされると、男はその唇に口づけた。

 恋慕や慈愛や親愛、そして情欲、独占欲……全ての想いに突き動かされて、それは、長く激しい接吻となった。

 やがて、腕の中の若者が崩れ落ちそうになると、ヴィクトールはその細い背を支えながら唇を離し、掠れた声で告げた。

「お前が……欲しいんだ]


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