やわらかな腕・3
3.
「お早うさん!いいピクニック日和やね〜」
明るい声と共に正面扉が開くと、大きなバスケットを抱えた商人が、王立研究院のメインロビーに入ってきた。
「聖地はたいてい晴れてるよ、これから行く所がどうかは知らないけど」
先に着いていたセイランが、面白くもなさそうに答える。
いつもながら象牙のようになめらかな白い肌、僅かに緑がかった瑠璃の瞳は、濃いまつげに縁取られて、大きくも切れの長い輪郭を際だたせている。
「大丈夫、こういうもんは、幹事の日頃の心がけが物を言うさかいに」
「……雨天中止だね」
と若者が肩をすくめた時、奥の扉からエルンストがやって来た。
「お早うございます。揃われたようなので、今から移動装置までご案内します。ちなみに目的地の本日の天気は晴れ、気候は温帯の初秋レベルです」
「ほらな」
チャーリーは得意げに言うと、相手の肩に手を掛けようとしたが、既にセイランは主任に続いて歩き始めていた。
空振りした腕の向きを無理に変え、商人もあわててその後を追った。
二人が移動装置の部屋に入り、所定の位置に立ったのを確認すると、エルンストは小型の発信機をチャーリーに渡した。
「手荷物はそれだけですね。さて、一応ご説明しておきますが、これから通られるゲートは到着と同時に消滅し、6時間後に再び同じ場所に開くようにセットされています。別宇宙なので声や映像による通信はできませんが、非常の際にはこの発信機をオンにして下されば、信号をキャッチした係員が急行します。ご質問は……宜しいですか。では、お気をつけて」
「はいな、ご苦労さん」
商人は、傍らの若者に微笑みかけながら言葉を継いだ。
「さすがに別宇宙に行くとなると、ちょっとやそっとの遠出とは違うもんやな。この間はエルンストさん任せやったから分からへんかったけど……っと!」
言い終わらないうちに周囲の空間が震えだし、細かな光の粒に分解されると、目にも留まらない速度で流れ始めた。
気が付くと、二人は小川のほとりに立っていた。うららかな陽気の下、川原から続く岩場が両岸で土手のように盛り上がり、その向こうに丘が連なっているのが見える。
「ん……着いたんやろか」
目をこすりながら、チャーリーがぼんやり呟くと、セイランは黙って周囲を見渡し、うなずいた。
「そうだね、あの丘陵の形に見覚えがあるよ。向こう岸の森は、前に来た時、まだ数本の木が立っているだけだったはずだけど……」
言いながら若者は、一人で坂を上り始めた。
「あ、待っておくれやす!」
チャーリーは、手頃な岩にバスケットを置くと、急いで後を追い始めた。
(ちょっと目離したらすぐ、どっか飛んでいってまうからに、まるで糸の切れた凧……て言うか、そもそもまだ張ってないやん、糸)
自分の例えに自分でつっこみながら、ライトグリーンの髪の青年は、大きなため息をついた。
手を着いて登るほどではないが、なだらかとは言い難い長い坂を、セイランは身軽な歩みで登っていく。
少し遅れてその後をついていきながら、チャーリーも徐々に思い出していた。
(そうそう、ヴィクトールさんが水をくんだんは、確かにあの小川やった。そんで、この岩だらけの坂を登り切ると、確か上にはずっと、きれいな草地が広がってたはず……)
もうじき見えてくる緑の景色を思い、笑顔で坂の上を見やった青年の目に、弾かれたように後ろに飛びすさるセイランの姿が映った。
「な……!」
チャーリーは、とっさに岩場を駆け上がると、倒れかかってきた華奢な体を両腕で支えた。
「危ないやんか!斜面で足場も見んと下がるなんて、頭でも打ったら……」
心配のあまり思わず怒鳴ってしまった青年は、腕の中の顔に、はっと言葉を止めた。
(……セイラン!?)
元々白かった端正な面が、血の気を完全に失っている。普段なら仄かに色づいている唇も青ざめて震え、大きな瑠璃の瞳は、驚きと恐怖にひきつるように見開かれていた。
「……どないした、気分悪いんか?」
答は無かったが、とにかく平らな所に寝かせた方がいいだろうと判断したチャーリーは、すぐ上の草地に連れていこうと、若者の体を抱えたまま押し上げようとした。
「……だめ……だ」
それまでぐったりしていたセイランが、急にもがき始めた。
「頼むから、大人しうしてや。あんたを休ませるために、坂の上に連れてこうとしてんのやさかい」
「や……上には……あれが……!」
まだ意識がはっきりしない体で、それでも若者は必死で抵抗している。
その様子に何かを感じ取った青年は、足下の斜面に相手の体をそっと横たえると、発信機を手渡した。
「分かった、ここで休んでてや。俺はちょっと上を見てくる」
返事のない唇に掠めるようなキスを落とすと、チャーリーは再び斜面を登り出した。