やわらかな腕・4
4.
「うわ……」
青年は、目の前の光景に、思わず感嘆の声をもらしていた。
有毒ガスか地割れか、それとも危険な生物でもいるのかと、決死の覚悟で登った坂の上は、一面、美しい色に満たされていた。
そこは広大な、天然の花畑となっていたのだ。
大半を占めているのはコスモスのような形の草花で、その温かな朱をおびた深くも優しい紅色が、青空の下、秋風に無数の細波を寄せている様子は、まるで夢の景色のようだった。
(これはまた、きれいな眺めやなあ……って、見とれてる場合やない!早う、あの人を驚かしたもんを見つけんと)
だが、辺りを見渡しても、耳をそばだててみても、特に何かがあるようには感じられない。花々をかき分け地面を調べても、虫のようなありきたりの生物がいるだけで、別段危険は感じられない。
チャーリーはしばらく様子を見ていたが、結局分からないまま、再び坂を下っていった。
藍紫の髪の若者は、先刻の格好のまま目を閉じ、斜面の途中に横たわっていた。
足を低い方に向けているので転がり落ちる心配はないが、依然として青ざめた顔色のまま、華奢な体をごつごつした岩に委ねている姿は、ひどく痛々しい。
「お待たせ……どうや、気分は」
傍らに腰を下ろしながら声を掛けると、白い瞼が反射的に開きかけ、また閉じる。
「なあ、上に一体何があったん?俺には、花しか見えへんかったわ」
「……見たんだね」
呟くような返事が聞き取れず、チャーリーは若者の上にかがみ込み、耳を寄せた。
「え、何て?」
「あの花……あの花の下に、死骸を埋めたのに」
驚いて顔を下に向けると、表情の無い瑠璃の瞳が、真っ直ぐに見上げていた。
呆然としている青年の頭上を、坂の上の花々の、風にそよぐ音だけが流れていく。
「違う、ここじゃない……」
セイランはもう一度小さく呟くと、ゆっくりと体をずらし、半身を起こした。
「……そうか、やっと思い出した。あれは“陛下の贈り物”なんだ」
(え?……ええと……ああ、花の事か……)
試験も中盤の頃、女王陛下が宇宙中から花を集めさせ、“贈り物”として新宇宙に──環境に悪影響が出ないようにと、一種類ごとに最も適した惑星を研究院で選定した上で──移植させたのを、チャーリーは思い出していた。
(なるほど。ほな、あそこに咲いてたんは、俺たちの宇宙から持ってきた、本物のコスモスだったんやな……ちょっと変わった色目やったけど)
混乱しながらも何とか事態を理解しようと、青年はとりあえず、今分かった事を頭の中で確認した。
「でも……一体、どういう巡り合わせなんだろう」
掠れ掛けた声に籠もった、苦しげな響き。
はっとして見つめると、若者は、虚空を見つめたまま瞳を凍らせていた。眉は顰められて悲痛な影を作り、ぎこちない力が入った頬は痩けて震え、口の両端は引きつるように上がっている。
「……何百何千の“贈り物”の中から、よりによってあの花がここに植えられ、しかも今、この時に咲いているなんて……こんな風に、目の前に突きつけられるなんて!」
最後の一言は声にさえならず、ただ激しい喘ぎとなって唇を衝いた。
「セイラン!」
ただならぬ様子に呑まれかけながら、チャーリーは気力を振り絞って若者の両肩をつかみ、叫んだ。
「偶然やんか!事情は知らへんけど、“贈り物”のどれかがここにあったからって、因果を感じる必要なんてあらへん。そんな、偶然なんかに負けるあんたやないやろ!」
「うっ……」
セイランの細い首がのけぞる。
「やめ……折れそう……」
「あ、すまん!つい力が入ってもうた」
青年は、慌てて相手の肩から手を離した。
「ほんま、悪かったわ。あんたが取り乱しそうや思たら、俺の方が取り乱してもうた」
「……降りよう」
ぽつんと告げると、若者は先に立って坂を下り始める。
先刻よりいくらか落ち着きを取り戻したようなその様子に、ライトグリーンの髪の青年は、少しほっとして後を追った。
川辺に戻ると、先に着いていたセイランは、小川の傍らに片膝を付き、流れる水に触れていた。
(“詩人のきよらかな指”……か)
出会った時の事をぼんやりと思い出していたチャーリーは、ふと我に返ると、ことさら明るく声をかけた。
「なあ、もう昼は過ぎたみたいやし、そろそろ弁当にしてもええ?」