やわらかな腕・7
7.
新宇宙から戻ってみると、聖地も夕方になっていた。
二人はエルンストに礼を言うと、すぐ外出申請のため宮殿に向かったが、もともと今日は臨時の聖地入りだった商人と違って、セイランの外出には、補佐官はあまりいい顔をしなかった。
だがチャーリーの、巧みにして強硬な口添えの甲斐あって、“時間は夜半まで、移動は商人が常宿にしているホテルの館内まで”という条件付きで、ようやく許可が下りたのだった。
「……あのな、こういう条件を提案したから言うて、決して俺の下心とか、そんなんやないから、どうか誤解せんといてな。いつ試験が終了して、呼び出しが掛かるかもしれへん時やろ、せやからとにかく、聖地の門から近うて、おまけに普段から連絡先として知らせてあるこのホテルなら、ロザリア様も妥協してくれはる思うただけで、ほんまもう、全然それ以外、ヨコシマな考えとかあったわけやなくて……」
聖地からさほど離れていない町の一角にある、とある中流ホテルに向かいながら、商人はひたすらそんな事を言い続けていた。
セイランが食事を断り、ラウンジやバーも嫌ったので、結局チャーリーの部屋に行って話す事になってしまったのだ。
「僕は別に、何も言っていないんだけど」
無表情のまま、ため息混じりに答える若者に、青年は乾いた笑いを見せた。
「あ、あれ……そうやったん?それならええわ、あははははは」
ホテルに着いた頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。
自室のドアを開けて照明をつけ、正体の分かる物が目に付くところに出してないのをさっと確認すると、チャーリーは若者を先に入らせた。
「狭い部屋やけど、ま、ゆっくりしとくれやす。ビールとコーヒーとウーロン茶もあるけど……やっぱ、ミネラルウォーターがええ?」
セイランはうなずいて、一人掛けの安楽椅子に体を収める。
その傍らのテーブルに、ミネラルウォーターのボトルとグラスを届けると、チャーリーは自分用のビールを取り出し、栓を開けた。
「……ふう」
美味しそうに飲み干した青年は、デスク用の椅子を引き出し、シートをまたいで後ろ向きに座った。
組んだ腕と顎を背もたれに乗せ、一呼吸おいて声を掛ける。
「さて、と……さっきの話の続きやけど、ええかな?」
若者に視線を向けると、その形のいい淡色の唇がミネラルウォーターに濡れ、照明を受けて艶やかに煌めいているのが見えた。
急いで咳払いして邪念を払い、チャーリーは改めて切り出した。
「えっと、そう、紅いコスモスや。他人事に口出すな言われるのは承知で、俺なりにずっと考えてたんやけど……あれが偶然とは思えへん言うなら、まず聞かせてほしいんや。正直あんた、昼間初めてあの花を見た時、どないな感じがした?ほんまに、責められてるように思うたんか?」
若き芸術家は、少し驚いた表情を見せたが、逆らう理由もないと判断したのか、素直に記憶をたどり始めた。
「そうだね……とにかく、全く予期していなかったものだから、驚いたのが最初で……けれど、花を見た瞬間は、昔と同じように、温かい感じを覚えたように思う。でもすぐに、あの“骸”を埋めた日の事が胸によみがえってきて、それから、何故ここに咲いているのかと考え始めたら、責められているようにしか思えなくなったから……」
「……そうか」
ライトグリーンの髪の青年は、穏やかに相づちを打つと、珍しく控えめな口調で話し始めた。
「なあ、これはあくまで俺個人の考えやけど……今日見たあの花、本当は、もう一度あんたを、許したり癒したりするために現れたんやないやろか」
「どういう事?」
今は夜の暗さをおびた瑠璃の瞳が、不審そうに見つめてくる。
その眼差しを受け止め、真っ直ぐ見返しながら、青年は言った。
「あんたは誓いを立てて以来、ずっと他人に心を許そうともせんと、ひたすら芸術に打ち込んできたんやろ。そうやって何年も経っていく内に、あんたはきっと、強くなっていったんや。もう今のあんたなら、自分の弱さを受け入れても、前みたいに挫けたり、芸術や自分を裏切るような真似する事もないやろうし……せやから、誓いはもう終わりにしてええと、もっと肩の力抜いて、人間らしう生きてもええのやと、そう伝えるためにあの花が現れたんやないかと、俺は思うんや」
「君は……」
冷たいほどに端正な白い面が、驚いたような、それでいて心を動かされたような、奇妙な表情にゆがんでいる。
それはやがて罰の悪そうな当惑に、そしてすぐに苦笑へと変わっていった。
「……もしそうだとしたても、それは一層大きな、そして堅い誓いをもたらすだけだよ。許されれば許されるほど、恩も責任も重くなる。枷を外して自由になるのなら、甘えたり墜ちたりしないよう、一層気を付けて生きていかなければならなくなる」
「できるはずや、あんたなら」
青年は、まじめにそう答えると、急に軽い調子になって続けた。
「せやから、もっと素直になって、他人にも心を許してみたらどう?人生豊かになるで〜」
すぐ口調の変化に気づいたセイランが、呆れた笑いを浮かべる。
「……抜け目無くアピールするものだね、まったく」
「あれ、俺が何かやったかいな〜?“他人”いうのが、ハンサムな商人さんの事やなんて、誰も言うてへんけど?」
惚けてみせるチャーリーに、若者は、緊張が解けたように笑いだした。
「分かった、もういいよ……しばらく考えてみる。もし、君の解釈を受け入れる気になったら、提案にも従うかもしれないから」