迷惑な密室事件・2
2.
三人は、さっそく学芸館に向かった。
学習室の扉が並ぶ長い廊下に着くと、係官が恭しく礼を取った。教官たちがいつでも用を言いつけられるよう、常にここで待機しているのだ。
中堅守護聖たちは、それぞれ曖昧に会釈を返すと、感性の学習室の前に立った。代表で炎の守護聖がノックしたが、返事は聞こえてこない。
「セイランは嫌がってたけどさ、確か私たちって、留守でも入って良かったんだよね」
誰にともなくそう言うと、夢の守護聖は扉を開けた。
青系で統一された日当たりのいい部屋に、人の姿はなかった。どうやら、主はまだ戻っていないようだ。
「こっちたよ」
言いながらオリヴィエは左の壁の扉を開けたが、その奥もまた無人だった。
「捜査官が先に来ているかと思いましたが、意外ですね」
少し安堵した様子のリュミエールに、オスカーが重々しく言った。
「何と言っても女王補佐官が、臨時の役職を作って任命するんだからな。手続きに時間が掛かってもおかしくない」
「じゃ、さっそく現場検証といこうか」
夢の守護聖は、嬉しそうに隣の部屋に入っていった。
改めて見ると、室内には戸棚と机以外にも、いくつか家具らしきもの──細い木材を組み合わせたような台とスツール、それにソファ──があった。机にはセイランの使っていた通信機のほか、絵具やパレット、絵筆やペンなどが散らばっており、ソファには丸まった毛布が置かれていたが、台とスツールの上には何もなかった。
水と夢の守護聖たちは、どちらからともなく視線を合わせた。
「盗まれたのは……油絵だったのですね」
「人を狂わせるほど美しい絵画か。興味深々だね」
暗い面持ちで話している所に、オスカーが割り込んでくる。
「勝手に話を進めるな。どうして油絵なんだ」
「あ、ごめん」
オリヴィエは軽く謝ると、台を指差して言った。
「これさ、イーゼルっていって、絵を描く時にキャンバスを乗せるための物なんだよ。ほら、あちこち油絵具が付いてるでしょ」
その間にリュミエールは台に歩み寄り、付着した絵具に顔を寄せた。
「まだ、あまり乾いていないようです。恐らく、今日もここで描いていたのでしょう」
「なるほど。それなのに、肝心のキャンバスが無いから、盗まれたんだろうというんだな」
考え込むように顎に手をあてながら、炎の守護聖が言う。
「だが乾いてない油絵を、それも人目に着かないように持ち歩くなんて、可能なのか?」
「専用の金具を使って、同じ大きさのキャンバスと重ねるようにすれば、運べはしますが──」
水の守護聖はスツールに腰を下ろし、台の横木の位置を確かめた。
「この高さに調節してあるという事は、恐らく縦が30センチくらいですね。横が20から40センチ、厚みが5センチとして、そうですね……体型と服装によっては、隠せるかもしれません」
「知識のある人がいて助かったよ。にしても、道具を用意しておくなんて、犯人もなかなかやるねえ」
オリヴィエが楽しそうに言うと、リュミエールは肩を落としてため息をついた。
「準備をしている時に、なぜ思いとどまらなかったのでしょう。ああ陛下、哀れな魂に救いを……」
「おい」
苛立った声で口を挟んだのは、炎の守護聖だった。
「感心も同情もいいが、まだ犯人の手がかりが、一つも見つかってないって事を忘れるなよ」
「うっ」
「そ……そうでした」
夢と水の守護聖たちは、はっと我に返ると、それぞれ思いついたように壁や机を調べ始めた。
「えーと、うーん、この部屋の入口は、今入ってきた所だけのようだね。隠し扉もないし……」
「机の上……も、特に変わった物はないようですが……」
「やれやれ」
ようやくオスカーも安心したように周囲を見回し、窓から外の様子を確認した。
「前庭は、植木の手入れ中だ。庭師が何人も作業しているから、窓から出入りしても絵を下ろしても、必ず人目につくだろうな」
三人はしばらく室内を調べたが、ほかに手がかりも見つからないまま、またイーゼルの周りに集まった。
炎の守護聖が、腕組みをしながら言う。
「とりあえず、侵入と逃走の経路だけはわかったな。犯人は、今俺たちが来たみたいに、廊下から学習室を通ってここに入った。そして、また同じ道筋で出て行ったわけだ」
日頃は見せない鋭い表情で、夢の守護聖が後を引き取る。
「そうなると、セイランがいる間にこっそり盗む事はできないから、留守を狙った犯行って事になるね」
二人の話を聞いたリュミエールが、静かに言った。
「廊下の係官に、何か見ていないか聞いてみましょう」
学習室から廊下に出ると、まだ先刻の係官が立っていた。
守護聖たちに気づき、改めて一礼しようとするのを手振りで止めて、オリヴィエが気軽そうに尋ねる。
「ねえ、あんたって今日、いつ頃からここに立ってたの?」
「はい、昼休憩の開始時刻からです」
「じゃあさ」
夢の守護聖は、さり気なさを装いながら、問いを重ねた。
「さっき私が来た時まででいいから、感性の学習室を誰がどんな順で出入りしたか、セイランも含めて全員分、教えてくれない?」
係官は、思い出すように間を置いてから、答えた。
「私が午前の者と交替してすぐ、セイラン様が部屋を出て行かれました。お留守の間にジュリアス様、ルヴァ様、ティムカ様がお一人ずつ来られて、それぞれ少し入室された後、帰られました。それからセイラン様が戻って来られ、少ししてオリヴィエ様がいらした──という順番です」
「ふうん……ありがとね」
軽く礼を言うと、オリヴィエは他の二人に合図して、感性の学習室に戻った。
「ジュリアス様、ルヴァ、それにティムカ」
扉を閉めると、炎の守護聖が厳しい表情で言った。
「ジュリアス様が犯人のはずはないから、容疑者は二人に絞られたわけだ」
「ちょっとオスカー、先入観は良くないよ。同じ条件なら、みんな公平に疑わなきゃ」
夢の守護聖が指摘する横で、水の守護聖が消え入りそうな声で呟いた。
「私は信じたくありません、同胞たちの中に犯人がいるなどと……」
「まあまあ、そう深刻にならないで」
その肩を力づけるように抱いて、夢の守護聖は明るく微笑んだ
「とにかく、手分けして話を聞いてみよう。上手く聞けば、誰かが尻尾を出すかもしれないし、逆に潔白がわかれば、こっちも気が楽になるからさ」
それから探偵たちはしばらく話し合い、聞き込みに行く相手を決めた。