闇の章・2ー5


5.


 一点が綻んだ途端、事件はさして緻密でもない織物のように、呆気ないほど簡単に解けていった。

 闇の守護聖が示した少女の言葉から、脱出拒否者全員が、神官を名乗る一人の男に騙されており、財産を巻き上げられた上で殺されようとしているのが、明らかになったのだ。




 それは、ごくありふれた詐欺行為だった。ただ、その手口が“聖地の住民や守護聖として生まれ変われる”という − むろん存在しない − 恩恵を餌としたものだという点をのぞけば。

(……それほどに望むか、このような生を……)

 自分たちの希望が偽りだったと伝えられ、嘆き悲しむ第五惑星の民が、プロジェクターのスクリーンに映し出されている。

(窮状、悲しみ、祈りや願い、愚かさ……結束、希望、依存…………そして“欺瞞”)

 病む事も飢える事もない長い生を、望んで得らぬ者。望まず強制された者。それを犯罪に用いようとした者。

 同僚たちが憤りや悲しみの言葉を交わす中、黒髪の青年はただ、無言でスクリーンを見つめていた




 やがて派遣軍に見いだされた首謀者は、単独で惑星を脱出しようと試み、それが叶わぬと気づくと、自棄になって住民に火器を向けた。

 その時クラヴィスは、画面全体を、大きく強い波動が覆うのを感じた。

(これは……何かの情動か!?)

 礼拝堂周囲のむき出しの大地に、凄まじい勢いで亀裂が入っていく。

『地割れだ!』

逃げまどう人々の背後で、首謀者が建物や小型艇に挟まれ、底も知れぬ地の裂け目に吸い込まれていくのが見える。




 「……えっ?」

背後で上がった細い声に、黒衣の守護聖は思わす振り向いた。

 そこには、驚きから更に大きな驚きへ、そうして涙へと変わっていく、海の色の瞳があった。

 どうしたのかと尋ねた地の守護聖に向き直ると、青銀の髪の少年は、震える声を振りしぼって答えた。

「ルヴァ様……私には、聞こえました。大地が……“救いたい”と叫ぶのが……」

(大地……第五惑星そのものの、感情か……)

 滅び行く惑星の思いの深さに、そして、それを感じ取ったリュミエールの繊細さに胸を打たれ、クラヴィスは我知らず呟いていた。

「では、あれは、自らの体を裂いたのか……己の育んできた民を守るために」

 年若い水の守護聖が、無言で頷く。その小作りな唇は、色を失うほど強く噛まれながら、まだ震えていた。




 プロジェクターの前では、ジュリアスとディアが中心になって、派遣軍に指示を出し続けている。カティスが声を掛けた効果もあって、住民たちは徐々にパニックを脱し始め、避難艇への誘導もスムースに進み始めた。




 『地割れが収まったので、一小隊で礼拝堂を捜索した所、あの偽神官が反故にした書類が見つかりました。どうやら奴は、惑星をまたに掛けた犯罪組織の一員だったようですが、この書類があれば、組織ごと摘発できるのも時間の問題でしょう……あ、ただ今、住民の収容が完了したと、連絡がありました!人数を確認次第、派遣軍も撤収し、離陸します』

「ご苦労でした」

ディアの労いに敬礼を返すと、報告を終えた派遣軍将校が通信を切る。

 間もなく避難艇が発進するのを、防災用カメラの映像で見届けると、撫子色の髪の補佐官は、自分の方の通信を切らせた。

「もう、大丈夫ですね」

 安堵の表情で頷く同僚たちの傍らで、クラヴィスは一人目を閉じ、次に行うべき事に備え始めていた。







 研究院を出ると、闇の守護聖と女王補佐官の二人は一行と別れ、宮殿に向かった。

「それでは、私は陛下にご報告にまいります。クラヴィス、後はお願いしますね」

さすがに疲労の隠せない声で、それでも気丈に微笑むと、ディアは奥殿に消えていく。

 一人になったクラヴィスは、灯りの落とされた長い廊下を、別の方角に向かって歩き始めた。

 常夜灯も、時折出会う衛兵の足音も、深夜の宮殿の広さと闇の深さを、かえって強調しているかのようだ。 

 僅かな物音さえ響き渡るほど静まり返った、巨大な闇の洞窟を、黒衣長身の青年は、黙々と進んで行った。




 やがて着いたのは、限られた者以外立ち入りを許されぬ、特別な一室だった。

(***銀河第947星系……)

壁のパネルに触れると、星空が映し出されていた天井に、該当星域が拡大されて現れる。

 部屋の中央に設けられた壇状の場所に上ると、闇の守護聖は再び目を閉じ、左手をゆっくりと胸の前に動かした。

(……わが内なる、闇のサクリアよ……)

 クラヴィスは、血液のように体内を流れる“もの”に、意識を集め始めた。

 足先から、背から、額から、闇の力が立ち上り始め、次第に濃度と強さを増していく。

 紫の気体に似た形をとるそれが、やがて苦しいほどに激しく高まると、クラヴィスは頭上の星々に意識を移した。

(……彼の地に、安らぎをもたらせ!)

 サクリアが全身から噴出し、遙かな空間を通り抜けて、目的の地に注いでいくのを感じる。

 そこにかつて在った人々の、そこに残された動植物の、そして、星々それ自体の、命や思いを包み込むように。

(……!)

 命たちのざわめきが、痛みとなって闇の守護聖に襲いかかる。肉体でも精神でもなく、その双方を統べる魂そのものを、傷め弱らせるように。

 しかし彼は微動だにせず、ただ己から立ち上るものを強め、送り出し続けた。

(無辺の闇の中に、お前たちの執着を溶かし放て……安らかな心で眠りに就くのだ……)




 徐々に弱まっていったざわめきが、やがて完全に消えたのを感じ取ると、闇の守護聖は静かに目を開いた。

(終わった……か)

 一つ息をついた後、向き直ろうとした足が、鉛のように重い。午後の一件から来る疲労が、思った以上に体と神経を弱らせているようだ。

 クラヴィスは、這うようにゆっくりと降り口に向かい、壇を下り始めた。

 しかし、ふと感じた視線に振り向こうとした途端、体が大きく傾いてしまった。

 何とか踏みとどまり、改めて顔を上げると、年若い水の守護聖が、すぐ目の前に立っている。

(……お前は)

なぜここにリュミエールがいるのか、考える力も残ってはいなかった。

 ただ、全身を覆う疲れが少し和らいだような、そんな感覚に、ぼんやりと気づいただけだった。




 聖地の空の下を流れる水に、特別な力があると知ったのは、いつだっただろうか。

 書物で読んだのか、誰か周囲の者が教えてくれたのか、それさえ思い出せないほど遠い昔の事だ。

 最初は半信半疑だったが、偶々疲れた時に水辺を通り、それだけで癒された事が何度かあってからは、信じざるを得なくなったようだ。

 いや、今ではむしろその力を、当てにさえしているのかもしれない……




 闇の守護聖は、重い体をひきずるように庭園に向かっていた。

 館に戻り床についても回復しそうにない、激しい疲労を癒すために。多くの水に触れられ、かつ宮殿から遠からぬ場所を求めて。




 自分の背後に、もう一つの水が付いてきているのを、訝しげに認めながら。


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