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7周年記念企画
26の小さなクラリュミ (A-E)

***一日一回、英和辞典のページを前のほうからアルファベットごとに適当に開き、
左上に出ていた単語をお題としてクラリュミ掌編を書いてみようというチャレンジ企画です***
11/04(D)の分までは、“響宴”の響引紅子さまによる素敵なイメージカットがついています♪♪

11/01のお題 "A": approachability
(接近しやすいこと、近づきやすさ、親しみやすさ)



 昼の光を締め出した部屋の奥、闇の空間にほのかな輝きを放つ弦が、最後の一音を奏で終わる。
 リュミエールは顔を上げると、向かいのカウチに眼を向けた。
「クラヴィス様……」
そこではこの執務室の主が、静かな息を立てて眠りについていた。
 思わず表情を緩めながら、背中にずれていた布を持ち上げ、肩を覆うように掛け直す。尖った角が肌に当たらないよう、 額や胸のアメジストの向きをそっと変えておく。
 それだけの事をされながら、クラヴィスは気づく様子もなく眠り続けている。 無防備なその姿に、水の守護聖は幼子を見るような微笑を浮かべていた。
 ふと、その口元に気がかりそうな陰が浮かぶ。つい今朝方、金の髪の女王候補から聞いた言葉を思い出したのだ。
『クラヴィス様には、安らぎというよりも恐ろしさを感じてしまって……』
育成のために会いに行くのさえ気後れしてしまうという。
 そういえば以前、マルセルも同じような事を言っていた。まるで暗黒を背に負っているようで、近づき難いと。
 瑞々しい感受性を持ってはいても、二人とも決して気が弱いわけではない。むしろ外向的で人懐こい性質のように思われる。
(なのに、どうしてあのように恐れられてしまうのでしょう……)
気弱というのなら、昔の自分の方がよほどそうだったはずだ。それでも、闇の守護聖に近づく事をためらった記憶は無い。 もしあったとしても、それ以上に、側にいたい気持ちが強かったのだ。
 これほど孤独で悲しげな──そして、その事に気づいていない──人を、どうして独りにしておけただろう。 これほど他者のために心を砕きながら、理解される事すら期待しないような人を、どうして放っておけるだろう。
 強い思いがあらためて沸き起こり、リュミエールはカウチの傍らに膝をつくと、眠り続けるクラヴィスをじっと見つめた。
(アンジェリークやマルセルにも、わかる日がきっと来るでしょう……表面には現れにくい、この方の真の優しさが)

 そろそろ昼の休憩時間も終わる頃だ。こうして演奏中に寝られた時は、いつも部屋付きの侍従に言付けてから執務室に戻るようにしている。
 リュミエールは呼び鈴を押そうと立ち上がりかけたが、何かに引っ張られるのを感じて動きを止めた。 見れば自分の青緑色の上布が、いつの間にか闇の守護聖の腕に敷かれている。
(もう少しだけ……ここに居ることにしましょうか)
水の守護聖は床に腰を下ろし、なおも飽きない様子でクラヴィスを見つめ続けた。
 その胸を巡る思いの正体に気づくのは、まだ先のことであった。
Fin

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11/02のお題 "B": blow
(強打、打撃、衝撃)



 もう少しで、声を上げるところだった。それほど激しい衝撃だったのだ。
 誰の起きる気配もしないのを確認してから、クラヴィスは静かに半身を起こした。窓から漏れる月明かりに、青白い貌が浮かび上がる。
 長い指で自らの唇に触れると、鋭い痛みとぬらりとした感触があった。
(……やはり)
白い指先が鮮血に染まっている。衝撃を受けたときに切れてしまったのだろう。
 頬骨から奥歯まで、しびれたような感覚がある。 ベールのように痛みを覆っているそれが消える前に事を終えなければ、今夜は眠れなくなってしまうだろう。
 クラヴィスは急いで、しかしできるだけ振動を起こさないようベッドから降りると、向かいの壁にある飾り棚に歩み寄った。
買い求めたばかりの重い置時計を何とか両手で持ち上げ、ベッドサイドのテーブルにそっと移す。
 そうして安心したようにベッドに横たわると、痛みに追いつかれる前にと、必死で眠りにつくのだった。


「クラヴィス様、そのお顔は!?」
朝の光の中、美しい面を悲痛にゆがめながら、リュミエールが声を上げた。
「ああ、おいたわしい……すぐに手当ていたしますから」
目にも留まらぬ速さで衣を身につけ、ベッドから降りると、闇の館の家僕に救急箱と氷を持ってこさせる。
甲斐甲斐しく手当てをするその姿からは、心底からの思いやりと心配が滲み出ていた。
 手際よく応急処置を済ませると、リュミエールはあらためて恋人の面を覗き込んだ。
「ご気分が悪くはありませんか? 何かお飲み物でもお持ちしましょうか」
「……いや」
今朝初めてクラヴィスが口をきいたので、青年は安心したように微笑んだ。
「それにしても、いったい何にぶつかったのでしょう」
「大方、その時計だろう」
 言われて時計に気づいたリュミエールは、不思議そうに首を傾げる。
「飾り棚にあった時計が、どうして……」
「私が持ってきた。ここの方がよいかと思ってな」
「クラヴィス様」
海の色をした瞳に、あきれたような表情が浮かぶ。彼が次に何を言い出すのか、クラヴィスには予想がついていた。
「あれほど申し上げているではありませんか。毎晩のように寝ぼけてあちこちぶつかっていらっしゃるのですから 、危ないものは近くに置かないで下さいと……」
愛情ゆえの怒りのこもった言葉を聞きながら、闇の守護聖は心中でかぶりを振った。
 やはり言えはしない、自分を襲ったのがほかならぬリュミエール自身であるなどとは。
 共に過ごす夜ごと、“クラヴィス様、お逃げください!”とか“クラヴィス様に何をするのです!”などという寝言と同時に、 水の守護聖の手や足が恐ろしい力でぶつかってくるのだとは。
 それとなく本人に、最近見た夢など聞いてみたところによると、どうやらレヴィアスの襲撃を受けた時の事がまだ忘れられないらしい。 しかもリュミエール自身の被害よりも、クラヴィスを救えなかった無念さが相当強く残っているようなのだ。
 だがオリヴィエに相談しても、愛されてる証拠でしょうなどといって取り合ってもらえないし、 ルヴァに聞いても、絶対有効な治療法は分らないといわれてしまう。
「……とにかく、この時計は居間に置く事にしますからね」
置時計を片手で取り上げ、もう片方の手に救急箱を持って、リュミエールは寝室を出て行った。
(これが直るまでは、水の館に泊まる事も叶わぬな……)
ひとり深いため息をつくと、クラヴィスはテーブルから置物のカタログを取り出すのだった。
Fin

(今回の絵は大きいので、サムネイルをクリックして別窓でご覧下さい)

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11/03のお題 "C": cay
(小島、岩礁、さんご礁)



 ふたりの守護聖が案内された貴賓館は、眺望の良い岬に建っていた。
 恋人と共に出張できただけでも幸運だと思っていたのに、その上、大好きな海を近くで見られるとあって、リュミエールは喜びを隠そうともしなかった。
 一連の歓迎行事から解放され、ようやく接待係が専用室にさがると、クラヴィスは疲れたように自分の寝室に入ってしまう。 広いリビングに残された水の守護聖は、海に面した大窓からうっとりと外を見回した。
 ゆったりと、しかし限りなく続いていく波。輝くエメラルドから深い紺青へと連なっていく、大いなる生命。
 そのうちに彼は、ふと沖合いの小さな島に眼をとめた。 白く細かい波に囲まれ、海に突き出した大きな岩のようなそこに、人が住んでいる気配は無い。 だが、舞い降りる鳥の姿や草木の緑は、この窓かからもはっきり見えていた。
 何となく興味を引かれたリュミエールは、備え付けの書棚の前に行くと、この地について書かれた案内書を見つけ出した。


“……岩礁に囲まれているため船を寄せられず、人が足を踏み入れる事もなかった小島でしたが、つい十年ほど前、 特殊調査船の発明によってようやく上陸した研究者たちは、ここで驚くべき発見をしました。
 天然の砦に守られていたためでしょう、前世紀の急激な開発で絶滅したと思われていた植物や昆虫などのうち、 数十種類がこの島で生き延びていたのです。
 そこで惑星会議はこの島を特別保存区域とし、数年に一度研究者が訪れる以外は立ち入る事を禁じました。 これによって貴重な種の保存に努め、また惑星全体として同じ過ちを繰り返さないための象徴に──”


「何を読んでいる」
急に背後から話しかけられて、リュミエールは本を取り落としそうになった。
「あそこの小島の事を紹介した文章です、クラヴィス様。もうお体は大丈夫でいらっしゃいますか」
闇の守護聖は僅かに頷くと、本の方にその長い腕を伸ばす。 案内書を開いたまま渡したリュミエールは、それを読み始めた恋人の姿を見つめるうちに、どうしてあの小島に惹かれたのかが分ったような気がした。
 クラヴィスが顔を上げるのを待って、水の守護聖は話しかけた。
「闇の館のお庭のようですね」
「……何?」
怪訝な表情を浮かべた深紫の眼を嬉しそうに見返しながら、リュミエールは答える。
「クラヴィス様以外はほとんど入る人もいませんが、だからこそ動物たちが集まってくる安らぎの場所……どこか似ていると思いました」
「そうか」
闇の守護聖は書棚に本を戻すと、大窓に歩み寄った。
「私は違う事を思った……聖地に似ている、と」
明るい日差しを受けた白い横顔を、皮肉な笑みが掠めていく。
「外界から守られ、隔離された楽園。そこに住む者たちは本来の寿命より永らえるが、己の意志では出る事も叶わぬ ……違いは、造られたものだという事くらいだろう」
「クラヴィス様」
自分より遥かに長くその地で生き続けてきた人の、冷たくも哀しい感慨に触れて、水の守護聖は言葉を失った。
 黙って大窓の前まで戻ってくると、恋人と肩を並べてもう一度海を眺める。
「聖地をどう思っていらっしゃるかは、知っております。それでも──」
眼の前に広がる色の、その優しさと温かさに力づけられながら、リュミエールは相手に向き直った。
「私にとってはどこより愛しい場所です。クラヴィス様と出会えたのですから」
 闇の守護聖の双眸が仄かに見開かれ、その紫が少しずつ明るんでいく。
「……そうだな」
ゆるやかな動作で、クラヴィスは恋人の背を窓に押しつけると、その両側に手をついた。
「ならば、私にとっても愛しい場所だ。他の事がどうであろうと」
 答えようとしたリュミエールの唇が、熱く柔らかい感触に塞がれる。 止まりようもなく繰り返されていく接吻に、黒と青銀の髪が波立ちながら絡まっていく。
 切ないほどの想いを伝え合う二人を見守るように、窓外の海は、どこまでも美しく広がっていた。
Fin

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11/04のお題 "D": dope pusher
(麻薬密売人<米俗>)



「火事でしょうか」
青銀の髪の少年は、震える声と共に闇の守護聖の顔を見あげた。
 だが相手の切れ長の眼は、いつもどおり何の感情も現す事なく、夜景に灯火のように燃え上がる炎を、ただ見つめているだけだった。
 しばらく返事を待っていたリュミエールは、やがて諦めると、密かに心細げなため息をついた。
 祭礼への出席に過ぎないとはいえ、ほとんど言葉を交わした事もない同僚と見知らぬ惑星に赴くなど、 守護聖に就任してまだ間もない自分には、荷の勝ちすぎる職務ではないだろうか。
 果たしてきちんと遂行できるのだろうか。同行者であるクラヴィスとも、打ち解けるとまではいかなくとも、 二、三言の会話さえできれば、いや、せめて機嫌を損ねているのかどうか察するだけでもできれば、これほど途方にくれる事もないのだろうが……

 背後の扉の外から、貴賓室付きの係官が入室の許可を求めてきた。闇の守護聖に反応する気配がないので、迷いながらもリュミエールが返事をした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
恭しく一礼してリビングに入ってきた係官は、遠くに見えている炎について話し始めた。
「お目障りになりましたら、申し訳ありません。お恥ずかしい事ですが、ここから谷を隔てた向かいの山の斜面に、 麻薬の材料となる植物が栽培されている場所がありましたので、焼き払っているところです。 先日逮捕された麻薬密売組織の者の自白によって、この夕方に発見され、即座に火が放たれたのですが、 範囲内を焼き尽くすのにもう少し時間がかかるようです。もちろん、こちらまで広がる事はありませんので、ご安心ください」
報告を終えると、係官はもう一度最敬礼をしてから退出していった
 思いがけない話に、リュミエールは蒼ざめた顔でうつむいてしまう。
「……恐ろしいか」
突然掛けられた声に顔を上げると、先刻と変わらない表情のクラヴィスが、こちらを眺めている。
 初めて話しかけられた驚きに、リュミエールはしばらく呆然としていたが、やがて我に返ると、急いで返事をした。
「はい。恐ろしくて、それに……」
「それに?」
聞き返された少年は、躊躇いながら自分の思いを口にした。
「悲しいと思います。破滅につながる薬を用いる人も、それを売ろうとする人も、そんな薬のためだけに栽培される植物も」
 クラヴィスはおもむろに、水の守護聖の方に向き直ると、冷たい口調で言った。
「悲しんだところで、何が変わるわけでもない。人の愚かさは、いつの世も変わりようがないのだ」
弱々しく、しかし頑なにリュミエールはかぶりを振る。
「それでも……それでもあのように、夜まで焼却作業を続ける人たちがいます。 悪事を働く者を逮捕し取り調べる人たちもいますし、他にも人の幸せのため、不幸を少しでも軽くするために尽くしている人たちがいるはずです。 彼らが諦めない限り、私も諦める気にはなれません」
 闇の守護聖は黙したまま、少年を凝視し続けた。不興を買ってしまったかと不安げに見返していたリュミエールは、 やがて相手の表情が、怒りというより興味を示しているように思われてきた。
「この出張の真の目的も、どうやらそこにあるようだ。私たちが来たことによって、民心が少しでも和らぎ安定するように、とな」
 驚いて立ち尽くすリュミエールを後目に、クラヴィスは自分にあてがわれた寝室に向かいながら、独り言のように付け加えた。
「お前の優しさは……確かなもののようだな」
 寝室の扉が音もなく閉められると、水の守護聖はようやく我に返った。 そして同僚の残していった言葉を思い返すと、安堵と共に、これまでにない不思議な喜びがわいてくるのを感じたのだった。
Fin

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11/05のお題 "E": expediency
(好都合、有利、得策、方便、便宜主義)



 執務時間になっても、クラヴィスは宮殿に姿を現さない。
もしやと思ったリュミエールが私邸まで様子を見に行くと、闇の守護聖はまだ寝台の中にいるのだった。
 頭まですっぽり毛布をかぶり、起きているのかどうかさえ、端からは分らない。
「お目覚めではないのですか? クラヴィス様、今日は執務のある日ですよ」
しばらく待ってみたが、返事は聞こえてこない。
「億劫に思われるのも分りますが、クラヴィス様のお力を必要とする人たちがたくさんいるのですから……さあ、一緒に参りましょう」
優しく語りかけても、クラヴィスの体は身動き一つしようとはしない。
 青銀の髪の青年は、お手上げだというようにかぶりを振った。
 この方の悪い癖が、また出てしまったようだ。これまでにも何度か同じような事があったが、ようやく起きてくれたかと思うともう夕方だったり、 自分にどうしても宮殿に戻らなくてはならない用事ができてしまったりで、ちゃんとお起しできたためしがない……
「困った方ですね」
独り言のように呟く口調にも、毛布の間からのぞく黒髪を見つめる眼差しにも、隠し切れない愛情がこもっている。
 何しろクラヴィスは彼にとって、敬愛する先輩守護聖というだけでなく、想いを通じ合った恋人でもあるのだから、 態度が甘くなってしまうのも仕方ないのかもしれない。
(けれど、だからといっていつまでもこういう事を認めていたのでは、あの方のためにもならないでしょうし……)
 しばらく考え込んでいた水の守護聖は、仕方ないというようにため息をつくと、こう言い出した。
「ならば私も宮殿には行かず、一日このお部屋で過ごさせていただく事に……」
「本当か?」
やにわに毛布を跳ね上げ、クラヴィスがその白面を現す。
「……いたしますね、次の週末に」
 しばらく沈黙が流れ、やがて闇の守護聖が低い声で呟いた。
「騙したな」
再び毛布にもぐろうとする恋人の手をしっかりと押さえ、リュミエールは優しく微笑みかける。
「寝たふりをなさっていたのですね」
 前よりも長い沈黙が流れた後、クラヴィスはしぶしぶ半身を起こした。下手に逆らっても何もならないだろう。 こうなってしまっては、もうリュミエールの望むとおりにするのが得策というものだ。
 ゆっくりと寝台から降り立つと、水の守護聖が嬉しそうに身支度を手伝い始める。 その様子を眺めながらクラヴィスは、週末には絶対この場所でこの埋め合わせをさせようと、固く心に誓うのだった。
Fin

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