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7周年記念企画
26の小さなクラリュミ (U-Z)

***一日一回、英和辞典のページを前のほうからアルファベットごとに適当に開き、
左上に出ていた単語をお題としてクラリュミ掌編を書いてみようというチャレンジ企画です***


11/21のお題 "U": until
(〜の時まで、〜するまで、〜となって初めて)



 いかによく統治された宇宙であろうと、人の世の悲劇がまったく無くなるわけではない。 可能な限り減らされているとはいえ、予知できぬ病災害はいまだ、宇宙のどこかで起き続けている。
 ある星域で起きた自然災害のため、王立研究院と派遣軍が現地に赴いてから、現地時間ですでに十日という時間がたっていた。
 何とか被害の拡大はくいとめたものの、寄せられる情報は守護聖たちの表情を暗くするものばかりであった。


 その夜、宮殿の星の間に向かう一人の守護聖の姿があった。無言で扉を押し開けると、 壇上で今しもサクリアを放出しようとしていた別の守護聖が振り返る。
「クラヴィス様……!」
「やはり……勝手に水のサクリアを送っていたな」
尊敬してやまぬ人、そして情を通じた仲でもある相手に隠し事を見つけられて、 水の守護聖は蒼ざめた面で俯いたが、壇を降りようとはしなかった。
「送らせてください。災害に見舞われた人々は優しさを保つ力さえ失い、それが一層の悲劇を生もうとしているのです」
「優しさを見失うのは、痛みが激しいからだ。その痛みを受け止める者がなければ、水のサクリアも届くまい……」
星々を眺めながらそう言うと、闇の守護聖は鋭い眼差しで続けた。
「……だが、このサクリアは、僅かだが届き始めている」
クラヴィスは壇に上り、リュミエールの顎を指で持ち上げて自分の方を向かせた。
 昼間は元気な振りをしているのだろうが、今はその余裕もなく、本当の姿が曝け出されてしまっている。 海の色を映した瞳は深い憂いに潤み、優美な線を描いていた頬はやつれた影に染まり、立っているだけで精一杯なのが見て取れる。
「幾夜の間、人々の痛みを受けてきた?……それは、私の役目のはずだ」
「お許し下さい!」
倒れそうな体を震わせて、リュミエールは叫んだ。
「私は……これ以上、ご負担を増やしたくなかったのです。クラヴィス様がいつも宇宙中の痛みを引き受けられ、 一人で苦しみを負っていらっしゃるのを、見ていられなかったのです」
 そこまで言った時、水の守護聖の眼前には突然、天井の星々が降ってきた。 足が軽くなり、重力から開放されたかのように体が宙に浮くのを感じながら、彼はいつか瞼を閉じていた。


 どれほど経ったのだろう。リュミエールは眼を開くと、自分がどこかに横たわっているのに気づいた。 周囲を取り巻いているのは相変わらずの闇だったが、あれほど天井に輝いていた星が一つも見えない。
「ここは……」
「私の執務室だ」
耳元で答えたのは、闇の守護聖だった。
「お前は気を失い、仰向けに反って壇から落ちるところだった」
クラヴィスはそれを抱きとめ、このカウチまで運んできてくれたのだ。
「申し訳ありません、何もかも……ご迷惑をかける事しかできなくて」
自分の無力さを思い知り、リュミエールは身の置き所もない気持ちだった。
「我々がみな決められた役割を持っている事は、知っていよう」
厳しい表情のまま、闇の守護聖が話し始める。
「大きな悲しみが発生した場合は、まず私がそれを受け止め、浄化し、消え行くものが消え去りやすいよう導く。 そうして、生きる者の心に静寂がよみがえった時、初めて……お前や他の守護聖たちのサクリアが届き、受け入れられるのだ」
「……はい」
「お前ならば人の痛みを受ける事はできるかもしれぬ。だが、同調しすぎてお前自身が深い傷を負いかねない…… よいか、闇の役目を分かち合おうなどとは、二度と思うな。私にしか務まらぬ事だ」
 水の守護聖は答えなかった。それが正しいのは分かっているが、いつも最初に辛い目にあうこの人を助けられないのが、 どうしても口惜しくてならないのだ。
 計り知れぬ悲しみを引き受けるこの人の心は、いったいどこまで広く深いのだろう。 それでも痛みがないわけではないのを、自分は幾度も見てきている。長く終わりない痛みに耐えているのを、知っているのだ。
 その思いを読んだのか、クラヴィスはカウチの前に腰を下ろすと、恋人の眼を見ながら言った。
「お前にはお前の痛みがあり、私には私の痛みがある。それをお互いが分かっているというだけで、救われた気持ちになる…… お前は違うのか?」
「クラヴィス様……」
リュミエールは呆然として呟いた。この人はずっと、自分をそのように見ていてくれたのか。 支えになりたいと願ってきた年月の間、すでに自分はそうなれていたというのか。
 その面を引き寄せると、闇の守護聖は恋人にそっと口付けた。心安らぐ温もりだけを与える、優しい口付けだった。
「……もう眠れ。お前がいつもどおりに過ごしているという、その事が、何より私の癒しとなり、力となるのだから」
 返事をする前に、水の守護聖は深い眠りに入っていた。その姿を愛しげに眺めながら、闇の守護聖もまた両眼を閉じた。
 自分を想ってくれる者のいる幸せを改めて感じながら、 そして遠い星域がリュミエールの優しさで満たされる日が、少しでも早く訪れるよう祈りながら。
Fin

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11/22のお題 "V": vinosity
(ぶどう酒の質、ぶどう酒好き)



 リュミエールが聖地に来て間もないある夜、緑の館で自家製ワインの初物披露パーティが始まろうとしていた。 守護聖全員と補佐官を招待して毎年開かれている、いわば恒例の親睦会のようなもので、 アルコールの苦手な者のためのソフトドリンクはもちろん、それぞれの飲み物に合わせた料理もふんだんに用意されていた。


 まだあまり親しい者もいない青銀の髪の少年は、和やかな雰囲気の中でひとり緊張していた。 同僚たちが話しかけてくれるのは嬉しいが、何と言っても今日は、宴の最後に竪琴の演奏を頼まれているのである。
(ちゃんと演奏できるでしょうか……皆様に楽しんでいただけるでしょうか……)
 不意にその時、少年は闇の守護聖の姿が見当たらないのに気づいた。 酒瓶を手にちょうど通りかかったカティスに、小声で話し掛けてみる。
「カティス様、あの……クラヴィス様がいらっしゃっていないようなのですが」
「ああ、欠席の返事をもらっているよ。あいつは人の集まる所が好きじゃないんだ。 それでも毎年、もしかしたらと思って誘っているんだが……どうやら今年もだめだったようだな」
「そうだったのですか……」
なぜか気が抜けてしまったような、妙な心持ちがする。まだ職務上の会話を二、三度交わした事しかなかったが、 他の守護聖たちと隔たっているような独特の雰囲気が、リュミエールは以前から気にかかっていた。
「あいつはどちらかというと古い酒が好きらしいが、取れたての新酒は年に一度だけの楽しみなんだし、 同じ酒好きとしてはぜひ味わってもらいたいところなんだが」
緑の守護聖の残念そうな表情を見て、リュミエールにはある考えがひらめいた。
「よろしかったら、私が今から、クラヴィス様の所に新酒を持って参りましょうか。演奏の時間までにはきっと戻りますから」


 緑の守護聖が快く送り出してくれたので、さっそく少年は闇の館に向かった。
 初めて訪れたそこは、重厚な造りと暗色の内装に加え、照明までもが薄暗く抑えられて、どこか陰鬱さを感じさせる建物だった。
 家令に案内された居間でしばらく待っていると、ようやく闇の守護聖その人が姿を現した。
「お前か……何の用だ」
「こんばんは、クラヴィス様。カティス様の新酒をお届けに参りました。 今夜のパーティで披露されるのと同じ物ですが、クラヴィス様にもぜひ味わっていただきたいとの事です」
「……それだけのために、か」
問われて初めて、少年は自分のしている事が非常識ではないかと不安になった。 この酒を届けるのは本来ならカティスであるべきだし、代理ならば緑の館の家令が赴くのが普通だろう。
 思いつきで動くことはめったにないだけに、リュミエールは自分の行動が分からなくなってしまった。 知らず握り締めた指が、酒瓶と共に携えてきた──置いてくるのを忘れたのだが──楽器に硬く突き当たる。
(竪琴……)
その時少年は、なぜ自分がこれほど闇の館に来たかったのかが分かった。
「パーティと同じ余興もお届けしたいと思い、竪琴を持ってまいりました。お聞きいただけないでしょうか」
 闇の守護聖はしばらくリュミエールを見つめ、それから頷いた。


 故郷に伝わる一番好きな曲を奏でていると、向かいの椅子で聴いてくれている人の表情が、 ほんの僅かずつ解れていくのが感じられる。 醒めたような眼差しが緩み、いつも額や頬に射している影が微かに薄れていくように思われる。 それと同時に、この薄暗い居間が海のように自分を包み、安らかな心地にしてくれるのが感じられた。
(やはり、あの時と同じ……)
 聖地に来た直後、初めて森の湖で竪琴を弾いた時に、通りかかったクラヴィスが耳を傾けてくれたのだった。 その時にもやはり今のように、どこか共鳴しているような感覚があった。 先刻、演奏を不安に思った瞬間にこの人の不在に気づいたのも、無意識に姿を探していたからかもしれない。
 まだ互いを知らないに等しい間柄なのを思うと不思議な話だが、 それでも自分の心が彼に向けられているのは認めないわけにはいかなかった。
 そして、恐らくそれが一方的な意識に過ぎないという事も。


 演奏が終わっても、闇の守護聖は無言だった。その沈黙に耐え切れず、リュミエールは震える声で言った。
「あの……お気に召さなかったでしょうか」
闇の守護聖は、なおも黙ったまま来客の方を見ていたが、どこかで時計の鳴る音が聞こえると、ようやく我に返ったように口を開いた。
「……緑の館に戻るのなら、カティスに礼を言っておいてくれ」
「あ、はい」
少年も我に返ると、慌てて暇を告げる挨拶をした。
「夜分、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。拙い演奏を聞いていただいて、ありがとうございました」
館の主が頷いたので、水の守護聖は一礼して扉に向かった。
「リュミエール」
呼びかけに驚いて振り向くと、相変わらず表情のない闇の守護聖がこちらを向いて立っている。
「いつかまた……竪琴を聞かせてくれ」
思いがけない言葉にリュミエールは立ちすくんだまま、クラヴィスが居間を出て行くのを見つめていた。


 緑の館に戻ると、まだパーティはたけなわだった。 ずいぶん長い時間がたったように思われたが、ほんの半時間ほどの事だったらしい。
「カティス様、クラヴィス様からお礼を言うよう言付かりました」
「お遣いごくろうさま。少し休んだら、演奏を頼むよ」
上機嫌の客たちの相手をしながら、緑の守護聖はウィンクを投げてよこす。
 つられて笑顔になりながら、青銀の髪の少年は、演奏への不安が消えているのに気づいた。 心の中でクラヴィスとカティスに礼を言いながら、水の守護聖は足取りも軽く同僚たちの中に入っていった。
Fin

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11/23のお題 "W": whenas
(<古>〜するとき(はいつも)、〜なので)



 ある日の曜日、年少の三守護聖たちは庭園でフリスビーに興じていた。 一通り遊んで休憩していると、まだ聖地に来て日の浅い緑の守護聖が、好奇心の赴くままに質問を始める。
「ねえ、クラヴィス様って、外を歩いていらっしゃる時は、いつもリュミエール様と一緒だよね。どうしてなんだろう」
「どうしてって……仲良しだからだろう?」
何だってそんな事を聞くんだという表情で、ランディが答える。
「でもさ、リュミエール様は普通に一人で歩いていらっしゃるけど、クラヴィス様が一人でっていうのは、僕、見た事がないんだ」
「うーん、言われてみれば俺も、聖地に来てからまだ二、三回しか見てないかもしれない。 けれど、その時のクラヴィス様って、何だかすっごく怖い顔をされていたような気がするなあ」
 それまで黙って聞いていたゼフェルが、少し得意そうに口をはさんだ。
「俺は知ってるぜ、何でいつもリュミエールがクラヴィスにくっついてるのか」
たちまち二人の注目をひきつけて、鋼の守護聖はさらに得意そうに続ける。
「前にルヴァが言ってたんだ。なんでもクラヴィスの奴、前に流血騒ぎを起こした事があったらしくてさ、 それで一人で歩かせるとヤバイってんで、リュミエールが見張りの役を買って出たんだと」
「クラヴィス様が!? ゼフェル、それ本当なの」
「おい、いい加減な事言うなよ」
疑わしげな反応に、鋼の守護聖はむっとして言い返した。
「疑うんならルヴァに確かめるんだな。俺はそう聞いたんだから」
「あっ、そういえば俺も……」
急に何かを思い出した様子のランディに、マルセルが詰め寄る。
「どうしたのランディ、何か知ってるの」
「うん、この間、クラヴィス様とリュミエール様が歩いているのを眺めながら、ジュリアス様がおっしゃってたんだ。 “ああしてリュミエールが付くようになって、本当に良かった。以前は大変であったからな”って」
「あのジュリアス様でも、大変だったなんて……」
どれほど暴力的だったのだろうかと、緑の守護聖は蒼ざめてしまった。
「それだけじゃない。隣にいらっしゃったオスカー様までもが、こう言われたんだ── “気づかれぬよう警備の者を付けても、すぐ気づかれ追い払われていましたからね 。けれど、もうあの頃のように聖地中が怯えるような事はないでしょう”」
「へえ、あいつらがそんな事を。そりゃあ、相当なもんだったんだな。一度見てみたかったぜ」
「ランディ、クラヴィス様を見かけた時に何もなくて、本当に良かったね」
マルセルが身震いした時、噴水の向こうから水の守護聖が、珍しくも走ってくるのが見えた。
「あれ……リュミエール様、こんにちは。そんなに急いで、何かあったんですか?」
「ああ、あなたたち……」
息を切らしながら立ち止まると、リュミエールは恐怖に戦く表情で尋ねた。
「どこかでクラヴィス様を見ませんでしたか? 少し眼を離したすきに、一人で出られてしまったのです」
「ええっ!?」
三人が叫んだ時、カフェテリアの奥から大きな声が聞こえてきた。
「厨房の裏に、誰か倒れているぞ!」
「血が出ているようだ。救護車を呼べ!」
脱兎のごとくカフェテリアに向かう水の守護聖を、少年たちは必死で追いかけていった。


 リュミエールは担架を断ると、慣れた様子で闇の守護聖を担ぎ上げた。
「また倒れた拍子に、どこかに鼻をぶつけられたのですね……ああ、痛々しい」
すでに出血は止まっていたが、まだ痛みが残っているのだろう、クラヴィスは顔をしかめて呟いた。
「ここは……」
「庭園のカフェテリアの裏です。また歩きながら寝てしまわれたのですね。私が眼を離したばかりに……申し訳ありません」
「……そうか」
支え支えられながら歩いていく二人を見送ると、少年たちは大きなため息をついた。
「流血騒ぎ……ねえ」
「目つきが怖かったのって、寝てたからだったのか……」
「闇の守護聖がその辺で血を流して倒れていたら、そりゃあ聖地の人は怯えるだろうね……ところでさ」
呆然としているゼフェルとランディに、マルセルは不思議そうに聞いてきた。
「今、クラヴィス様を抱き上げながら、リュミエール様が小声で“今日はお出かけをお控えくださいと申し上げたではありませんか。 昨夜あんなにお励みになって、お疲れでないはずがありません”って言ってたんだけど、どういう意味なんだろう」
「もう、どうでもいいじゃないか。今ので分かったろう、あまり他人の事を気にしていると、考えすぎて変な話になっちゃうって」
「ああ、いちいち気にしてらんねーよな。それよりフリスビーだ。今度こそ負けねーぞ!」
たった今の出来事などきれいさっぱり忘れて、三人の少年は庭園を走り出す。
 今日も聖地の空は、どこまでも爽やかに晴れ上がっていた。
Fin

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11/24のお題 "X": xiphoid
(剣状の、剣状突起)



 ある昼下がり、執務の合間を見て、闇と水の守護聖たちは庭園まで散策に出ていた。
「昨日は風が強くて出られませんでしたが、今日は穏やかでいい日和ですね」
話し掛けながら歩いていたリュミエールは、ふと、前方の花壇にひときわ美しい色彩があるのに気づいた。
「あれは……」
近づいていくと、それは一群のアイリスだった。鋭く伸びた葉、すらりと丈高い茎の上に、色とりどりの花々が咲き誇っている。
「クラヴィス様、ごらん下さい。見事なアイリスですね」
「……ああ」
闇の守護聖は、かなり間を置いてから答えた。目の前に来ているというのに、はっきりと指摘するまで気づかなかったようだ。
 その様子に、リュミエールは心中でため息をついた。 出会ったばかりの頃、この人の眼には世の美しいものも楽しいものも、全く映っていないようだった。 幼い頃から宇宙中の衰えや滅びに関わってきたからだろう、彼の感性は、人の好意も温かさも感じられないほどに凍りついていたのだ。
 それが悲しくてたまらず、側に付き添うようになって、何年になるだろう。自分に何が出来たというわけでもないが、 少なくとも花の存在を認めてくれただけ、昔よりは心を開いていると言っていいのではないだろうか。
(そう、少しでも変わられたと……明るくなられたと思わなければ)
考えながら花々を眺めていたリュミエールは、ふと足元に別の花壇のプレートが落ちているのに気づいた。 昨日の風で飛んできたのだろう、見ればその周囲の茎が折れ曲がり、繊維の強そうな葉までもがちぎれてしまっている。
「かわいそうに……後で管理の方に連絡しておきましょう」
ちぎれた葉を拾い上げて見せると、クラヴィスはつと手を伸ばし、その断面をなぞった。
「……儚いものだな」
生命の瑞々しい輝きを見せるはずが、その逆の印象を与えてしまったのに気づき、リュミエールはうつむいてしまう。
 だが落ち込む暇もなく、彼は闇の守護聖の手を凝視した。 青白いといってよいほど色素の乏しいその指に、見る見る赤い斑点が浮き上がってきたのだ。
「クラヴィス様、それは……」
「……かぶれてしまったようだ」
顔をしかめながら答えた様子からすると、痛みか痒みが出てきたらしい。
「いけません、すぐに宮殿の救護室へ!」
水の守護聖は走り出そうとしたが、クラヴィスに付いてくる様子はない。
「構うな。じきに収まる」
「しかし……では薬をお持ちします。そこを動かないでお待ちください」
こうなると、闇の守護聖が梃子でも動かないのはよく分かっている。 やむなくリュミエールは一人で走り出すと、救護室よりも近い地の守護聖の部屋に向かった。


「はいはい、確かにアイリスの剣状葉には、かぶれる成分が含まれていますよ。 断面に触れたりしなければ、そう大した事はないと思いますけれどね」
突然飛び込んできたリュミエールに、地の守護聖はおっとりとそう答えた。
「ですから、クラヴィス様が素手で断面を触ってしまわれたのです。すぐにお薬をお持ちしなければ……」
「まあ落ち着きなって、リュミエール」
地の執務室の先客であったオリヴィエが、なだめるように声をかけた。
「ね、命に別状があるようなものじゃないみたいだしさ、きっとクラヴィスもお花を見ながらのんびり待ってるよ。 庭園のアイリスなら私も知ってるけど、香りもいいし、すっごくきれいなんだよね。 ほら、ここに植物図鑑があるから、ちょっと調べてみようか……」
気楽に話し掛けているようでいて、巧みに時間を稼いでいたのだろう、その間にルヴァがどこかから小さな瓶を持ってやってくる。
「ああ、ありましたよ。腫れた所にこれを塗っておけば、二三日中には治まるでしょう」
「ありがとうございます、ルヴァ様。では失礼しますね、オリヴィエ」
礼もそこそこに庭園に向かう青年を見送ると、夢の守護聖は図鑑を持ったまま肩をすくめた。
「やれやれ……ねえルヴァ、この本によると、アイリスはある惑星の伝説で、 神々の使者として献身的に働いた虹の女神の花とされてるそうだよ。自分で動かない人の代わりに、 天界から地上まで飛び回るなんて、まるで誰かさんみたいだねえ」
「まあ、リュミエールは男性ですけれどね」
「それは無・視・し・て!」


 和やかにやりあっている二人を後に、水の守護聖はアイリスの花壇を目指していた。 僅かな距離を果てしなく長いように感じながら走っていると、ようやくクラヴィスの姿が見えてきた。
「遅くなって申し訳ありません。今、このお薬をお付けしますから」
「ああ……」
闇の守護聖は先刻のままの姿勢で、ただじっと自分の指を見つめている。
 その手を取り薬を塗っていると、リュミエールの頭上で、ふっと笑うような息が聞こえてきた。
「腫れて……痛痒い……久しく忘れていた」
「……クラヴィス様?」
「生きているゆえの、生きていくための感覚か……お前の手は、温かいな」
いつもの厳しく冷たい面に、目覚めたばかりのような柔らかい眼差しが宿っている。
 美しいアイリスの花に囲まれて、二人はいつまでも見詰め合っていた。


「そういえば、オリヴィエ。アイリスの葉を、騎士の剣に例えている文献もあるんですよ」
夢の守護聖のために茶器を用意しながら、ルヴァは思い出したように言い出した。
「アイリスの剣、ね」
オリヴィエはうっとりした眼差しで繰り返す。
「きれいな例えだねえ。そういう剣でなら、クラヴィスの心の壁も切り開けるんじゃないの」
「私もそう思いますよ。さて、お茶にしましょうか。剣状葉つながりで……どうです、アロエ茶でも?」
「あんた、私が嫌いなの知ってて言ってるでしょ!」
軽く相手をにらみつけながら、オリヴィエは植物図鑑を机に置く。
 開かれたページの上で、庭園の花壇そっくりのアイリスが美しく咲いていた。
Fin

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11/25のお題 "Y": youngish
(やや若い)



 女王の手によって全ての星が新宇宙へ移されてた、いわゆる“大移動”から、数週間が過ぎようとしていた。
 旧宇宙の星々を受け入れられる余裕があったとはいえ、すでに新宇宙も人類が発生する程度には成熟していたので、 両宇宙の星々がどちらも損なわれる事なく共存していけるよう、新女王はしばらく不眠不休に近い状態で対処しなければならなかった。
 それは、女王の手足となって働く王立研究員と派遣軍、そして守護聖たちも同じだった。 特に守護聖たちは、ともすれば均衡を失いがちな新宇宙を安定させるため、時には昼夜の別なくサクリアを送らされていた。
 そして恋人同士である闇と水の守護聖たちも、職務に忙殺されたまま、二人で会う事もままならない日々が続いていたのである。


 ある夜、二人の館の中間にある小さな森で、クラヴィスとリュミエールは久しぶりの逢瀬を楽しんでいた。 ようやく忙しさが一段落してきた上、共にその日の昼間にサクリアを放出していたので、 少なくとも夜半まで次の放出はないだろうと踏んで私邸を出てきたのだ。
 激しく抱きあう一時が過ぎると、募らせてきた想いを表す言葉も見出せないまま、二人は草上に腰をおろした。
 恋人の胸にそっと頭をもたせかけて、リュミエールが夢見るように呟く。
「星が……あんなにたくさん輝いて」
クラヴィスは相手の肩に腕をまわしながら、憂鬱そうに答えた。
「二つの宇宙に分かれるべき星が、一つの場所に集まっているのだからな。この忙しさも、まだしばらくは変わらぬだろう」
「ええ。けれど、皆の働きに加え、新宇宙の生命力を持ってすれば、今の混乱も遠からず収まるのではないでしょうか」
前向きに話す恋人に、闇の守護聖は冷たく答えた。
「死にかけた宇宙の星をすべて受け入れたのだ、新宇宙とて滅びの影響を受けずにはいられないだろう。 あるいはもう“新”宇宙と言えるほどの生命力など、残っていないかもしれぬ」
「そのような……」
青白い月光のもと、リュミエールの面がいっそう色を失って見える。
「案ずるな。いくらか衰えたとはいえ、まだまだ若い宇宙だ。少なくとも百代の女王が君臨する間は安泰だろう…… とはいえ、これが型破りな延命策であったのは確かだが」
それを聞いた水の守護聖は安堵の息を漏らしたが、クラヴィスは沈鬱な口調でなおも続けた。
「難儀な事だ。あるいは宇宙の終焉と共に、私の務めも終わるのではないかと期待していたのだが」
「クラヴィス様……?」
「新宇宙で一介の民として生きるもよし、いや、むしろ旧宇宙の終焉に飲み込まれて消滅してしまえたら……とな」
 水の守護聖は、身震いと共に恋人の体から離れた。
「そのような事をお考えだったのですか」
答えようとしない闇の守護聖に、リュミエールは咎めるような眼差しを投げる。
「なぜ、お一人で消えてしまおうなどと……私たち守護聖はみな、取り残される者の悲しみを知っているではありませんか」
「知らぬ」
クラヴィスは、平板な声で答えた。
「取り残される者の思いなど、とうの昔に忘れてしまった。 この身にまとわりつく忌まわしい因縁ごと自らを消し去ってしまえたらと、どれほど願っていた事か」
しばらくの沈黙の後、リュミエールは小さく微笑んだ。
「少なくともそれは、今のお心ではありませんね。お優しい眼差しで分かります」
「やはりな……お前になら分かるだろうと思っていた。あれは過去の話だ」
闇の守護聖は、大きくひとつ息をついた。
「だが今、改めて口にして、確かめたかったのだ。かつて私を支配しようとしていたこの思いが、 すでに恐れるに足らぬ迷いに過ぎなくなっている事を」
「クラヴィス様……」
「まだ……生きたいと思っていいだろうか。これほど長く生きてきたというのに」
意外な事を問われ、水の守護聖は慌てて答えた。
「もちろんです。そのような事を考えられるには、クラヴィス様はお若すぎます。あの、生まれたばかりではないとしても…… いくらかは……」
言葉こそしどろもどろになっていたが、その表情の真剣さが嬉しくて、クラヴィスは思わず恋人を抱き寄せた。
「私の眼を開き、考えを変えさせてくれたお前が、今度は未来まで与えてくれるのだな」
互いの眼差しが絡み合い、吸い寄せられるように顔が近づいていく。
 その時、遠くから蹄の音が響いてきた。
「……職務が追いついてきたか」
二人が体を離して立ち上がったのと同時に、視界に二頭の馬が飛び込んできた。力強い足取りの葦毛と、夜目にも鮮明な白馬である。
「こちらでしたか、クラヴィス様。リュミエールも一緒か」
「そなたたち、館で待機するよう言っておいたではないか! 宮殿からの使いが、困り果てて私のところまでやってきたのだぞ」
炎と光の守護聖たちは、連絡を受けて二人を探し回っていたらしい。
「申し訳ありません、今日はもうサクリアのご用命はないかと思いましたので」
ここを見つけるまでには大分手間が掛かっただろうと思うと、リュミエールは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 だがジュリアスはそれを咎めず、すぐに怒りを収めて言った。
「いや、陛下から急な召集がかかったのだ。よく分からぬが、重大な発表があるとの事だ」
「重大な……発表?」
クラヴィスは不審そうに繰り返しながら、空を飾るたくさんの星々を見上げた。


 それから間もなく、女王は宮殿に集まった守護聖たちに、女王試験の実施を告げた。
 新たな物語が、また始まろうとしていた。
Fin

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11/26のお題 "Z": zaffer
(呉須、花紺青<磁器の染付けに使う藍色の顔料>)



 水の執務室の棚に、見慣れない香炉が置かれている。 かなり古いようだが、透き通るような白磁に載せられた藍色の図柄は、いまだ描かれた時のままに鮮やかだった。
「この間出張に赴いた先で、記念にと献上されたのです。その惑星の時間にして約千年前に作られ、 いくつも現存していない貴重なものだそうですが、聖地に置いてもらえたら名誉だと強く望まれましたので」
いつもの穏やかな声で説明する水の守護聖に、クラヴィスは冷たい眼差しを返した。
「千年か……我らにとっては、一瞬であったかもしれぬ時間だな。多くのものが無に帰すには、充分過ぎる時間でもあるが」
 闇の守護聖のこういう考え方には慣れているつもりだったが、それでもリュミエールは頭を振っらずにいられなかった。
「確かに、この香炉を作り出した文明は滅んで久しいそうです。 けれど、このような美しさをもって後世に存在を示す事ができたのですから、無に帰したとばかりは言い切れないのではないでしょうか」
「よほど運が良かったというだけの事だ。いずれにしろ、惑星自体が滅んでしまえば、何も残るものなどない。 今はまだ惑星間移動によって、他惑星に文化を伝える事もできようが、それさえなしえぬ時代の星民の営みなど、 消え去るために存在していたようなものだ」
「いいえ」
断定的に言い切られて、リュミエールは思わず立ち上がった。
「私はそうは思いません。たとえ、眼に見える形では何も残っていないとしても…… 滅んだ惑星の塵一つにも、きっと、そこに生きていた人の思いが染みているはずだと信じています。 それが新たに生まれる惑星の心となり、その民への愛となり、サクリアだけでは説明のつかない自然の恵みを生み出しているに違いないと」
まっすぐに見つめてくる瞳の底の、揺るぎない色。数千年を生きた磁器よりも強く、心を訴えてくる青。
 受け止め続けるのが辛くなり、クラヴィスは踵を返すと、執務室の扉に向かった。その背に、呟くように言葉が投げられる。
「思いは……消えません」
扉の閉まる音と共に、闇の守護聖は自らの意識を封じた。


 闇の館を深更の静けさが包んでも、クラヴィスに眠りは訪れようとしなかった。 昼の間封じ込めていた意識が、闇に乗じて扉を開け放ち、心の中に膨れ上がっていく。
『思いは……消えません』
太古の星民の事だけではない、あれはリュミエール自身の想いを言ったのだ。
 水の守護聖からそれを告げられた時、自分は受け入れられないと答えた。嫌っているわけでもなければ、 想いが他に向けられているわけでもない。ただ、受け入れられないのだと。
 言われたときは衝撃を受けていたリュミエールも、少しずつこの答えの意味が分かってきたのだろう。
 長らく闇を司ってきた自分にとって、特別な存在を認めるのが、どれほど恐ろしい事か。
 いずれ確実に、永の別れが訪れる。生き別れるだけならば、別離の苦しみさえ絆と感じられるかもしれない。 だが先に任を解かれた者は、まもなく外界で天寿をまっとうする。 その後、残された者はこの聖地で、終わりの見えない悲しみの時を過ごさなければならなくなるのだ。
(リュミエール、お前は……強いのだ)
同じ運命を知りつつ想いを告げる勇気を、眩しいと思い、愛しいと思う。 だがそれを口にするのは、想像するだに恐ろしい時間を、自ら動かし始めてしまう事になるだろう。
 水の守護聖の真剣な瞳が、その美しい青が、白磁に染められた色を思い出させる。 昼間嘲笑した千年という時をもって、あの香炉は自分を嘲笑するだろうか。 文明も一瞬で消え去るように感じられる自分が、別離後の余命を恐れるあまり、愛する者を傷つけ続けているのだ。


 窓の外に、小さな光が現れては消えていく。救いのない思考から逃れるように、クラヴィスは立ち上がると、窓を開いてみた。
「蛍……」
以前にもこの窓辺で、この光を眺めていた事がある。リュミエールの竪琴に耳を傾け、小さな虫の最後の輝きを愛でていたものだった。
 求愛の輝きは美しいが、それは命の終わりが近い事を示す光でもある。 だが愛し合った直後に命が終わるのなら、残される悲しみとも、その悲しみを恐れる気持ちとも、無縁でいられるだろう。
 静かに伸ばした白い手を、一匹の蛍が掠めていく。青い光を受けて染まった白が、昼間見た香炉を思い出させる。
(蛍と……白磁か……)
 あるいは、どちらにも大した違いはないのかもしれない。 蛍にとっては一日が幾年にもあたり、自分にとっては千年が一瞬にあたるのかもしれないのだから。 そもそも時の真の長さなど、誰にも計りえないのではないか。それを決められる者があるとすれば、己自身をおいていないのではないか。
 これまで生じた事のなかった考えに、クラヴィスは身震いした。 驚いたように飛び去っていく青い光を眼で追いながら、彼は動悸が早まっていくのを感じていた。
 作った者も愛でた者も死に絶え、ただ己のみが生き残ってきたあの香炉は、愛し合った者の後を数日内に追うあの蛍は、 その時間をどう耐えてきたのだろう。
 苦しみすら絆と感じられるほどの想いがあるのなら、時の流れを決める事とて可能なのではないだろうか。
 闇の守護聖はやにわに居間に戻ると、家令に急いで馬車を用意するよう命じた。
(そうだ、私が決めよう……どのような闇も一瞬だと、そして、お前との時は永遠だと)


 闇を突いて、馬車が疾走していく。見出せたかもしれない道に、得られたかもしれない力に望みをかけて、 それを逃さないため、ひたすらに速度を出して、水の館に向かっていく。


 いつもならば、とうに寝台に入っている時間だったが、水の守護聖はまだ窓辺に座っていた。 竪琴を弾く指も止まりがちに、執務室から持ち帰った香炉を眺めてはため息をついていた。
  守護聖として、人に想いを告げる事の重さは分かっているつもりだった。 ただ、それに耐えうるほどの強い想いが、自分の方にしかなかったというだけなのだ──
 その時、開いた窓の外から、馬車の近づいてくる音が聞こえてきた。
(あれは……まさか、あの馬車は)
動揺している間にそれは止まり、間もなく目の前の扉が叩かれる。
 急いで返事をすると、慌てた様子の家令と、彼を押しのけて来たらしい闇の守護聖の姿が目に入った。
「……クラヴィス様」
「リュミエール……」
家令が一礼して扉を閉めるのと同時に、クラヴィスはこちらに歩み寄り、言った。
「……聞いてほしい事がある」


 傍らの卓に乗せられた香炉に、窓から入ってきた蛍が舞い降りる。千年の時を経てきた白磁の上に、今、青く美しい光が息づき始めた。

Fin

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