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7周年記念企画
26の小さなクラリュミ (K-O)

***一日一回、英和辞典のページを前のほうからアルファベットごとに適当に開き、
左上に出ていた単語をお題としてクラリュミ掌編を書いてみようというチャレンジ企画です***


11/11のお題 "K": kind(の二番目)
(種類、本質)



 リュミエールは、迷っていた。


 彼が週末ごとに闇の館を訪れるようになって、聖地の暦で一年以上が過ぎようとしている。偶然の成り行きで始まった習慣だったが、 クラヴィスの孤独と誤解されやすさを放っておけず、自ら補佐を買って出ていた彼にとって、それは思いがけず楽しい時間となっていた。
 竪琴の演奏などしながら静かな館で過ごすのは心地よかったし、闇の守護聖と接する時間が長くなったおかげで、 普段は分かりにくいその人の優しさや純粋さに気付く事もできた。大いなる力を司り続けてきた偉大な存在の、そのような意外な面を知るにつけて、 リュミエールの心にはいっそうの敬愛と同時に、温かい親しみのような気持ちがわいてくるのだった。


 さてその竪琴だが、これまでは毎回、いちばん手になじんでいる三日月型のものを持参し続けてきた。だが、少し前に取り寄せたD字型の竪琴が、 慣れるにつれて予想以上に良い音を出すようになってきたため、こちらを聞かせてみたいという気持ちが日に日に強くなってきたのだ。
(けれど……)
あまり変化を好まない闇の守護聖にとって、違う音色が流れるのは煩わしい事かもしれない。 これまでと同じ音を期待して演奏を所望するのだろうから、勝手な事をしてはいけないのかもしれない。
 どうしようかと思い悩むうちに出かける時間になってしまい、水の守護聖はやむなく両方の竪琴を持って立ち上がった。


 いつもながら、時の流れをどこかに忘れてきたかのような闇の館の居間で、その主はゆったりと寛いでいた。
「……どうしたのだ、今日は」
二台の竪琴を携えた青年に、挨拶の代わりに問いかけてくる。
「申し訳ありません、実は──」
正直に事情を話すと、クラヴィスはよく分からないというようにため息をついた。
「何を謝るのだ。竪琴の種類など、好きに決めれば良いものを」
「はい」
いそいそと準備を整えると、リュミエールはD字型の竪琴で演奏を始めた。


 一曲が終わるとクラヴィスは黙って頷き、それから微かに面を傾ける。 続けて演奏するようにという合図を読み取った水の守護聖は、嬉しそうに新たな旋律を奏で始めた。
(この音色を気に入って下さったようですね……)
だが、聞いているのかいないのか分からない表情のまま、長いすに横たわってしまった姿を見ていると、別の考えが頭に浮かんでしまう。
(それとも……どうでも良いと思っていらっしゃるのでしょうか、竪琴の種類も、私の演奏も)
そう思うと、急に胸が痛くなった。虚しさよりも強い悲しみの中で、何もかもが色あせて見え、自分でも驚くほど気持ちが沈んでいくのが感じられた。


 最後の音を弾き終わると、突然クラヴィスが声をかけてきた。
「どうした」
「……はい?」
思わず聞き返してしまったリュミエールに、闇の守護聖は眼を閉じたまま言う。
「途中から音に陰りが出ていたようだが……私の思い過ごしか?」
 水の守護聖は息を呑み、その青い瞳を見開いた。
「お気づきだったのですか」
楽器の種類や音色の違いが分からなかろうと、あるいは関心がなかろうと、こんなに深く聴きとってくれるとは──
「申し訳ありません」
「だから、何を謝るのだ」
──これほど素晴らしい聴き手がいるものだろうか。この人に演奏を聴いてもらえる自分ほど幸せな者が、ほかにいるだろうか。
「いえ……思い違いをしていた事があったのですが、もう大丈夫です」
 元気を取り戻して答えると、クラヴィスが再び頷き、そして面を傾けるのが見えた。
「……かしこまりました」
新しい竪琴から、新たな旋律が流れ始める。
 クラヴィスに関して敏感すぎるほどの感性を持ち始めたリュミエールと、 リュミエールの感情の種類については鋭すぎる勘を持つようになってきたクラヴィスとの休日は、まだ始まったばかりであった。
Fin

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11/12のお題 "L": listener
(聴き手、聴取者、聴講生)



 その日、水の守護聖は珍しく職務に手間取ってしまった。ようやくその日にするべき事を終え、 ほっとしながら執務室の窓を見ると、夜空の星々はもうその巡りの四半分を終えようとしている。
 早く帰ろうと車寄せに急ぐと、闇の館の馬車が停まっているのが眼に入った。
(クラヴィス様……サクリア放出があったとしても、もう帰られているはずの時間なのに)
敬愛する先輩というだけでなく、深く想いを通じ合った相手でもある闇の守護聖の事だけに、リュミエールは気になってたまらず、 踵を返して御者用の待合室へと向かっていった。


 やはり、まだクラヴィスは宮殿にいるという。 だが執務室には既に誰もおらず、宮殿の警備兵や侍従たちに問い続けてようやく、星の間にいる事が突き止められた。
 とはいえ、今宵は闇のサクリア放出の予定はされていないという。どんな用があるのかと訝しみながら、リュミエールは星の間へと急いだ。


 そこにはいつもどおり、一面の星空が広がっていた。職務で週に一度ほどは訪れる場所でありながら、その壮麗さにはいつも息を呑んでしまう。
 だがリュミエールは今、なぜか──恋人の不可解な行動のためかもしれないが──その星空に、どこか胸を締め付けるような切なさを感じていた。
 闇の守護聖は中央の壇に上り、井戸のような形をした宙鏡の前で眼を閉じている。 たしかにサクリアを放出している様子はないが、その面には放出時のような厳粛さと、同時に、 あたかも興味深い音楽に耳を傾けているような緊張感が表れていた。


 何をしているのだろうと思いながら、黙って見守っているリュミエールの視界の隅で、とつぜん何かが揺らぎ始めた。
(宙鏡……?)
足音を忍ばせて壇に上り、そっと覗き込んでみたが、そこには変わらず美しい鏡面が、星々を映し出しているだけだった。 だが次の瞬間、淡い光の一つがゆっくりと明滅しだした。次第に速く烈しくなっていくそれは、紛れもなく一つの星系の終わりであった。
(これは……この場所は)
数十週間前に守護聖たちは、ある遠い星系が終焉を迎えるという連絡を受けていた。 王立研究院と派遣軍によって、避難など必要な措置は既に完了していたその場所に、ついに来るべき時が訪れたのだ。
 何が起きているのかを把握した水の守護聖は、恋人の面を見上げてはっとした。そこには、深く強い痛みに耐えている表情が浮かんでいたのだ。
 声をかけるのも躊躇われたまま、その状態がどれほど続いただろう。明滅は再び速度を失い、やがて暗黒の深淵へと変わっていった。


 なおもしばらく眼を閉じたままでいた闇の守護聖は、ようやく深い息をつくと、その白い面を上げた。
「……リュミエール?」
眼の前に恋人が立っているのに気付き、驚きの声を上げる。
「クラヴィス様がこちらだとお聞きしたので……あの、お邪魔だったのでしょうか」
来てはいけなかったのだろうかと恐れながら、リュミエールは小声で答えた。
 クラヴィスは、ゆっくりと頭を振る。
「邪魔ではない……ただ、見せたくなかっただけだ。終焉の歌を聴いている姿を」
疲れきったようなその様子に、水の守護聖は思わず相手の腕を支えながら言った。
「終焉の歌とは、いったい何なのですか。ここまでクラヴィス様が消耗しなければならないものなのですか」
恋人の肩に腕を回し、いくらか楽になったらしいクラヴィスは、ゆっくりと話し出した。
「星々が、命を終える時に放つ歌だ。痛みや悲しみ、無念さの表れるものゆえに、聴き続けるのは苦しみを伴う 。一つ二つではさすがに分からぬが、星系のように多くの星が滅びる時には、はっきり聞こえてくる── といっても、闇の守護聖でもなければ感知する事もなかろうが」
「その歌を……お聴きになっていたのですか、職務として」
「職務ではない。聴かずとも、宇宙の運行に支障の出るようなものではないからな。 ただ、自分しか聴きえぬ歌だと思うと、聴いてやらねばならない気になってしまうのだ……苦しい表情を見せるのが憚られ、隠し続けてきたのだが」
 リュミエールは、言葉もなく闇の守護聖を見つめた。
 この人は、誰に頼まれた訳でもないのに終焉の歌を聴き、誰にも心配をかけないようにと、それを秘密にしていたのだ。
 その大きな優しさへの感動と、せめて自分くらいには明かしてほしかったという寂しさが、心の中で渦巻いている。


「クラヴィス様、お願いがあります」
星の間を出ると、リュミエールは思い切ったように言い出した。
「どうか、次に終焉の歌を聴かれる時からは、私も同席させていただけませんか。歌は聞こえないかもしれませんが、代わりにクラヴィス様のご様子を見る事はできます。 歌が聴き手を欲するように、クラヴィス様のお苦しみにも、受け止める者がいた方が良いのではないでしょうか」
「リュミエール……」
「僅かな慰めにしかならないかもしれませんが、歌の後で鎮魂曲を奏でる事もできます。 終焉を悼み、消え行く星々が自らの嘆きを受け入れて浄い存在へと上っていけるように、祈りを込めて弾きますから」
 懇願してくる姿を呆然と眺めていた闇の守護聖は、やがてその双眸を和らげると、聞いた事もないほど温かな声で言った。
「……お前が構わぬのなら、それも良かろう」
「はい」
水の守護聖は優しい声で、しかし力強く答える。
 肩から伝わってくる体温が、重さが心地よい。 互いの躯を腕で抱きながら、そして相手の存在に自分がどれほど支えられているかを感じながら、恋人たちは夜更けの宮殿を、静かに退出して行った。
Fin

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11/13のお題 "M": meanderingly
(曲がりくねって、当てもなく、とりとめもなく)



 闇と水の守護聖たちは、完全に道に迷っていた。
 元はといえば、リュミエールが言いだした散策だった。クラヴィスがあまりに陽にあたらない生活を送っているのが心配だったし、 午前の職務と昼食が早めに終わったので、ちょうどいい機会だと思って提案してみたのだ。
 単なる同僚ではなく、恋人でもある相手の進言だけに、闇の守護聖もむげには断れず、とりあえず宮殿から小さな森を抜け、 一番近い湖まで行ってこようという事になった。だが、途中の道が倒木のため通れず、他の行き方を探っているうちに── 来た道を戻るのを渋るクラヴィスに合わせて脇道に入ったりしているうちに──気づけば、どこか分からない所に来てしまっていたのだ。


 人気のない森に前後左右をふさがれた、見通しの悪い小道で、リュミエールは途方にくれて呟いた。
「もう、休憩時間が終わってしまいますね……」
 クラヴィスは別段気にしていない様子で、黙って周囲を見まわしている。その横顔を眺めているうちに、水の守護聖はある事を思いついた。
「そういえばクラヴィス様、水晶球をお持ちではありませんか?」
闇の守護聖は、大切そうに懐から透明な珠を取りだした。少し長い時間部屋をあける時には、たいていこのようにして持ち歩いているのだ。
「よかった。これで占えば、帰り道を見つけられますね」
「だめだ」
ほっとした様子の恋人に、クラヴィスは冷たく答える。
「足が疲れて……集中できぬ」
「ああ、申し訳ありません! 私のせいで……」
心痛に耐えない表情で、リュミエールが声をあげる。
「ならばますます、早く戻ってお休みにならなければいけないのに……これからいったい、どうしたらいいのでしょう」
 しばらく黙り込んでいたクラヴィスは、やがて短く答えた。
「“ハート”だ」
「……今、何とおっしゃいました?」
「女王試験の時、占い師は女王候補から心の力を“ハート”という単位で受けとって占いをするそうだ。 お前は女王候補ではないから、申告だけで心の力を譲る事はできまいが、あるいは他の方法があるかもしれぬ」
 恋人が何を言おうとしているのか、リュミエールには直感的にひらめくものがあった。 だがそれが正解かどうかは分からないし、確認するのは非常に勇気のいる事だった。
「どうした……?」
迷っている青年を促すように、闇の守護聖は声をかけてくる。それがどこか楽しそうに聞こえたのは、気のせいだったろうか。
 しかし午後の執務開始時間は、着実に迫ってきている。水の守護聖は意を決すと、相手の耳に口を寄せた。
「……それが、一番簡単な方法だろうな」
耳打ちで問われたのがおかしかったのか──たしかに、周囲に人気もないのだから無意味なしぐさではあったが──口元に小さい笑みを浮かべて答えると、 クラヴィスはその表情のまま、白い瞼を閉じた。
 リュミエールはしばらくためらっていたが、もう一度自分の責任を思い、また時間を考えたあげく、思いきったように相手の唇にくちづけた。


 軽く一瞬、唇を触れ合わせただけだったが、効果はあったらしい。たちまち水晶球は輝き始めると、二人の右側の木々を映しだした。
「これは……脇道を右に行けという事ですね」
救われたようにそう言うと、水の守護聖は恋人を励ましながら歩きだした。
 だがしばらく行くと、また眼の前に十字路が現れた。
「あの、クラヴィス様……」
「“ハート”だな」
今度も同じように、短いためらいの後、リュミエールは恋人にくちづけた。 だが一度目と違い、その甘やかな柔らかさを感じる事ができたのは、少しだけこの状況に慣れたからだろうか。
 ともあれ水晶球の指示に従い道を進んでいくと、また三叉路が現れた。
「あの……」
黙って眼を閉じた闇の守護聖に、青年はため息と共にくちづけた。それは前の二回よりも、いくらか長い時間だったようにも思えたが、はっきりとはわからなかった……


 こうして占いをくりかえしながら、ようやく二人は森の切れるところまでやってきた。
「クラヴィス様、あれは……?」
だが、道の先に見えるその建物は、断じて宮殿ではなかった。
「……闇の館ではありませんか!」
「そのようだな」
動揺した様子もなく、闇の守護聖は懐から取りだした水晶球を眺めている。
「どうやら、我々をここに導きたかったようだ」
「なぜです、なぜ宮殿ではなく、ここに──」
困惑するリュミエールの肩に、クラヴィスの長い指がつと伸ばされる。
「あっ……」
思いがけない感覚に、水の守護聖は思わず声をあげてしまった。
 実は、占いの回数が進むごとに、彼らの“ハート”はかなり長く、深くなってきていたのだ。 特に最後の数回などは、相当時間をかけた濃密なものになっていたが、一回ごとの変化が小さかったために、リュミエールはそれに気づかず── また、それによって自らが昂ぶっている事にも気づかずに──ひたすら、宮殿に戻らなければと焦っていたのだった。
 肩に触れられただけで反応してしまう自分に狼狽しながら、水の守護聖は恋人を見上げた。
 闇の守護聖は、ゆっくりと私邸の方角を指しながら言う。
「館から使いを出せばよい……午後は休む、とな」
 どこか嬉しそうなその声に、リュミエールはふと、水晶球の件がすべてクラヴィスの計略ではなかったのかと疑念を抱いた。 だが、気の進まない散策に予定以上の時間をかけてくれた事は、素直に嬉しかったし、何より自分がこの状況を嫌だと思えないのだから、どうしようもない。
「水晶球が、そう言ったのですか」
静かに尋ねると、闇の守護聖は一瞬息を止めたが、すぐ平静を取り戻して頷いた。
「そうだ」
「……では、従うしかありませんね」
少し困ったような、それでいて包容力の表れた微笑で、リュミエールは答えた。


 かくして恋人たちは、仲睦まじく闇の館へと向かっていった。
 “闇の館の家僕が届ける、闇の守護聖と水の守護聖の半日休暇届”が、どれほど不自然なものかなど、今の二人には気づくよしもなかった。
Fin

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11/14のお題 "N": noiseless
(音のしない、消音の、静かな)



 昼食をすませると、リュミエールはいつものように竪琴を手に取った。 敬愛してやまぬ闇の守護聖に、今日はどのような曲を聞かせようかと考えながら、二つ左の執務室に向かう。
 だが彼を待っていたのは、思いがけない言葉だった。
「今日からはもう、来なくてよい」
「……えっ」
あまりに唐突で、言われた意味が分からない。
「ここ三日分のお前の演奏を録音しておいた。聞きたい時に自分で再生できる」
「それは……」
「どうした」
知らないうちに録音されていたのも驚きだったが、これではまるで、演奏以外自分には何の用もないと言われているようなものではないか。
「あの、何かお気に障る事でもいたしましたでしょうか」
「……別に」
クラヴィスの端正な面には何の表情も浮かばず、こちらに視線を向けようとすらしない。
 しばらくその場に立ち尽くしていた水の守護聖は、やがて足早に闇の執務室を去っていった。 この人にとって自分は、音楽を奏でる機械でしかなかったのだと、胸がつぶれそうなほどの嘆きを抱きながら。


「音楽用の機械……か」
リュミエールの去った後、闇の守護聖は机の下から真新しい機械を取り出した。 驚くほど小さく軽く、それでいて長時間きわめて質の高い録音ができるようになっている。
「お前を……このようなものにしてはいけないからな」
一抹の寂しさを覚えながら、クラヴィスはそれを紛らすように再生スイッチを入れる。
 美しく優しい竪琴の音色が、昨日の昼の演奏を再現し始めた。


『よう……ちょっと話があるんだけどさ』
鋼の守護聖が執務室を訪ねてきたのは、四日前の事だった。
『この前仕事で遅くなっちまった時、まだリュミエールの部屋に明かりがついてたんで、驚いて見にいったんだ。 知ってるか? あいつ、毎日お前の仕事を補佐している上に、昼もろくに食わずにここで演奏してるだろう。 それで自分の仕事が後回しになって、最近なんか毎日、夜まで宮殿に残ってるんだぜ』
乱暴な態度の中に、時折意外なほどの繊細さをのぞかせる銀髪の少年は、ぶっきらぼうにそういうと、執務机の上に手製の録音再生機を置いた。
『俺には関係ねー事だけど、どうにも目についちまったからさ……これを使う事にして、せめて昼休みくらい自由にさせてやれよ。 あいつは音楽の機械じゃないんだから、毎日演奏させる事もねーだろう』


 闇の守護聖は、苛立たしげにスイッチを止めた。同じ音が流れているはずなのに、どうしてこうも落ち着かないのだ。
(……故障か?)
億劫そうに機械を持って立ち上がると、クラヴィスは鋼の執務室に足を運んだ。


 録音再生機の点検を終えたゼフェルは、どこも故障などしていないと答えた。
「それに“音が違う”だけじゃなくて、もうちょっと具体的に、どう違うのか言ってくれよ」
「……とにかく、違うのだ。違っていて、少しも落ち着く事ができぬ」
「あーもう、さっぱり分かんねー!」
鋼の守護聖が頭をかきむしっていると、そこに教育係のルヴァがひょっこりやってきた。
「おや、クラヴィス。今、リュミエールが森の方に行くのを見かけたんですが、何だかひどくしょげかえっていましてね…… 昼休みに、何かあったんですか」
「別に、ただ……」
クラヴィスが先刻の事を──言葉足らずな分はゼフェルの補足つきで──告げると、地の守護聖は驚いたように声を上げた。
「ゼフェル、あなたの思いやりは素晴らしいですけれど、今回はちょっと勇み足でしたね」
「何だと?」
息巻く鋼の守護聖に目配せすると、ルヴァはクラヴィスに向き直った。
「あのですね、クラヴィス。私たちに聞こえる音には、多少なりとも必ず雑音が混ざっているものなんですよ。 ゼフェルの機械は音をきれいに聞かせるため、それを自動的にカットするようになっているんですが、 この場合はかえって自然な竪琴の音を損ねてしまったようですね」
「……どういう事だ」
「つまり、リュミエールの生演奏に換えられるものはない、という事ですよ。 たった今宮殿を出たばかりで、まだ遠くには行っていないと思いますから、今から連れ戻してはいかがですか?」
 闇の守護聖は、無言で部屋を出て行った。普段のペースから考えれば、飛び出していったと言ってもいい速度であった。


 その後姿を見送ると、ゼフェルはむっつりしたようすで言い出した。
「あんたの顔を立てて黙っといてやったけどさ、俺の機械はそういう雑音もカットしないように作ってあるんだぜ」
「分かっていますよ。ただね、リュミエールは本当に好きでクラヴィスの所にいっているんですから、私たちは邪魔せず急がせず、 見守ってあげるのが一番だと思うんです……まあ、クラヴィスも今日の事にこりて、少しは補佐に頼らない仕事振りを見せてくれるといいんですがね」
「邪魔って……いったい何の事を言ってるんだ?」
釈然としない表情の少年に、ルヴァは小さく笑いかけた。
「いつか、ゼフェルにも分かりますよ」


 青銀の髪の青年が、宮殿から森に向かっていた。うつむいた優しい面に悲痛な表情を浮かべ、泣く場所を探しているかのように、急ぎ足で歩いていた。
 その後ろから、急ぐのに慣れていない足取りで、黒髪の男が追いかけてくる。気配を察して振り向いた青年は、そのまま驚きのあまり立ちすくんでしまった。
 男は追いつくと、いきなり青年の両肩を抱いた。息が切れて立っていられなかったのと、気持ちが動転していたせいで、 自分が何をしているかよく分からなかったのである。
 やがて落ち着きを取り戻した男は、慌てて青年から腕を放し、要件を告げた。 だがその時には二人とも、それまで気付かなかった内なる感情を自覚していた……。


 かくして、小さな機械が引き起こした小さな事件は、思いがけない実を結んだ。そして間もなくゼフェルは、地の守護聖の言葉の意味を悟ったのであった。
Fin

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11/15のお題 "O": outage
(<停電による>機械の運転休止、停電)



 聖地の図書館には、参照される事が少なく、また比較的重要度の低い書物のために、別棟として造られた書庫があった。
 図書館員や守護聖ならば出入りは自由だが、実際に訪れる者は殆どいなかったので、老朽化のため改築される事になったという発表があっても、 聖地の大部分の者は関心を示さなかった。


 ある休日、まだ改築工事の始まっていない書庫に、二人の守護聖が向かっていた。クラヴィスとリュミエール── 長い年月をかけて結ばれた恋人同士でもある彼らは、人気のない入り口を守護聖用の鍵で開けると、滑り込むように中に入った。


 蔵書を傷めないよう外光を遮断してある室内は、広さも分からないほどの闇に満たされ、ただセンサーが感知した利用者──今は二人── の周囲だけが淡く照らされていた。
「クラヴィス様、ここにどのようなご用があるのですか?」
「……見に行くのだ、古い闇を」
短く答えると、クラヴィスは迷う様子もなく奥に向かい、突き当りの小さな扉を開けた。
「階段室……ここまでもが、外光の入らない造りになっているのですね」
恋人の言葉にも答えず、闇の守護聖は階段を降りていった。


 地階に着いて扉を開けると、書棚や木箱の列が迷路のように並んでいるのがうっすらと見えた。 闇の守護聖は幾らか歩調を緩め、迷路の行き止まりの一つに入りこむと、そこで足を止めた。
「……ここだ。今は木箱が固定されているようだが、他は変わっていない」
低く呟かれた言葉を聞いて、リュミエールは周囲を見回した。
 灰色の壁と木箱、そして書棚が三方をふさぎ、床には大人ひとりがやっと立っていられる広さしかない。 それらを感慨深げに眺めていたクラヴィスは、おもむろにリュミエールに向き直ると、珍しくも自らの過去を話し始めた。


 遥かな昔、まだ七、八歳の少年だったころ、クラヴィスはよく休日をこの書庫で過ごしていた。自分の周囲以外は明かりもなく、人の気配もない。 そんな所を歩き回ってみたり、拾って来た小枝や木の葉で遊んだりしていると、いつか平日の気疲れも癒されていくような気がしたのだ。
 ところがある日、彼が書庫の三階で遊んでいると、何の前触れもなく突然、電源が落ちてしまった。


「……どうやら点検のための停電だったらしいが、私はそれを知らなかった。小さな非常灯を残して照明が消えてしまうと、 慣れているはずの複雑な通路も闇も、ただ恐ろしいものでしかなくなった。 何とかエレベーターにたどり着いたものの、それが動かないのを知った私は、恐慌に陥った」


 怯えてすくんでいる時間が過ぎると、今度は逃げ出したい衝動にかられ、少年は階段を探して走り出した。 あちこちの書棚にぶつかりながらようやく階段室を見つけたが、混乱していたためだろう、一階に着いたと思って走り出たところは、地階の書庫だった。


「……闇雲に飛び出してしまったので、自分の通ってきた階段室も見失い、私は泣きながらこの迷路を走り回った。 そしてここで、積み上げてあった木箱にぶつかったのだ」
「何という……お労しい」
水の守護聖は、痛ましそうに恋人の面を見つめた。
「……それで、どうなったのですか」
「運良く、一階で点検作業をしていた係員が物音を聞きつけたので、間もなく助け出されたが……崩れ落ちた木箱で額を切った上、 溢れ出た書物に埋もれて身動きもとれないまま、闇の中で震えていたあの時間は、なかなか忘れられるものではないな」
「お怪我をされたのですか!」
「……小さなものだ」
闇の守護聖は額の右側の髪を上げ、指の幅ほどの長さの傷痕を示した。
 その面に手を添えて、リュミエールは傷痕にそっと口付ける。
「温かい……」
穏やかな表情で呟くと、クラヴィスはそのまま恋人を胸に抱き寄せた。
「自らの力に連なるとはいえ、ここの闇だけは恐ろしくて近づけなかった。だが、改築されてしまえばその機会も失われよう。 そうなる前に、一度来ておかねばと思ったのだ」
 水の守護聖は、包み込むような微笑で頷いた。きっとこの人は幼い頃の、そして未だに心の傷として残る恐怖に立ち向かい、 決着をつけなければならなかったのだろう。そのような場に自分を立ち合わせたのは、逃げずに過去を受け止めるためだったかもしれないが、 同時に心の全てを許してくれているからでもあるだろう。それがリュミエールには、何より嬉しかった。


 次第に強くなっていく抱擁と共に、二人の顔が少しずつ近づいていく。
 満ち足りた思いで口付けを交わす恋人たちを、かつて幼いクラヴィスが愛した書庫の闇が──彼より遥かに長い時を経てきた、そして、 間もなく工事によって途絶えてしまうそれが──いつもと変わらぬ静寂をもって見守っていた。
Fin

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